嵐顎大怪獣コーポロッサス
圷結衣は自室に篭り、一人座り込んでいた。ヘカテが迎えの魔法陣を呼び出し、壊滅した施設から帰って来てからずっとこの状態である。無理もあるまい、彼女は残虐の頂点に位置するであろう無差別殺戮を目の当たりにして、PTSD気味になってしまったのだから。気味、と付けたのには訳がある。この部屋には鍵をかけてあるが、もしそれを難なく突破して来る者が居なければ、気味が取れて、只のPTSDになっていたに違いない。
部屋の壁に、例の工場機械群が侵食し、PTSD気味の元凶たる、魔法少女インダストが機械から姿を形成して結衣に飛び付き、抱き締めて、泣きながら訴え掛ける。結衣はあの一件の後、手を振り払ったのを皮切りに、恐ろしくて堪らず、接触を避けていたのであった。疑心や恐怖とは、幾ら押し殺そうとしても出来ぬものである。それをインダストは、嫌われたと受け取ったのである。
「ネエ、待って! どうして話し掛けてもくれないノ! どこか私に悪いところがあったノ? 直すかラ、お願い、無視しないデェ!」
「きゃあああぁ! ああ、わああああああ!!!」
結衣はまず部屋の変貌に驚き、次いで半ばトラウマになっている少女の登場に絶叫し、度を失って倒れ込んだ。その狂態も尋常ならば絶対にしない様な事であったが、インダストはそれが霞む程に取り乱していた。結衣の胸に顔を押し付け、帰還前の結衣の比では無い勢いでワンワン泣いているのだ。自分より冷静を欠く者に出会い、結衣の精神状態は幾らかまともになった。尚、ここで使う尋常とは、今までの数時間を指すものでは無く、その前の九年ちょっとの彼女の生涯を指すものである。
「グス、えっぐ、ひぐ、エエエエン! むじじないデエエ! ワアアアアン!」
泣きながらゴリゴリと頭を結衣の胴体に擦り付け、廿の指を全て使って身じろぎも出来ぬ怪力でホールドする様は、年相応か、それより幼く見えた。彼女が大虐殺を起こした事も、これを見ればまるで嘘の様に感じた。そして、結衣は、泣き疲れてすやすやと、邪気と言うものの入る一片の余地も無く寝入った魔法少女を見て、それを異様に思うよりも先に、その事でずっとうじうじと悩み、自分を責める自分が次第に馬鹿らしくなってきてしまった。心の傷口にパテやはんだを塗った様な具合になり、常識の未だ定着のしていない年頃なのもあるが、朱の世界に入らば朱に染まれと言うが道理では無かろうか。罪悪を捨てる事はとうとうしなかったが、傷心を庇わんとする深層心理の働きは、徐々に倫理観を変形させて、心を壊さずにどうにかこうにか上手く適応しようとするものであった。
寝息が立つのに連れて抱き締める力も緩められたので、結衣は寝る子を起こさぬ様に慎重に退かす。硫化水銀の臭いが鼻を突き、彼女は少し顔を顰めた。焦げ茶のさらさらとした手触りのロングヘアを目一杯に広げていた頭をそおっと動かす。服を濡らし、閉じられた瞼からも溢れそうに溜まっていた涙は、首を断って流したあれよりもずっと感情が籠もっており、拳銃の弾をも効かぬ肌は、ほんの僅かな力を掛ければ、手の形に合わせてぷにぷにと凹む。彼女はこの幼い魔法少女の異常な迄の力を知りながら、インダストの事を、庇護の対象たる幼子としか見る事が出来なかった。
さて、心情に多少の余裕が生まれ、生来の活動的なる性格を多少なりとも取り戻した彼女は、冷えた汗と涙で体がべたべたになっている事に気付き、不快を感じた。無駄に遠いシャワー室に行こうとすると、扉も壁と同じく機械に埋め尽くされており、出るにも出られない。彼女は図らずも、この部屋に閉じ込められてしまったのだ!
