第3話
†
「ごめんなさいね、ミアちゃん。でも、あの子に悪気はないのよ。だから、その……嫌わないであげて貰えないかしら」
一連のやり取りを遠くから見ていたのか。
怒鳴られて追い出された私の下に、ウェルのお母様にあたるリルレアさまが、程なく駆け寄ってくる。
「……私、何かまずい事を言っちゃいましたかね。もし、そうだったなら謝りたいんですけど……」
「……ううん。ミアちゃんは何も悪くはないわ。ただ、ミアちゃんが優しすぎる事が、あの子にとってはしんどいのだと思う」
申し訳なさそうに、紡がれる。
「その優しさを、あの子は自分の中で色んな人に重ねちゃったんでしょうね」
「重ねる……?」
「ええ。黒髪だっていっても、それでもあの子に優しくしてくれる人は確かにいるのよ。……ただ、そういう人に限って、いつも、不幸に見舞われる。見舞われて、きたのよ。だから、色々としんどいんでしょうね」
また、自分に優しくしてくれる人が自分のせいで不幸に見舞われると思うと、耐えられないのだと思う。
そこまで言われて、漸く納得する。
手を差し伸べたつもりが、かえって逆に彼の傷口を抉ってしまっていたらしい。
自覚すると同時、物凄い罪悪感に見舞われた。
「でも、ウェルも、本当は嬉しいって思ってるわよ。口にはしないでしょうけど、それは絶対に。だから、そんな顔をしないで、ミアちゃん」
本心ではそう思っていなくとも、突き放さなくちゃいけない理由がある。
本当は嬉しいはずだ。
己を気にかけてくれる存在というものは、嬉しいものの筈だ。
だけど、内に入れてしまったが最後、また、不幸が繰り返される。
そう思うと、素直に厚意を受け入れる事がとてもじゃないが、出来ないのだろうと。
そして、その過去がある限り、彼の心は城の城門のように固く閉ざされたままである事は、言われずとも理解出来てしまった。
でも、だからといって私が引き下がる理由にはなり得なくて。
「……ありがとうございます。リルレアさま。そういう事なら、もう少しだけ〝余計なお世話〟をしてみようと思います」
……さっきみたいに、ひどく怒られる羽目になるかもしれないけど、それでも。
そんな事を思いながら、何処か行けという言葉と共にウェルの口から言い放たれた言葉を借りながら、リルレアさまにそう言うと、彼女は小さく笑っていた。
「こうして、従者に来てくれた人がミアちゃんで、本当に良かったわ」
————ありがとうと、言葉が続けられ、リルレアさまはその場を後にした。
そして、その日の夜。
誰もが寝静まった夜半の頃に偶然、ぱちりと目が覚め、私の意識が覚醒した。
今、何時だろうか。
そんな疑問に従うように、与えられていた部屋に設られた窓を覗き込み————まだ夜中だから、布団に帰ろう。
そう思った私であったけれど、何処となく靄がかった視界に、見慣れない人影が一つ、映り込んだ。
一人でぽつんと地面に腰を下ろしながら、夜空を堪能しているように見えた。
遠くから見た感じ、私よりも一、二個年上な雰囲気。髪色は、真夜中である事もあるだろうけれど、その人の髪は真っ黒のように見えた。
何より、私の瞳が捉えたそのシルエットは、事前に知らされていたウェル・メフィストそのものであった。
その事実を認識した時、既に、頭の中にあった布団に帰るという選択肢は跡形もなく消え去っていて、私の足は、考えるよりも先に外へと向かっていた。
「……こんな時間まで、お前が起きてるとは思わなかった」
お陰で油断していたと言外に告げられる。
声を掛けてもいないのに、近づいていただけで私であると言い当てられる。
「俺に構おうとする奴は限られてる。そして、こんな時間に外に顔を出してる俺に、わざわざ構おうとしてきそうな奴は、お前ぐらいしか思い浮かばない」
反射的に、胸に抱いた動揺を見せるように足を止めたのが悪かったのか。
その内心を見透かしたかのような言葉が続いた。
「……もう一度だけ言う。これ以上、俺に関わるな。お前の家の事情は知ってる。だから、無理に追い返すつもりはない。ただ、俺に関わるな……関わらないでくれ」
怯えのような、恐れのような、懇願のような。
ウェルのその発言は、それらの感情を纏めて混ぜ込んだかのような物言いだった。
決して彼は言っていない筈なのに、語尾に、「頼むから」と付け足された気にすら陥る。
けれど、決定的なまでの拒絶を貫くウェルの言葉に従う事なく、私は止めてしまっていた足を再び動かして、彼の下へと歩み寄っていく。
「それは、私が不幸になるから……とでも思ってるからですか?」
本心から、私という存在が嫌で、何処かへ行って欲しいというのであれば、彼の言に頷く事も吝かではなかった。
だから、それ故の確認だったというのに、すぐに返事は返ってこなくて。
私は、ウェルの返事を待たずに言葉を続けた。
「なら、お笑い草ですね。……これまで、貴方がどんな不幸に見舞われたのか。それを聞く気はありません。ただ、」
ぽすん、とウェルの隣に腰を下ろしながら私は、
「黒髪だからどーのこーのと言われる不幸で、どうにかなる私じゃないです。なにせ、私は
相手を安心させるように、笑ってやる。
暗がりで見えてないかもしれないけど、それでもと。
「理不尽な不幸は、人生につきものだ。だから、貴方は偶々、不幸に見舞われただけ。黒髪だからとか、そんなものは一切関係がない」
だから、そんな悲しそうな顔を浮かべないで欲しいと切に願う。
「関係があって堪るか」
黒髪に生まれたから、不幸を呼ぶ存在。
そんなくだらない噂を、私は認める気はなかった。
「でも、私が幾ら言葉を並べ立てたところで、貴方が信じられないのもよく分かります」
これまで、噂通り、不幸に見舞われ続けたからこそ、今のウェル・メフィストがある。
仮にどれだけ説得力のある言葉を並べ立てたところで、彼からすれば、その言葉に殊勝に頷けるような問題ではない事は分かっていた。
だから。
「だから、時間を下さい」
「……時間?」
「はい。黒髪だから不幸を呼ぶ。そんな噂は、嘘っぱちなんだって証明する時間を下さい」
どういう事だ。
私に向けられる、そう言わんばかりの懐疑的な視線に返事をするように、
「一週間でも、一ヶ月でも、期間はウェルさんが決めて下さい。そして、その期間の間、私を貴方の側に置いてください」
それ故に、時間を下さい、であった。
「その間に、一度でも貴方のいう不幸に私が苦しめられる事があったならば、大人しく貴方のいう事に従います」
たとえそれが家に帰れというものであったとしても、もしそうなったならば、今度はちゃんと言葉に従うと口にする。
やがて、逡巡するように黙考を経たのち、
「……一度だ。一度でも、あれば、そこでお前はクビだ。大人しくここから出て行け。それが条件だ」
これから先、これまでのようにずっと付き纏わられるくらいならば。
そんな思考が透けて見えたけれど、それで十分だった。
「分かってます。それが条件だという事は、もちろん」
ただし、何も起こってないのに「帰れ」とかは無しですよと私が念を押すと、煩わしそうに溜息を吐かれ、ウェルは立ち上がってその場を後にしてゆく。
「……これで、漸く一歩前進、ってところなのかな」
本当に偶然の産物であったけれど、こうして夜中に己の目が覚めてくれて良かったと思いながら、彼の背中を追うように私もまた、屋敷へ戻らんと踵を返した。
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