第19話 ユフミの魔法
あれから、妙な邪魔が入ることもなく、時々ニクル姉さんの面白解説を楽しみつつ、すべての魚を見終えたカナセとユフミは、笑顔で水族館を後にした。
外は、すっかり日が暮れようとしている。
出てすぐの所に大きな公園があり、園内の遊歩道を通ってバス停に向って歩いていた。
「ほんと、楽しかったぁー!」
無邪気に笑うユフミ。
「なっ! オレ、初めて見る魚ばかりだったからマジで感動したぜ!」
もっと無邪気に笑うカナセ。
どの魔敷魚が一番面白かったか発表しあったり、カナセが思い出しながら氷魔法で魚の形を作って、ユフミが名前を当てるゲームをしたり。
とにかく笑いが絶えず、盛り上がっていたその時。
「みーつーけーたーぞー! ごるぁぁぁぁぁぁ‼」
突然、背後から汚い声の叫び声がふたりに迫ってきた。
カナセが振り向くと、そこに居たのはあのピアス男とユフミの同級生アユレ。
「覚悟しなさい浅川! それに、彼氏だか何だかよく分からない男! プロの魔法バトラーを怒らせたらどうなるか身をもって知るが良いわ!」
カナセは思った。
もはや、こいつら魔敷獣だな……いや、それじゃ魔敷獣に申し訳無いぐらいだ、と。
「ね、ねえ、希崎君、どうしよう……⁉」
ユフミは、カナセの袖をギュッと掴み、微かに震えている。
ピアス男の手のひらが、みるみる内に赤く染まっていく。
「ああ、大丈夫。ユフミはオレの後ろに隠れとけ。そこに居れば絶対安全だからな」
「う、うん!」
自信に満ちたカナセの言葉に安心したのか、ユフミはしっかりとした声で答えると、言われた通りスッとカナセの背後に収まった。
両手で強く掴まれる感触を背中に感じながら、カナセは両手で魔法を練り始める。
下部リーグに所属しているらしいとは言え、プロの魔法バトラーを対峙するのはこれが初めて。
内面的には酷い相手だが、油断したら足をすくわれるぞと気を引き締め直し、カナセは今出せる全力をぶつける覚悟で挑む。
「無理だ無理! 国立・都立ならまだしも、区立の専門学生がこの俺様に対抗……いや、傷ひとつ付けられるわけねーだろうが! 頭おかしいだろオマエ! 女の方も、いくら可愛くても男の趣味が悪けりゃどうしようもねぇな──グフォッ!」
ダラダラと喋ってる間に、練り上がったカナセの魔法が炸裂!
相手は火属性が得意と見て、対魔法である水属性による超速攻撃。
しかも、大量の水滴の中に氷や雷や火などの魔法を閉じ込めた〈多属性散弾式〉の魔法攻撃を至近距離で受ければ、ダメージは計り知れない。
ピアス男は力なく地面に倒れ込み、ピクピクと体を引きつらせていた。
「あー、ごめん、ちょっとやり過ぎちゃったかも? しつこいほどプロだって言ってたし、全力でやらないと負けちゃうかな……ってね」
カナセは特に表情を変えることなく、淡々と言い放った。
地面に倒れ込むピアス男の背後で呆然としているアユレが、震える声でこっちに向かって叫んできた。
「ひ、酷すぎぃ! そこまですることないじゃない‼ 私たちが何をしたって言うのよ……!」
あまりにも意外すぎる物言いに、今度はカナセがあっけにとられた。
「なあ、ユフミ、大丈夫か?」
カナセが、自分の背中に向かって声をかけた。
「うん、もちろん!」
「そんじゃ、ひとつだけ許可してくれないか?」
「えっ? 何を……?」
「あの女に、魔法でお仕置きしてもいいかな……って。本当はよくないんだろうけど」
「……わかった。それじゃ、私からお願い。あの子の目を覚まさせたげて!」
「……おう! 喜んで! まっ、ペチッてやるだけだけどな」
返事するやいなや、カナセは指先に魔法の玉を貼り付けると、デコピンの要領で前方に思いきり弾いて飛ばした。
小さな水の魔法が、一瞬でアユレのおでこに直撃。