インダストを起こせば済む話だろう。生成したのが彼女なら、撤去も又訳もない事は自明である。しかし結衣はまだ怖さを捨て切れていない。下手に起こして寝惚けた間、意識外に叩き潰されぬとも限らないと懸念していた。魔法少女に変身し、氷柱を投げ付けて打開を試みようにも、パイプ一本断ち切る事は出来なかった。汗を凍て付かせるなど論外、窒素も気体状態を保てぬ温度では、凍傷で少なくとも指の一本や二本は覚悟せねばなるまい。変身した状態だと寒さを感じぬ事もあり、もしかすると上手く行くかも知れないが、それは余りにも冒険が過ぎる。ここに来て大ハマリ、インダストが起きるまでの数時間、彼女は進退窮まってしまったのである。これでは不快の元凶を断てぬまま、この服が貼り付くむず痒さと、体温程度に温くなった暑苦しさの綯交ぜになった感覚を持ち続けなければならない。
結衣が途方に暮れていると、落ち着いた調子の足音が聞こえて来た。間の良い救いの手である。此方に近付く鞜は、部屋の直ぐ前まで到達すると、ガチャと金属の小気味良い音が鳴った。ノブを回して扉を開けようとしているようだ。扉は固定されているので、開く筈は無い。二度、三度とドアノブが回された。苛立ちの為か、少し乱暴になっている。更にガチャガチャと絶え間無く、扉の先の人物は扉と格闘している。結衣は内心応援しながらそれを聞いていたが、投げやりに放棄された、一際に大きな音を最後に遠ざかる跫音を耳にすると、肩を落として落胆した。
と思いきや、向こうから放たれてきたレーザーが扉を機械ごと溶断し、10トンはありそうな機械が床に落ちた。当然床は抜けた。
もう滅茶苦茶に破壊された部屋の残骸から平然と姿を現した人影は、インダストと同じく魔法少女と断定して差し支えない格好であった。くりくりとした大きな黒目と丸顔が特徴であったインダストとは対照的に、かっ開いた三白眼は蝮を思わせ、鼻筋はタイパンの如くすらりと通り、きつく結ばれた薄い唇は、端のみが少し緩んでブラックマンバ流の愛嬌を醸し出していた。表情は大人びて眉目秀麗な中にも、例えるならばヤマカガシの毒牙と言った趣の奥まった獰猛な鋭さがあり、黄土と金の中間色の髪はゴールデンランスヘッドの様にうねり、170センチを超える背丈を流れ、床に付く直前まで伸びていた。恰好は魔法少女と一目で判る奇抜なロングスカートであったが、上は緑蒼に菱紋の和服であり、薄く膨らんだ胸の右辺りには、蛇の目九曜の紋が配置されていた。
「おい。起きて。ポンコツ。仕事来たよ。デカブツやっつけるやつ。カテゴリー8だから、私だけじゃ互角どまり。手伝って。」
何かと蛇みたいな少女は、寝ているインダストに向けて、唐突にぶっきらぼうで、見た目よりも舌足らず、張りや語気が無く子供らしい声で剣突を食らわした。インダストは寝たまま反応を示さなかったが、部屋を取り巻いていた機械が一斉に赤の光を向け、大量の凶器が即座に飛んで来た。少女はそれを掴み取り、ケーブルを引っ張って雑に千切っては放り投げ、壁から機械をまるまる引っぺがした。
「クソボケカス、サボる気か。じゃあ、こっち借りるね。こんな奴知らないけど、お前と一緒にいるくらいなら、足しにはなるよね。」
発言と同時にインダストががばと跳ね起き、数メートルの距離を瞬間移動と何ら変わらぬ速度で詰め、機械の腕で殴り付けて少女を数キロの彼方に吹き飛ばした。闇の中に人影が消える。結衣がそれに行動を指し挟む時間はコンマ一秒として無い。二秒前後で戻って来た少女の胸倉を掴み、揺さぶりながらインダストが荒々しく吠える。
「ラドン、今、この子は新人けんしゅー中ですのヨ!? そんな化け物相手に出来る訳無いじゃないですノ! まずは宇宙戦艦でも沈めて、経験を積ませるヒツヨーがあるワ!」
「怪獣の足止めと宇宙艦隊の殲滅じゃ、どっちも大して変わらない。それに、この子にさせるのは私の手伝い。私だけでも戦えるから、ぶっちゃけそんなに強さはいらないし、危険も無い。元々、てめえがサボるのがいけない。手伝え。」
するとインダストはくるりと回り、頬に指を当て腰を曲げてウインクしながら言う。
「私は別件で忙しいのですワ。手が幾つあっても足りません事ヨ。貴女だけでも戦えるんでしょウ? 一人でやってればイイじゃないノ。」
