2:魔女の依頼

 夜の宮殿は月と星々に照らされて、威厳という意味においてはより一層重みを増しているように見受けられた。


 丁度警備の入れ替わりの時間なのか、門の手前に立つ数人ばかりの騎士達の前をアバカスがよぎれば、モンスターでも見るかのように顔のしわの溝を深める。


 手酷く殴り飛ばされた記憶がよみがえり、腹を摩るような仕草をする騎士には目もくれず、一定の速度で素早く歩き続けると真っ直ぐにアバカスは第三図書室に向かい大扉の前で足を止めた。


 少し遅れて歩いて来るタオを待っていたのだが、タオが追い付く前に一人勝手に第三図書室の大扉は開く。


 一度荒らされたはずが破壊痕は綺麗さっぱり消えており、図書室の中には相変わらず本の塔が乱立していた。


 ステンドグラスの前に立つ一番大きな本の塔の上でいつも通り来客を待っていたマタドールには、いつも手に持つ本の姿はなく、四つの手を行儀良く臙脂えんじ色のドレスに包まれた膝の上に置いていた。翠玉エメラルド色の瞳が来訪者を歓迎するように輝く。


「夜分に御足労おかけするわねアバカス=シクラメン。よく来てくださったわ」


 お決まりの言葉を録音されたテープのように口にする魔女に舌を打ってアバカスは返事をした。そんな中身のともなっていない言葉を聞く為にアバカスはやって来た訳ではない。


 タオがようやっと第三図書室に入って来たのを感じながら、アバカスが口に出すのは「なんの御用で?」という不満塗れの態度を隠さない礼儀もへったくれもないもので、追い付いたタオは思わず叩きそうになり掲げた手を一瞬止め、最初狙っていた頭ではなく、肩を強めに叩く。


 怠そうに肩を摩るアバカスの心配などせず、無駄な世間話などをする必要はなさそうだとマタドールも遠慮なく用件だけを言葉に変えた。


「簡単な話、貴方に仕事を依頼したいの」

「あんたが俺に?」


 間違いないとマタドールは深くうなずく。


「先程まで皇帝陛下に私は呼ばれていたの。そこである仕事を頼まれた」

「はぁ」

「その仕事は中々に難解。そこで、貴方の力を借りたいの」

「待て」


 手のひらを掲げ、アバカスはマタドールの話を止めさせた。


 魔女への皇帝陛下直々の依頼。考えなくても馬鹿でも分かる。帝国の王が一々私用を魔女に依頼するような考えなしの場合を別にして、魔女に皇帝が頼む案件など、国家の何かしらが関わっている可能性が高い。


 そこまで推測した上で、さて魔女が冒険者を頼るような案件とは何かアバカスは考える。結果、そこまで深く考えるのは労力の無駄だと判断し、素直で無害な魔女様に答えを貰うことにする。


「なぜ俺に? 皇帝陛下の頼みなんだろ? 力が必要なら騎士団やら聖歌隊に頼めよ。それとも詳細は話せません、か?」

「いいえ、それでは話にならない。タオ=ミリメント、扉を閉めて」


 手を振れずに扉を開閉できるくせに横着して女騎士に扉を閉めさせ、マタドールは神咒しんじゅを紡いだ。盗聴や透視防止の魔法の檻。ついでに逃げ場がなくなった事にアバカスは口端を落っことす。


「ここから先は口外禁止、破った際は処刑される」

「処刑されたくねえから聞かないってのは?」

「喋らなければいいだけ。でしょう?」


 そう前置きし、アバカスの心情など汲み取る事もなく淡々とマタドールは唇を動かす。重要な問題のはずが、魔女の無表情が問題の重さを誤認させる。


「『夏の吐息マーマレード』を知っているわね、アバカス=シクラメン?」

「……あぁ、知ってる。それが?」

「まーまれーど?」


 如何にも初めて聞きましたと舌足らずにその名を口にするタオへとアバカスは灰色の瞳を滑らせ、疑問で頭がいっぱいのタオが横に立っていては話が進みそうもないと説明してやる。