「きゃっ! いたぁぁぁい‼ 何すんのよ、女子に向かって‼」
「知るか! オレは自信を持って言えるぞ。その痛みより、暴言を浴びせられたユフミの方が、何百倍も心が痛んでるってな! 覚えとけ! そんでもって、さっさと自分の彼氏を連れて帰れ帰れ!」
アユレは半べそかきながら、ピアス男の腕を取り、肩にかけてゆっくり道の向こうに消えていった。
嵐が過ぎ去ったあとのような、脱力感がふたりを包み込む。
僅かな沈黙を破ったのは、ユフミの方だった。
「なんかごめんね希崎君」
「ん? なにが?」
「私のせいでこんなことになっちゃって……さ」
「なに言ってんだよ、ユフミは関係無いだろ。アイツらが勝手に襲ってきただけで」
「でも、あの子私の同級生だし……」
「ほとんど喋ったこともなかったんだろ?」
「うん。あの子は高校の頃からモテモテのリア充で、私は……」
「それが信じられないんだよなぁ。アイツよりユフミの方が圧倒的に上っつーか、なんつーか」
カナセは腕を組み、頷きながらしみじみと思いを口にした。
「えっ? そ、そんなわけ……」
「性格も顔もユフミのが圧勝じゃね? 比べるのがバカバカしいぐらい」
「えーっ⁉ そ、そんなことないよっ……!」
「ん? 顔赤くなってるけど?」
「もう! 希崎君のせいでしょ!」
「あー、ごめんごめん。お詫びにこれ」
と、カナセは魔法で作った氷のハンカチを手渡した。
「うわっ、凄い! やっぱ希崎君は魔法の天才だね!」
「そ、そうかな、ははは」
「あっ、顔真っ赤!」
「んなことねーし!」
「ふふっ、ほらこれ貸してあげる」
ユフミは逆に、貰った氷のハンカチをカナセに渡した。
「サンキュー……って、これオレがあげたやつ!」
「だね」
夜の公園に、ふたりの笑い声。
吹き抜ける風の音。
そして……。
「……明日はいよいよ入学式だな」
「うん、そうだね」
「どうなるのか全然わからないけど……な」
「うん。でも、ちょっと楽しみかも?」
「えっ?」
「だって、希崎君と一緒にいると、本当に何が起きるか全然わからなくて、わくわくしっぱなしなんだもん!」
「ははっ、そりゃおもしれーな」
「うん! だから希崎君も余計なこと考えないで、自分の気持ちに素直に行動してね」
「おう! 素直に行動するのには自信ある」
カナセは、ニヒヒとイタズラっぽく笑った。
「フフッ、だよね! それじゃ……明日からもよろしくね!」
「おう、こちらこそよろしくな、ユフミ」
「うん……って、希崎君にあげたいものがあるんだけど……いい?」
「突然? って、もちろん貰えるものは何でも貰っとく主義だけど」
「フフッ、それじゃ目瞑って」
「おお、なんか面白そうじゃねーか」
カナセは笑いながら、そっと目を瞑った。
暗闇の中、ユフミが何をくれるのかそわそわするカナセ。
一歩二歩と近づいてくる足音。
すぐ近くにユフミの体温を感じる。
そして……頬に柔らかい感触がした。
「えっ……?」
思わず目を開けてしまうカナセ。
すぐそこに、目を閉じたユフミの顔があった。
「きゃっ! まだ開けちゃだめなのに!」
「ご、ごめん! って、今の……」
「いいよいいよ、もう! 考えちゃだめ!」
「……お、おう! なんかその……めっちゃ楽しかったぜ、今日」
「うん! って、凄く大事なこと忘れてない?」
「ん? なんかあったっけ……って、しまった! ラミカとの約束か!」
「それ! 昨日と同じ時間って言ったんだよね?」
「ああ、夕方ぐらい……」
すっかり暗くなっている夜空を見上げて、絶望するカナセ。
だがすぐに気を取り戻し、とにかく急いでバス停へと向かった。
水族館を出た直後よりも、並んで歩くふたりの距離は確実に近くなっていた。
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