第17話 美味しい炒飯は火炎が命
日曜の午前八時、東氷都異戸川区に店を構える炒飯専門店〈魔炎軒〉。
焦げたネギとゴマ油の香りが漂う厨房に、野太い怒号が響く。
「オマエ、魔法の天才っつったよなぁ⁉ やる気あんのかゴラァ‼」
頭に白い手ぬぐいを巻き、店のロゴがプリントされた黒Tを着た店長、浅川ゴズイチが左手で巨大な鉄鍋を振るう度に、米やネギが美しく舞い踊る。
紺色のパーカーを着た希崎カナセは彼のすぐ横に立ち、広げた右手を鍋の中の具材に向かってかざしながら叫ぶ。
「うっせぇ! いま出してやるから黙って見とけおっちゃん‼」
カナセは両足を大きく広げて腰を落とし、左手で右手首を強く握りしめながら気合いを入れる。
「業火の炎ですべてを燃やし尽くせ……モッファイ‼」
十歳の誕生日に父から教えて貰った魔法の名前を叫ぶ。
基本的に、カナセは”自由発動系”の魔法使いに分類される。
呪文詠唱や印結びなどのルーティーンをせずとも、心に思い浮かべた魔法を自在に発動できるのだ。
それでも敢えて魔法の名を叫ぶのは、本気の証。
モッファイ自体は火属性魔法の中でも低級の部類だが、膨大な魔力を誇るカナセにかかれば、炒飯に香ばしい焦げ目を付けるに留まらず、この厨房自体が黒焦げになってもおかしくない……はずだったのだが。
──シュポッ。
カナセの右手の平から、弱火……いや、とろ火ほどの可愛らしい小さな炎が飛び出し、目にも止まる遅さで鍋の中へと飛んでいくと、米粒およそ十粒程度を優しく焦がした。
ほんの僅かに、醤油の香りが立ち上る。
「……よし。今日はこれぐらいで勘弁してやるか」
両手を斜めにはたきながら、うんうんと頷くカナセ……の頭に向かって振り下ろされる、銀色の丸。
パコッ‼
それは、お玉という名の鉄槌だった。
「いってぇ! なにすんだよ⁉」
「カナセ、オマエの力はそんなもんか?」
ゴズイチはコンロの火を消して鍋から手を離し、静かに問う。
「いや、だから、魔クセサリーってのを付けてないと、本当の力の何%しか出せないって──」
「だったら、それが今のオマエの実力ってことだろ?」
「ま、まあそうだけどよ……」
「俺は、魔法は使えねえし、正直なんもわかっちゃいねえ。でもな、そのなんとかセサリーってのが無いなら無いで、今できることをやる。金が無いのに、『金さえあれば何でも出来るのに』っつって、なんもしねえのはかっこ悪いと思わねーか?」
ゴズイチがカナセに向ける眼差しは真剣そのもの。
「……ああ、たしかにそうだよな。かっこわりいし、面白くねぇ! 面白くねぇよ、おっちゃん!」
「だろ? 最初から上手くできるやつなんていねえんだからよ。少しずつ成長すればいい」
ゴズイチは、ぶっきらぼうに優しく微笑んだ。
「おっちゃん……! オレ、今はダメダメだけど、ぜってぇ成長するから! 努力して努力して、最高の炒飯焦げ師になってみせる!」
「おう! それだそれ! それを待ってたんだよ! カナセ……いや、我が息子よ!」
「おっちゃん……いや、とうちゃん!」
ガタイの良い男ふたりが、狭い厨房でギュッと強く抱きしめ合う……のを、カウンター越しに呆れた目で見つめている女の子。もちろんユフミだ。
「ねえ、パパ、カナセ君、朝ごはんまだぁ~? お腹ペコペコだよ~」
スウェット姿のユフミはカウンターに両手をつき、その上に顎をのせ、じっと炒飯が出来るのを待っていた。
そこへきて、謎のメロドラマが始まって呆れつつも、どこか嬉しげな表情でもあった。
「ああ、すまんすまん。もうすぐ出来るからな」
「お、おう。地道に焦げ目付けてるから、もうちょい待っててくれい」
カナセとゴズイチは、気まずそうに距離を取り、それぞれの役割に戻った。
ゴズイチが鍋を古い、カナセは細々ながら魔法で焦げ目を付ける。
そもそも、なぜそんなことをしているのか?