 『夏の吐息マーマレード』、大戦時代に魔族が使用していた兵器、及びそれを開発研究していた部隊、症状名などの総称。


 『夏の吐息マーマレード』は毒ガスを発生させる兵器であり、そのガスを吸い込むと体温が異常に上昇し、一週間程で人体が発火し死に至る。


 この兵器の困った点は、身に受けた対象が即死しない点だ。医療機関は圧迫され、そして何より治療法が存在しない。


 これまで解毒薬の類いは存在せず、治癒魔法も効果がなかった。つまり死ぬ事が確定している患者を一週間ばかり抱えなければならない。


 多くの国々は『夏の吐息マーマレード』に身を侵された患者を放置し見捨てる事で解決した。大戦の戦場を経験した者達の常識。


 そこまで説明し終え、アバカスはマタドールに向き直る。


「その大戦の遺物がどうした?」

「第三王女様が『夏の吐息マーマレード』を発症した。今から二日前に」


 タオとアバカスは同時にせる。


「第三王女様が⁉ そんな! じゃあ⁉」

「四日後には盛大な葬式か?」

「おいッ‼」


 不謹慎に過ぎる不良冒険者の発言にタオは我慢ならんと肘鉄を放つが、それを脇腹で迎え入れる事はなく、左手でそれを受け止めた。


「落ち着けよ嬢ちゃん、そこで話が終わりならそもそも俺は呼ばれてねえだろ? 続きは?」

「王女様の症状を『夏の吐息マーマレード』と判断し、昨日さくじつから今日にかけ、私も含めお姉様方のお知恵をお借りして私は一つの答えを導き出した」

「……お姉様方?」

「帝国内の他の魔女のことだ。続きは?」


 一度マタドールはうなずくと、結論を告げる。


「タウバオ王国の一部に群生するザミノの花が解毒薬の材料になる」


 魔女の結論を聞き、考え得る最悪にはならないらしいとタオは肩の力を抜き、対してアバカスは枯れた草花のように表情を捻じ曲げた。


 歩く危険の広告塔のような男が全く嬉しそうにしないことで、裏で手ぐすね引いて待っている面白くはない事態を察し、タオは再び肩を強張らせる。


 だいたい考えれば分かるはずなのだ。そこで万事解決しているようなら、アバカスを呼ぶ必要はない。


 全てを察し固まる不良冒険者と、言うべきことは全て言ったと何度かうなずく魔女を見比べて、すっかり蚊帳の外の女騎士は咳払いをして二人の注意を引く。


「うん、第三王女様が助かるなら喜ばしいな。その、ザミノと言う花があれば助かるんだろう? 良かったじゃないか」


 ギチギチと重々しくアバカスは女騎士へと首を回し、可哀想なモノを見る目でその肩にやさしく手を置いた。座学は苦手、その通り世界史や地理なども苦手らしい女騎士をあわれむように。


「……ザミノの花はエルフの国であるタウバオ王国の国花で神聖視されてる花だ、市場には出回っちゃいねえ。摘み取りでもすれば逮捕される。しかも、これが繊細な花でな? 満月の夜に開花して長くても四日もすれば枯れちまうそうだ」

「四日経たずとも強い魔力に当たったり、摘み取れば急速に劣化すると補足する。加えて四日は最長記録であって、そこまで花が保つかも定かでない」

「満月は今日だ。『夏の吐息マーマレード』の事を考えてもリミットはもう四日もねえ。それを過ぎれば? 死を待つのみ」


 つまり、第三王女を助けようにも、方法は分かっていてもその為の時間が存在しない。解毒薬を作りたくても、材料の性質上現地調達してその場で解毒薬を作る以外に方法はなく、その花を摘み取ろうものなら重罪となるオマケ付き。


 約四日で正攻法で手に入れるのはまず不可能。


「そんな…………っ」


 助かる方法も分かっているのに救えない。タオは別段第三王女と親しい訳でもなければ、知り合いですらない。ただ、特別悪事に手を染めているなどとは聞いた事もない無垢なる者の命が意味のよく分からない理不尽が原因で消えそうな事が許せない。


 ない知恵を振り絞り、タオは記憶の棚を引っ搔き回し思いついたとばかりに顔を上げる。


「そうだ! エルフの国の国花なら確かタウバオ王国の王子の一人が第三王女様と親しかったはずだ! その方に頼んでみれば!」

「それで解決するなら最高だな。その方法が取れるのならだが」

「……どういう意味?」

「『夏の吐息マーマレード』は魔法でもなく元々毒ガス兵器だ。自然の病気とも違え人工的な症状だぞ? ただ日常を過ごして発症するような症状じゃあない。なによりだ、『夏の吐息マーマレード』の材料の一つが他でもないザミノの花って噂だぜ」