「ばあか。グースカ寝てた奴の、どの口が言う。もっと言うと、互角なら五分五分で負けるて事だよ。そんなのもわかんねえの? アホ。借りてく。拒否権があると思うな。お前も…あれ? あの子どこ行った?」
「浴場の方ヨ。それと、貴女に同行させてもイイけど、くれぐれも結衣ちゃんを傷付けないで頂戴ネ。モシ掠り傷一つでも付いていたら、貴女を八つ裂きにしてやるワ。」
会話が終わると、もう此処に要は無しとばかりに、ラドンと呼ばれた少女は姿を消した。
結衣は浴場の方面へ歩く。この屋敷の中ではかなり近い方、それこそ隣の部屋程度の間隔なのだが、それでも200メートルは下らない。この遠さは無駄に他ならないだろう、と考えていると、先程の少女が飛んで来た。暗さにも慣れて来た頃合いなので、今更驚きはしなかった。
「勝手に行かないで。お前、私の手伝いをする。」
「その前にシャワーを浴びたいの。それが終わったらね。」
「なるべく早くね。急務だよ。」
あしらい方にも手慣れてきた。とてもさっきまで倫理観の相違に苦しんでいたとはとても信じられないものである。平気で人を殺す事ならば兎も角、ただ破壊的で破天荒なだけならば、既に日常の一つとして馴染んでいた。小児の適応力には恐るべしと形容するのが適当である。
ラドンはずっと彼女の背を追尾し、常にじっと見つめている。歩いているとき、浴場に到着したとき、脱衣までまじまじと見るのであるから、同性と言えども堪ったものでは無い。おまけにその爬虫類的な視線は、一度向けられれば、百や二百もの目線が向けられた様な感覚になるのである。即ち彼女の前で裸体を晒せば、心持ちでは百人の群衆の面前で猥褻を働くのと同義であるのだった。そのせいで結衣はする必要も無い赤面をし、味わう必要の無い羞恥を感じた。しかし彼女は人の裸身に見入る淫乱者では無い様である。一刻も早く仕事に向かいたい、と、仕草からはワーカホリック染みた焦燥が滲み出ていた。
服を着終わるタイミングを見計らい、少し苛々として口を開く。
「私はラドン。お前には私を手伝ってもらう。今回相手にするのはこいつ。」
ラドンは写真を壁に貼り出した。酷くノイズが入り、よく見なければテレビの砂嵐と変わらない程の不鮮明なものである。辛うじて真ん中に、大きな何かがあるのが判る位のもので、この写真の資料的価値はゼロに等しかった。
「嵐顎らんがく大怪獣コーポロッサス、全長170メートル、身長94メートル、体重約55,000トン、カテゴリー8。名前の通り、嵐を操るよ。この写真がこんななのも、それのせい。アメリカ海軍と交戦して、アーレイバーク級3隻、アヴェンジャー級2隻を撃沈、壊滅させた事がある。これが太平洋から日本に来るから追い返す。」
怪獣は良くテレビで取り上げられ、人が豆粒に見える程の大きさである事は知っていたので、特に疑問にもならなかった。然しカテゴリーについてはどこかで聞いた事があるような、無いような、精々がその位で、委細については全く知らなかった。すると、それを察したか、ラドンはカテゴリーについて説明を始めた。
「その顔は、カテゴリーかアーレイ・バークかのどっちかを知らない、て顔だね。後者は軍艦。前者はなんか色々な怪物の被害の程度を分類する為の、十段階の評価。数字が大きいとやばくなる。8だと一回暴れる度に国が滅ぶくらい。怪獣のカテゴリー8は基本死なないし、大体一匹で人類を皆殺しに出来るよ。」
結衣は眉をひくつかせ、次ぐ句を絶った。国が滅ぶ? 人類を皆殺しにする? そんな化け物と戦えるか? 答えは否。魔法少女達の狂った世界に入り込みかけていた彼女も、一気に世間一般へと引き戻されて来た。
「無理。出来る訳無い。」
「拒否権が有ると思ったの。無いよ。」
ラドンは背中から生やした翼を広げ、結衣を抱えて壁に突っ込み、余りに強行的に外に出た。結衣は咄嗟に変身し、氷の壁を張って屋敷の破片とソニックブームを防ごうとしたが、翼の具合によって上手く避けられている様だった。
視界は屋敷を出て一気に広がったかと思えば、今度は森を下方に置き去りにし、鳥を抜かし、雲を突き抜け、飛行機の上を行き、遂には何の飛行体も無い場所まで数秒で上昇した。夜明けの日光を正面に受け、山吹色に翼膜が煌めいて、雲の切れ目からは、黒の中に黄色を波打たせる雄大な海が通り過ぎて行った。結衣は美しい景色に息を呑んだ。減圧と酸欠は、この魔法少女の体ならば、そこまで問題では無いらしかった。