現代において、美味しい炒飯を作るために一番必要なのは”魔法による火力”と言われている。
炒飯専門店〈魔炎軒〉でも、ゴズイチのよきパートナーとして魔法が使えるベテラン店員(勝山さん)がいるのだが、魔法ウイルスにかかって休養中であった。
そんな時、魔法が得意なカナセが現れ、白羽の矢が立てられた、というわけだ。
カナセとしても一宿一飯の恩義があり、得意な魔法で力になりたいと心から思っていたが……魔クセサリーがないこともあって、上手く焦げ目を付けられず。
「おし、出来上がり! ほらユフミ」
完璧では無いが、初めてカナセと力を合わせて作った炒飯をゴズイチはお玉で丁寧に皿へよそい、カウンターの上に置いた。
「わーい! いっただきまーす!」
嬉しそうにレンゲで食べ始めるユフミ。
その様子を、カナセは緊張気味の眼差しで見守っていた。
「……んまーい! めっちゃ美味しいよ!」
「よっしゃ! 焦げ目か? オレの焦げ目が効いてるのか⁉」
「うーん、焦げ目はやっぱりいつもの勝山さんのやつのが凄いけど、それでも十分美味しいよ!」
「……あ、そーだよな」
カナセは、がっくりと肩を落とした。
すると……。
パコッ‼
またしても、お玉による鉄槌が下された。
「いってぇ! ちょっ、なんでだよ⁉」
「くよくよするんじゃねーよ小僧が。魔法だって勉強だって料理だって、最初から上手くできるやつなんていねーよ!」
「おっちゃん……」
カナセの肩が少し上がった。
「ちょっとずつ成長すれば良いじゃねーか。あんまり言いたかねえけど、一発目にしちゃ上出来だったしな」
カナセの肩がグッと上がった。
「ってことで、もうすぐ店がオープンだ。さすがに中途半端な焦げ目を客にだすわけにはいかねえけど、それ以外の店の手伝いでもしてみるか?」
「おお、やらしてくれ! 挽回のチャンス!」
「ああ、見せて貰おうじゃねーか!」
カナセとゴズイチは、どちらかともなく、なぜか固い握手を交わした。
どうやら、このふたりは熱量の度合いが似てるらしい。
「もう、どういう展開なのこれ」
ユフミは炒飯を食べながら呆れた風に呟いたが、顔はとても嬉しそうに笑っていた。
昼過ぎ、ランチタイムが終わり、店は落ち着きを取り戻していた。
カナセは、ユフミと共に接客(席への案内、オーダー取り、料理の提供・片付け、レジでの精算)や清掃、皿洗いなど、とにかくひたすらがむしゃらに動き続けた。
誰よりも自信のある魔法で良い結果を出せなかったという負い目は少なからずあったが、無心で働くことの喜びも大いに感じていた。
同世代ナンバーワンを誇る膨大な魔力は、間違いなくカナセの中で燻っている。
魔クセサリーで解放することができないその強大なパワーのほんの一部であっても、体を動かして働くことで発散できたのかも知れない。
その働きっぷりを、店長が見逃すわけがなかった。
「おい坊主、やるじゃねーか」
カナセが布巾でテーブルを拭いていると、カウンターの前で一息ついていたゴズイチから声をかけられた。
「おう、サンキューおっちゃん! このあとも頑張ったるぜ」
カナセは手を動かしたまま、振り向いて笑顔を返す。
「いや、オマエとユフミは今日はここまでだ。ふたりとも、明日は学校の入学式だろ? フルタイムで働かせるわけにはいかねーよ」
「えっ、別に大丈夫──」
と言いかけて、カナセはラミカの依頼を思い出した。
明日は単なる入学式では無い。
場合によっては、とんでもない戦いが起きる可能性は十二分に考えられる。
とは言え、ラミカとの約束の時間までまだかなりあった。
特に予定も無く、働いていたほうが気楽とも言えたのだが……。
「ほらよ、これ常連さんから貰ったんだ。ふたりで行ってこい」
ゴズイチがバンッと音を立ててカウンターの上に置いたのは、2枚のチケット。
「えっ? なになに?」
興味津々で駆け寄るユフミ。
「……わっ、水族館のチケットだ! 良いのこれ?」
「ああ、俺は魚より肉派だからな」
微妙にズレた理由だが、そこにはゴズイチの優しさが溢れていた。
「ありがとうパパ! ……って、希崎君、どうする?」
ユフミは、少しだけ不安げな表情でカナセの方を見た。
が、その心配が一切必要無かったことは、カナセの表情が物語っていた。
「うおぉぉぉ! オレ、水族館なんて行くの初めてなんだけど⁉ 楽しみ過ぎるぜぇぇぇ‼」
両拳を強く握りしめ、喜びの深さを体現するカナセ。
「うん! 私、準備してくるね!」
「おう! 待ってるぜ!」
ユフミはフンフンフンと鼻歌交じりで店の奥に消えていった。
「そんじゃオレは……掃除でもしとくかな」
「おい、小僧」
「ん?」
「ほらよ」
またしても、ゴズイチはバンッと音を立てながら、カウンターの上に何かを置いた。
茶色い封筒。
その中に入っていたのは……。
「……えっ? か、金じゃねーか‼ なんだよこれ、どういうことだ⁉」
激しく動揺し、わなわなと体を震わせるカナセ。
「おいおい、たかが3千円だぞ? 今日働いてくれた分の給料だ。学生料金だけどな」
「……うおぉぉぉぉ! 金! 金だぁぁぁぁ‼」
「おい、恥ずかしいからやめろこらっ! そのボロボロの服もだぞ。どっかの店で適当に新しい服でも買って──」
「うおぉぉぉぉ! 金! 金だぁぁぁぁぁ‼」
もはや、カナセの耳にゴズイチの言葉は一切入ってこなかった。
なぜなら、それは久しぶりに手にしたお札。
忘れかけていた匂い。
何をしたのか分からないが、なんらかの偉業を成し遂げた魔法使いの肖像を見て、カナセは涙を流さずにはいられなかった。
「金……金……金だぁぁぁぁぁぁ!」
「やめろやめろ、まったく」
ゴズイチが呆れ顔で首を振る。
そのやり取りは、ユフミが戻ってくるまで延々と繰り返された。
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