第3話 異聞親子酒
ここに大きなお
一人息子がおりまして、これが両親の悩みのたね。
父親つまり大旦那はお酒が好き。若い頃は一升酒飲んだ、とえばってます。今はそこまで飲みませんが、結構飲みます。毎晩飲んでます。
一人息子つまり若旦那も親父さんに似てお酒好き。
ただ、違うのは大旦那は酒で乱れることはないのですが、若旦那はこれがその大変でございます。
三、四合飲むと目がとろんとしてきます。ここら辺から危なくなってきます。その上、ここら辺から飲むペースが早くなります。目はとろとろ。さあ、こうなると大変。
他のお店や料亭で飲んでおります。いわゆる接待ですな、そういう場で無言で立ち上がると飛び上がって飛び降りざまお膳を真っ二つ。床の間に突進して、活け花とか壺を木っ端微塵。掛け軸は引き裂いて振り回す。他のお宅の奥さんやお嬢さん、料亭なら中居さんや芸者さんに抱きついて顔をなめ回す。廊下でおしっこ、うんこをする。実にもう鬼気迫る有り様。
大旦那はその度に、あちこちに平身低頭、それなりのお詫びの金子も包まなきゃならない。こりゃあ堪りません。第一お店の信用に関わりますし、若旦那にお店を継がせなきゃなりませんが、このままじゃ到底無理。
そこで大旦那と女将さんが相談をいたします。
「孝太郎にも困ったもんだ。このままじゃあどうしようもない。」
「そうですねえ、どうしたもんでしょう。」
「酒をやめさせるしかない。でも、ただやめろと言っても難しいだろうから、私もやめます!」
「まあ、あなたお好きなお酒がやめられますか?」
「お店のためです。仕方がない。」
ということで相談はまとまります。
ある朝若旦那が二日酔いで寝込んでいると、番頭さんが起こしに参ります。
「若旦那、起きてくださいまし。若旦那」
「ああ、番頭さんかい。頭痛くて気持ち悪い。もうちょっと寝かせておくれ。」
「いやいや。大旦那がお呼びです。何か恐い顔をなすってましたよ。早くいかれた方が良いかと」
それじゃあ仕方がないと、若旦那、ふらふらする頭で大旦那の部屋に行きます。
「幸太郎か?入んなさい。ここに座りなさい」
若旦那、こわごわ座ります。
大旦那からは、お前にこの店を継がせるが、今のようなお酒の調子じゃとても継がせられない。ついては、自分も酒をきっぱりやめるからお前もやめなさい。
親父さんの顔と声は恐ろしいくらい。こりゃあ本気だ。若旦那も両親に迷惑ばかりかけてきたという思いもあるので、承知をいたします。
「酒をやめるな?」
「はい。」
「一滴も口にしちゃいけません。私も一切飲みません。いいな?」
「はい。」
てんで話はまとまります。
しばらくは無事に済んでおりましたが、ある冬のとても冷え込んだ晩のこと。若旦那は大旦那の代わりに尾張屋さんに行っております。
大旦那はあんまり寒いのでつい女将さんに「ちょっと体が温まるものが飲みたい」なんて言い出します。じゃあ葛湯を。いやいや。生姜湯でも。いやいや。そんなやりとりがしばらく続いた後、若旦那が帰ってくるまでにちょっとだけなんて。女将さんも根負けしてじゃあちょっとだけですよというんでお燗をしてお酒を出します。久し振りに飲む酒というのは格別ですからね。大旦那、もともとが好きですから、もう一本もう一本だけ、なんてすっかりご機嫌。
すると、表の戸をどんどんと叩く奴がいる。もう真夜中。奉公人はみな寝ております。仕方なく大旦那自ら出向きます。
「どなたですな?こんな夜中にどんどんと。」
「あー、おとっつあん。あらくしでしゅ。こふたろふでしゅ。」
若旦那です。したたか酔ってろれつが回っておりません。
大旦那かっとなりました。約束破りやがった!って自分だって飲んでるのに。でも人は後ろめたいことがあると余計怒りっぽくなるようですな。
「どなたですな!夜中にどんどんと!大声も出して!うちには今時分帰ってくるものなどおりませんですがっ!!」
「おとっつあんれしょ?あらしです。こふたろふでしゅよ」
「でしゅよ?ふざけなさんな!とにかくここはあなたのお宅じゃありませんっ!いつまでもそんなところにいられると迷惑です。水ぶっかっけますよ!」
「ひえええ…」
若旦那、したたか酔っておりますので、そう言われると自信がなくなってまいります。酔った
どんどんと冷え込んでまいりまして、空からは白いものがちらちら。若旦那、よろよろよろよろ道を右に左によろけながら歩いておりましたが、足を滑らせ、ごみの掃き溜めに前のめりに転んでしまいます。起き上がろうとしますが、酔っていて手足が思うように動きません。ごろごろ転がっているうちに、雪は激しさを増してまいります。若旦那すっかり眠くなってしまいました。
翌朝。
番頭が大旦那の部屋に駆け込んでまいります。
「旦那様。たいへんですっ。」
「なんです、朝から騒々しい。」
「わ、若旦那が…」番頭さん涙。
「何、孝太郎がどうかしたか」
「あ、あちらに」番頭さん震える指で表の方を指さします。
大旦那慌てて走っていきますと、若旦那が戸板に乗せられてぐったり。女将さんが取り縋って泣いております。
「こ、孝太郎…」大旦那絶句。
町内の御用聞きが言います。
「今朝、うちの若いもんがごみ溜めのところを通りかかると、こんもり雪の山がある。おや、と思ってよく見ると左手の先が雪の中から出てるのが見えた。こりゃあ大変だってんで、うちに駆け込んできましたのでちょうど居合わせた若いもん二人をつれて四人で駆け付けまして、雪を掻き分けてみますと若旦那が」
「え、孝太郎は」
「息をなさってません」
大旦那そこにへなへなと座り込んでしまいます。
お葬式を済ませると、女将さんはどっと寝込んでしまいます。食も進まずすっかり頬もこけ目も落ち窪み、大旦那の顔を見ると恨みのこもった眼で見据えながら愚痴を延々とこぼします。
大旦那も、罪悪感、後悔しているところに女房からも責め立てられる。
もう堪りません。朝からやけ酒。物も食べずに飲み通し。
番頭さんが止めても聞きません。
ある朝、いつものように酒を持ってこさせ、茶碗になみなみ注いでぐうっと半分煽ります。と、大旦那、あっと目を見開きます。そこには孝太郎の姿。
「こ、孝太郎」思わず大きな声を上げた途端、大旦那の口からげぼっと大量の血が噴き出しました。前のめりに倒れこむ大旦那。
番頭さんが様子を見に来た時には、大旦那は血の海の中で息が絶えておりました。番頭さん、大慌てで女将さんの部屋へ。声を掛けますが返事がない。そっと近づいてみると女将さんも寝床の中で息絶えておりました。
酒のために親子三人が死んでしまいました。
親子酒でございます。
落語異聞録 Aba・June @pupaju
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