第71話 昔を知るあなたと

「い、いきなりどうした?!」

「だって……その……い、嫌だった?」

「そうじゃ、なくてだ。な、なんだ……その……」


 いきなりすぎて。そっちの意味で驚いているんですって。てか今日の宮岸、Sじゃないのに、かなりグイグイくるなぁ?!


「なして急に?」

「だって……今は大桑さんだけど、昔の君を知っているから……なんか今更、落ち着かなくて。それに……樋口さんって呼んだら、米林さんと葉月さん以外がびっくりしちゃうし」


 俺の意見としては、いきなり名字呼びではなく名前呼びになった方が皆さんびっくりしますがね。旧姓呼びしようが、皆びっくりすると思いますが。

 俺と宮岸に過去の繋がりがあったことについて、いずれは話さなきゃならないことにはなるかもしれないけども。二人の関係性についてをあれこれ聞かれることになると思いますけど。


「そ、それに……」

「それ、に?」

「私の知ってる樋口さんはもう居ないけど……。煌晴君は変わらずに今、私の前にいるから」


 確かに、彼女の知る樋口煌晴はもう居ない。代わりに居るのは、数年経って名字と心の内と、少し外見の変わった大桑煌晴だ。


「確かに名前は変わってないけどな」

「うん。だから、そう呼びたくて。新しいあなた……ではなくて。これまで通りのあなたとして」

「なんか色々と、気持ちの整理とか、心の準備をしなくちゃならんな。俺としては」


 莉亜と葉月はずっと一緒に居たもんだから、名前呼びに抵抗なんか全くなかったんだけどな。てか元から名前呼びだったし。

 でも宮岸の場合、過去に面識はあったにしても、その時の交流はほとんど皆無と言ってもいいだろう。あったのは秋の遠足で同じ班になったくらいなんじゃないか。

 高校入ってからにしても、特別深い交流がある訳でもない。


「やっぱり……慣れない?」

「いきなりになるとな。もどかしいってか……落ち着かないってか」


 でも、あの宮岸が俺を呼び出して二人きりになって。勇気を振り絞って言ったんだ。ここで俺がなよなよしていては、宮岸に申し訳ない。

 あの時の彼女の目に映っていた俺は、果たしてどんなもんだったのだろう。思い出話から回想すると、自分に自信を持たせてくれたヒーローなんだろうか。そんな大それたもんでもないとは思うけど。


「じゃあ……こうしよう」

「どうすんの」


 それでもわかったと言いきれない俺に、さらに彼女はこういうのだ。


「私のこと……蕾って、呼んでもいいから……‼」

「ほんとに今日どうしたんすか?!」


 宮岸ってこんな積極的でしたっけ?!

 それともあれか。これまでの物静かなのは演技で、時々見せるドSの方が本性だったりするのぉ?!


「疑いたくはないけどマジでどうした変なもんでも食ったのか!?」

「流石に……それは無い。こうして頼むの……すごく、恥ずかしい……から」

「そこまで恥ずかしがらんくてもいいだろう。ともかく。どっちがホントの宮岸なのか分からんくなってきた」


 それともあれか。二重人格ってやつなのか。もうわかんねぇよ。


「それで……その……ダメ、かな?」


 そんなうるうるした目で見ないで。なんかものすごく良心が痛む。

 そうだ。繰り返しになっちまうけど、宮岸がなけなしの勇気振り絞って俺にこう言ってんだ。俺がそれに応えられなくてどうするよ。

 ここは男を見せろ、大桑煌晴。


「わかった。いきなりで慣れないだろうから、名字呼びしちまうことはあるかもしれん」

「……ありがとう。こ、煌晴……君」

「……‼」


 やべぇー。同じ呼び方でも、莉亜の時と感じるものが全然ちげぇー。何だこのトキメキは。


「どうかした?」

「いやいやなんでもない。なんでもないんだ宮岸」

「むぅ……」

「わかってる。すまんかった、み……蕾」


 そう呼んで欲しいと言われても、慣れないものは慣れないんです。

 小学校の時は小室屋って呼んだ覚えがほとんどないし、高校では宮岸って呼んでたから。一番馴染みって言うか定着してるのが宮岸だからなぁ。

 てかお互い名前呼びするのに抵抗ありすぎだろ。初心なカップルか俺ら。


「その、なんだ。改めてって言えばいいのか。よろしく頼む」

「改めて……じゃない」

「なんか。今日はよく語りますね……」


 顔が赤いことには変わってないけど。もうホントの彼女がなんなのか。マジでわからなくなりそう。


「やっと会えて、お礼を言えたから。あの時の男の子に」


 それでも顔を赤くしたまま、彼女はこう言うのだ。


「ずっと昔に出会ってた。ここが初めてじゃない、から。ちゃんと伝えたかった。もし人違いだったとしても、ハッキリさせたかった」

「お互い名字が変わっていたせいで、気が付くのに時間がかかっちまったがな」


 ハッキリ言って、あぁ言われるまでその時の思い出なんて俺は思い出せなかったんだがな。ほんの数分の出来事だったから。


「もう……名前は変わっちゃったけど。でも、これからは昔の私も……思い出してほしい」

「小学四年。初めて面と向かったときの、小室屋蕾、か」

「でも、もう小室屋蕾はいない。今ここにいるのは……君のおかげで自信がもてた、宮岸蕾」

「俺はそんな、大層なことをした覚えはねぇよ」


 誰かの人生観を変えるなんてこと。普通でちっぽけな人間である俺にはできねぇよ。


「名字は変わっちゃった。でも、私であることは変わらない」

「それは俺も同じことか」

「だから改めて。昔の煌晴君を知る私として。よ……よろしく、お願いします!」

「……じゃあ俺は、昔の蕾を知るもんとして、か」


 小学校の時の、ほんの数分の思い出は。互いの名字が変わってしまったことが最大の原因となって、一生思い起こされない思い出になっていたかもしれない。

 それだけではない。六年近くも経てば、外見も変わるし振舞いや性格も多少は変わる。

 それでも一つだけ変わらなかったものがある。人生で決して変わらず色あせないものが。長い回り道こそしてしまったが、離れていた二人を、それが再びめぐり会わせてくれた。


 だから改めて、じゃない。これからも。よろしくお願いします。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る