第1話 青春は炎の尻尾から始まる

 異葉県と東氷都の県境を流れる一級河川〈異戸川いどがわ〉に架かる橋の歩道を、希崎カナセは歩いていた。

 ボロボロのパーカーに、ヨレヨレのチノパン。

 所持品は38円しか入っていない財布と、契約が切れてモバイルサービスの使えないスマホのみ。


 あまりにも色々な事が起きすぎたゼコマ決勝の日から、半年が過ぎていた。

 両親が姿を消し、マスコミが押しかけて騒動になるのを避けるため、高校に通うことは出来なくなった。

 出席日数は足りていなかったが、ゼコマ優勝者であることが考慮され、特別に卒業が認められたのだけが唯一の救い……なわけない。


 国家転覆を謀った大犯罪者(仮)の息子というレッテルにより、最高学府に進む道は閉ざされ、優勝前から誘われていたプロ魔法バトルチームからのスカウト話も立ち消えに。

 それでも、ゼコマ優勝者特典として返済義務の無い奨学金1000万円が貰えるのであれば、とりあえず遊んで暮らすことも可能……だったのだが、それすらも叶わぬ夢となってしまった。

 

 魔力発電所の爆発事故により発生した天文学的損害額の賠償金として、希崎テイタツのあらゆる資産(カナセが住んでいた家も何もかも)が没収され、さらにはカナセの奨学金までもが、将来分も含めて全額、その支払いに充てられてしまったのだ。


 どう考えても、絶望の淵。

 橋の上から身を投げてもおかしくない状況。

 ……だが、カナセは笑っていた。


 東氷湾から吹き込む春の風で、少し伸びた髪をなびかせながら、希崎カナセは笑いながら橋の上を歩いていた。

 決して、気が狂ったわけではない。

 そこには、彼の特異な性格が大いに関係しているのだが──。


「おっ、なんだあれ?」


 橋を渡った先、つまり東氷側の河原に、動く火の玉が見えた。

 サイズ感や色味からして魔法による火である可能性が高い。

 つまり、触らぬ神に祟り無しもとい、触らぬ魔法に祟り無しといったところだが、カナセに常識は通用しない。


「さすが大都会東氷、早速面白そうじゃねーか!」


 ヒューッ、と陽気に口笛を鳴らしながら、全力で走り出す。

 ……そう、カナセの人生における最優先事項は、お金でも、権力でも無い。

 面白ければ、すべてよし!

 どんなに金が無かろうが、好奇心だけは売りきれないほど有り余っていた。




「ちょっ、ちょっとネコちゃん! 私が消してあげるから、ジッとしててよ~!」


 土手の階段を駆け下りるカナセの耳に、ふわふわした女の子の声が飛び込んできた。

 目を向けると、なぜかグルグルと円を描くように走り回り続けている小柄な女子の姿。

 水色のトレーナーに黒いショートパンツ姿の少女、ぱっと見、年齢はカナセと同じか少し下か。

 肩より少し長めの黒髪を揺らしながら、グルグルと必死に追いかけてるのは……猫!