それにしても凄まじいのはこの魔法少女の速度である! 音速を遥かに上回るその豪速! 直ぐに上昇したのも頷ける、何故ならその衝撃波だけで街を更地にするのも容易であるからだ! そんな戦闘機に追随、或いは凌駕さえ可笑しくない速度ならば、到着に時間の掛かろう筈は無い。上昇も急なれば下降も又然り、航空力学を真っ向から鼻で笑う急制動で殆ど直角に降下、直立態勢で金色の両翼を展開し、速度を緩めて青に金縁の雲に突入の後、その下に尖塔の如く艦橋の聳え立つ、白亜の変わった戦艦に、ゆっくりと降り立った。それと同時に、惚れ惚れする様な素早い身の熟しで、何故かいる機動部隊が、銃を構えてラドンと結衣を完全に包囲した。結衣は心配を沸き起こした。我が身の心配では無く、この包囲している機動部隊に対してである。フラッシュバックもどきが目に浮かび、一寸冷や汗が伝う。もうあれを見たくは無い、それどころか世界中の何処かでそれに近いものが起きている事自体が耐え難い苦痛となるのである。彼女がラドンに耳打ちすると、呆れた調子の返事が帰ってきた。
「絶対に、一人も殺しちゃ駄目だよ、ラドンちゃん。」
「あのイカれ野郎、まさか、この子供の前であの吐き気を催す所業をしたのか。安心して、私はあんな倫理観の無い、人格破綻者のクズじゃないよ。」
インダストのあれは魔法少女の中でも特殊な事例であったらしい。常識を弁えていないのは彼女だけだった様だ。思えば機械を切ったレーザーも人を切らぬように出力が調整され、飛行時にも微細な塵を防ぐなどの配慮が為されていた。サーチアンドデストロイをしないと言うだけである程度まともな人物だと判断されると、途端にラドンが頼りに感じた。
異様な雰囲気を纏っている武装集団の包囲に切れ目が生じ、そこからこの艦の責任者らしき、頑強な男性が手で銃を下ろすように集団に制し、すると此方に無抵抗である事を証明する様に歩き来て、手に持った資料と此方を見較べた。
「不明魔法少女型実体第二個体、個体名『ラドン』。人類への友好度不明、敵対の意思皆無、現状脅威無し、だが警戒の必要あり、討伐難易度、カテゴリー10相当。敵対行動を取らなければ攻撃を受けた事例は存在せず、人間並の対話能力を持つ。絶対に交戦せず、騙し討ち等の警戒を解く為、この文書を含めたあらゆる情報を求められれば対象にも開示すべし。世界特殊存在群対策局。私は特対局、海生特殊存在対策課責任者だ。貴殿がラドンで間違い無いか?」
「うん、そうだね。これからコーポロッサスを撃退する所。お前達もこんなでかい物持ち出してるんだから、それが目的だろう。」
「コーポロッサスの出現脅威度は8だが、討伐難易度はカテゴリー10だ。撃退も不可能、よって、この度の出撃は、太平洋側に誘導する事が目的となる。」
「その仕事を少しは楽にしてやる。私が手伝えば、撃退も現実的になる。如何か。悪い話じゃない筈だ。」
「元々あの大怪獣は我々では手に余る存在だ。そうでなければ幾つもの都市を破壊される事など無かった。恐らくあれを誘導すると同時に、我々はこの戦艦毎、海の藻屑になる事だろう。人員喪失などは特に珍しい事では無いが、犠牲は少ないに越したことは無い。仮に邪魔をしに来たならば、着陸時にこの船を破壊する事も出来た。柔軟に対応せねばならんな。よし、協力しよう。」
かくして聞いたことも無い組織は、ラドンと協力して怪獣を撃退する事に決まった。結衣はこの戦艦をも容易に海の藻屑に出来、ものの数分で研究所らしき施設を陥落させたインダストの攻撃を防ぐラドンですら救援を必要とする怪獣の強大なるに戦慄した。かの頭のネジの二桁は外れているゴスロリ殺戮機械少女の恐怖に隠されていた本来の戦うべき敵への危機感、そしてヘカテの言っていた果て無き闘争への身入りを、初めて理解する事が出来た。
それと同時に、大怪獣コーポロッサス、それを逃せば、その先には大惨劇が待ち受けている事も実感された。痛ましい軀、寂寥の廃墟、無慈悲なる蹂躙。そんな光景の発生を、見逃せるものか、赦せるものか!
彼女はトラウマに後押しされた強固な決意を抱き、己が命捨つとも止めんと、異常な覚悟に目が据わった。苦痛は心を守る棘の鎧として、心を歪に武装させたのであった。
怪獣コーポロッサスは水平線までならば一瞬で攻撃が可能である為、その外から砲撃をしても、大して長く注意も惹けず、接近されてやられるのが関の山と言う事で、誘導の為、ある程度接近するとの作戦であった。近寄ったら更に簡単に撃沈されてしまうのでは無いかと結衣が質問すると、まだ肉弾の直接攻撃の方が、遠距離攻撃よりも避け、耐える希望が存在する為、より長く、より強く注意を惹けるとの事であった。近付くだけでは余程気が立っていない限りは威嚇で済ませ、攻撃をされればその力を以って排除に掛かる性質であるらしい。
戦艦は波を掻き分けて進む。東日が白い装甲板を金色に照らし、大海原をも名の通りの波状に染め上げる。鳥が戦艦の進行方向の真反対に飛びさって行く。海面からでもありありと見える魚群が、鰭を盛んにばたつかせ、ありとあらゆる生物がこの場より去り行く。甲板にラドンと結衣が並び立ち、前方に注意を向け、臨戦の態勢を整えた。
次第に灰と黒の分厚い雲が日光を遮断し、金装飾を失いドス黒くなった波波は刻一刻と威力を増す。雨がポツリポツリ、次にザアザア、終いにはオノマトペに表す事も不可能な轟音となっていっそ暴力的に船を叩き、風も又荒れ狂い、色相の強い魔法少女の装束と、変身によってグラデーションに染まった髪が、ずっしりと水を吸ったのも構わず旗の様に靡く。
雲は渦を巻き、影は海を覆い、豪雨は数メートル先すら見えなくしてしまい、突風風はともすれば人の身が吹き飛ばされそうになり、大波は甲板まで届き、重厚な戦艦を揺さぶる。
自然そのものが猛っている。この異常気象も全て、たかが怪獣一匹の引き起こしたと云うのかと、疑うのも無理は無い。半径数キロ、数十キロもの広範囲にこれほどの変化を来す、莫大なエネルギーを常に放出し続けるなど、人智を超えている。これから向かうのは、生きとし生ける者全てを畏怖させ、大嵐を司る強大な存在だと、否応にも思い知らされる。
「もう直ぐ接敵。衝撃に備えて。」
ラドンの忠告の直後。恐ろしく巨大な稲光、そしてそう間を置かずに響いた雷鳴が、連続して海面に落ち、破壊の電撃で目の前の海を叩き割る! その威力たるや、まるでモーセの奇蹟のミニチュアが作り出される様に見える程だ!
光の奥に、何か巨大な影がちらついた。数字や映像ではまるで説明にもならぬ大きさで、天まで届こうかとさえ思われた。山か、島か。否、怪獣である。莫大な質量と硬質な荒々しさは隆々と山脈の様に連なり、その存在感たるや、却って現実性を損なうまでになっていた。意思を持ちながらも超然と自然そのものを代表する、海上に進出した海底火山、或いは荒々しく削り出された岩の島とも言える生物的圧力が、目視できるがまだ遠い距離をものともせずに侵入者を押し潰して来る。
それ──嵐顎大怪獣コーポロッサス──が、此方へ向き直る。巌を劔の形に切り出したが如し峻嶮なる尾を水面に叩き付け、自らの背丈に匹敵する高さまで飛沫を上げ、王者たる余裕さえ感じられる緩慢さで、生物としては道理でも、目の前にすれば、こんな安定した大きさの物が動く事が信じられず、それでも当たり前に動いた。
今までは背を向けていたのだろう、100メートルに近い高さの頭部の横に、何かが突き出された。顎である。鰐のそれと形をほぼ同一とする口吻部は他の表皮と同じく禍々しく黒ずんだ堅牢な鱗に覆われ、凶悪な形をしている顎門の内側には、この船を噛み砕くのには充分過ぎる刃渡りと光沢を持つ牙が生え揃う。名前の通りの巨像のイリエワニだ。しかしその威圧は比では無い。鰐としては異様に大きく太く、力強い四肢は、深さ数百数千はあろうかと言う中で、原理不明の二足歩行を可能にし、前肢はキューバワニばりの四足歩行の機能を残しながらも相手を屠る武器として発達し、眼球は牙と共に、暗雲の中において、不気味な程明瞭に冷たい輝きを宿していた。
頭上に渦巻く嵐を冠とし、無数に突き立つ激浪を臣とするならば、この怪獣はさしずめ君主だろうか。かの怨敵アシッドロンでも較べれば芥同然になる存在感を放つ目の前の存在は、まず間違い無く全ての魑魅魍魎の中でも最上位の怪物であった。
怪獣が、怜悧に、印象よりも遥かに知性を思わせる細い瞳孔で、戦艦を見据える。敵かそうでないか、攻撃すべきかすまいかを判断している様であった。それの、鎧の様な腹に向け、戦艦の砲塔が電磁を纏い、レールガンの発射準備をした。
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