 しかも、尻尾に火が着いた猫だった。


「おーい、そこのショーパン娘!」


 カナセは叫びながら、三段飛ばしで一気に階段を駆け下りた。

 グルグル回る少女と、一周するごとに目が合う。


「ど、どうも──」

「えっと、なにかご用──」

「ですか?──」


 可愛らしいショーパン娘は、三周分を費やし、丁寧な言葉で質問を投げかけてきた。


「なに、ってもう、この状況が気になってよ! おもしれーけど、なんでこうなった⁇」


 その間もずっと、尻尾に火が着いた白猫はグルグルと逃げ回り続けている。

 尻尾の火は、輪郭の明瞭さから言って間違いなく魔法によるものだが……。


「このネコちゃん、魔法が使える誰かに──」

「イタズラされたみたいで──」

「可愛そうだから私が──」

「消してあげようとしてるんだけど──」

「ジッとしてくれなくて──」


 ああ、なるほどね、とカナセは大きく頷いた。

 その割に、逃げ回る白猫は鳴き声も上げずすまし顔だったり、彼女の方も追いかけるばかりで水魔法を出そうとしてなかったり、気になる点はある。

 だが、カナセは好奇心で目を輝かせ、グーにした右手を前方に突きだした。


「オッケー。そのニャンコの火を消せばいいんだよな?」

「う、うん──」

「へへっ、そんじゃいくぜ。ウォタージュ!!」


 カナセは右手の人差し指だけ伸ばしながら、水魔法の呪文を叫んだ。


「ごめんよニャンコ、オレ魔法の調節するの苦手だから、ちょっと強烈かも知れねーけど我慢してくれよな」


 その言葉の通り、大量の水魔法が白猫に向かって放出され……るかと思いきや、カナセの指先から出たのは、猫の尻尾よりも細い水。

 チョロチョロと、どこか恥ずかしげな音を立てながら。


「あっ、消えた! 凄い! ありがとう──って、キャッ!」


 腐っても鯛。細くても魔法水。

 カナセが放った水魔法ウォタージュにより、白猫の尻尾を燃やしていた魔法の火は見事に消え去った……と、同時に、少女のショーパンも濡れた(決して変な意味ではない)。


「にゃーん」


 何事も無かったように立ち止まって毛繕いし始める白猫。

 その横で、びしょ濡れの下半身(本当に変な意味ではない)を両手で隠そうと、慌てまくるショーパン娘。


「うわっ、すまねぇ! 今すぐ乾かすから!」


 カナセは彼女の元に駆け寄りながら、小声で小さく「モッファイ」「ウィゼカ」とふたつの呪文を唱えた。

 すると、カナセが広げた左手に小さな炎の玉が、右手には風の渦が生まれる。

 そのふたつを器用にかき混ぜ、適度な温風となった魔法をショーパン娘に向かって優しく放つ。


「えっ……なにこれ……」


 ショーパン娘は一瞬戸惑いの表情を見せたあと、すぐ笑顔に変わった。

 目をつむり、両手を広げてカナセの魔法を受け止める。

 少しクセのある黒髪が風でフワリと揺れ、びしょ濡れだった白のショートパンツがみるみる内に乾いていく。


「へへっ、どうよ、オレのドライヤーは?」

「うん、凄く気持ち良い! ほら、もう乾いちゃった」


 ショーパン娘は無邪気に両手両足を広げながら、顔をくしゃっとさせるように笑った。


「ああ、そりゃ良かった」


 満足そうに頷くカナセ。


「ありがとうございます! ……って、その前に濡らされちゃってるんだけど!」

「あっ、そ、そうだったな。ごめんごめん!」


 カナセは顔の前でパチンッと両手を合わせて、思いきり頭を下げた。


「ううん、いいよいいよ! ネコちゃんの火を消してくれたんだし! 本当は、私が自分で消したげたかったんだけど、まだまだだなぁ~」


 しょぼんとした顔で、肩を落とすショーパン娘。


「ん? もしかして、魔法の練習中とか?」

「そう……かな。でも、全然ダメダメだし。憧れちゃうなぁ、あんなに色んな魔法使えるの! えっと……名前聞いても大丈夫?」

「ああ、もちろん! オレは希崎カナセ、よろしくな!」

「えっ……?」


 なぜかそのタイミングで、ショーパン娘は驚いた表情を見せた。

 が、すぐに笑顔に戻る。


「私は浅川あさかわユフミ! 改めまして、希崎君、さっきはありがとうございます」


 ショーパン娘もといユフミは両手を揃えて、丁寧にお辞儀をした。

 

「おいおい、堅苦しいのはやめようぜ! オレたち、濡らしたり乾かしたりした仲なんだからさ!」

「うん! そうだね! って、その言い方ちょっとなんかやだけど……」


 ユフミは顔を赤くしながら、クスッと微笑んだ。


「はは、違いねぇ。まっ、オレの強烈な水魔法で濡らしたことに変わりはねーけど」

「ん? あのチョロチョロした水のこと?」

「……クッ! 言うじゃねーか。面白い、気に入ったぜ!」


 カナセは豪快に笑った。

 ふたりのちょうど間あたりで座ったままの白猫が、呆れたように「にゃ~あ」と大あくび。


「ってか、そもそもなんでコイツ、尻尾に火が着いてたんだ?」

「うーん……それは私も分からないんだよねぇ」

「えっ?」

「うん。自転車で河原沿いの道を走ってた時、この子に気がついて。その時にはもう、尻尾燃えちゃってたの」

「へえ、そうなんだ。誰かが魔法でイタズラして燃やしたりなんかしたんじゃねーだろうな。ったく、だとしたら許せん」


 カナセは顔をムカッとさせながら、足下にあった小石を軽く蹴った。

 小石はまるで反発した磁石のように、思いきり弾け飛び、10メートルは離れている異戸川に届いてポチャンと水しぶきを上げる。


「優しいんだね……って、なに今のすごい! どうやったの⁇」

「ああ、つま先に魔法を集中させとくだけ。結構簡単だからやってみ?」

「むりむり! そもそも私、めっちゃ魔法下手くそだし!」

「マジ? コイツの火を消そうとしてたのに?」


 カナセが見下ろすと、白猫は目を閉じてのんきに昼寝モード。


「そ、それは……」


 痛いところを突かれたといったように、焦るユフミ。


「今日は調子が悪くて! ……って、ううん、ウソ。どんだけ頑張っても、ちっとも上手くならないんだよね。だから、この春から魔法専門学校に通って本気で勉強しよっかなって」

「ん? それってもしかして……イドマホ?」

「そうそう! って、なんで分かったの?」


 ユフミは目をキラキラと輝かせながら、カナセの方にグイグイ近寄ってきた。

 ちなみに、イドマホ=異戸川区立魔法専門学校の略、である。

 ふたりの距離が縮まり、カナセは少し照れながら、

 

「いや、分かったっつーかなんつーか、オレもそのためにこっちに来たから」

「……希崎君も⁉ イドマホに⁇」

「そ、そうそう。イドマホに」


 ユフミが手を伸ばせば触れられる程の距離まで近づいてきたことに、戸惑うカナセ。

 そして、ユフミは本当にスッと手を差し出してきた。


「私たち同級生じゃん! 希崎君、よろしくね!」

「お、おう! よろしくユフミ」


 カナセはチノパンに右手をこすりつけてを落としてから、恥ずかしそうにユフミの手に触れた。

 中高一貫エリート校で魔法中心の生活を送り続けてきたカナセにとって、今日この時こそが、間違いなく青春の始まりであった。

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