「噂でもなく間違いない。調査の過程で大戦時代に採取した『夏の吐息マーマレード』の残りを分析した。他の材料は全て把握している。残りが植物性の成分である事を確認し、成分表と照らし合わせた。ザミノの花が『夏の吐息マーマレード』の核を成していた。それを使えば解毒薬を製造できると帝国魔女の総意をもって結論付けた」


 魔女が言うなら間違いない。が、問題は『夏の吐息マーマレード』の成分だのの話ではない。危険度を増すような話に加速度的にタオの顔色は悪くなる。


 当然ながら『夏の吐息マーマレード』は大戦後、製造も使用も禁止されている代物だ。しかも、自然発生するような物でもない。核となる材料はタウバオ王国内に群生しており、加えて、タウバオ王国の王子から帝国の第三王女に向けて多くの贈り物がされている事は宮仕えなら誰もが知るところ。


 つまり、現状世界で最も簡単に『夏の吐息マーマレード』を製造できるのはタウバオ王国であり、贈り物の中にその毒が仕込まれていた可能性がある。そんな話を聞かされて、タオは両手を強く握り締めた。


「バカなッ‼ タウバオ王国が王女に毒を? そんなッ、戦争になるぞッ‼」

「可能性の話だ嬢ちゃん、もしそれで間違いねえならとっくに帝国はタウバオ王国を糾弾きゅうだんしてる。タウバオ王国を怪しく見せて帝国を嵌めようとしているようにも見えなくもねえ。怪しくはある、が、証拠が何も見つかってねえんだろ? だから誰にも矛先を向けられねえってところか」


 マタドールは大きくうなずいた。矛先を向けられないのは、タウバオ王国に限った話ではない。


 もしタウバオ王国側が犯人でなかった場合、濃厚なのは第三王女に接触できる内部犯。その場合、誰が味方かも分からない。疑惑の嵐で何も分からないのに加え、時間もないからこそ使えない手が多過ぎるのだ。


「アバカス=シクラメン、だから貴方に依頼している。真相を確かめようにも、それを待っていたら王女様は死んでしまう。王女様をお救いすること、それが皇帝陛下からの依頼。私も今の活動水準を守る為に成功させたい」

「話の筋は理解した。それで、依頼の詳細は?」

「タウバオ王国内に潜入し、ザミノの花を採取後即座に解毒薬を製造する。製造方法は私しか知らない、だから私の同行も必須。私は外界にうといから貴方には案内と護衛を頼みたい。答えは?」


 馬鹿を言えとアバカスは笑い、タオの顔色はどんどん悪くなる。


 魔女を引き連れての他国への潜入、捕まりでもすればどんな罪状を連ねられ処刑されるか分かったものではない。最悪潜入が原因で帝国の魔女が奇襲にでもやって来たと誤解されれば、戦争に発展しかねない。


 戦争なんてクソ食らえの精神はアバカスも同じ。そんな価値の薄い物事の火種になりかねない原因にはなりたくないとアバカスは考える。


 なにより、不安要素が多過ぎる。国内なら取れる手が、国外では途端に取れなくなる。騎士団や聖歌隊をずらずら引き連れて行けるはずもない以上、戦力も武装も限られる。


 NOだ。圧倒的にNO。


 国家に関わる事柄であればこそ、一介の冒険者が関わるような事でもない。


 そんなアバカスの乾いた笑い声が止まぬ内に、マタドールは本の塔の根本にある箱を指差すと、手繰たぐるように虚空に手を泳がせる。


「引き受けるならこれが前金。成功したらより多くの報酬を約束する」


 開く箱、絨毯じゅうたんを柔らかく叩く金貨の音色。


 これがいけなかった。


 アバカスは笑い声をピタリと止め、これまでの諸々を押し流すかのような気味悪い程の爽やかな微笑みを浮かべる。数瞬先の未来を察し、タオは悩まし気に眉間に深い深いしわを刻むと目頭を強く指で押さえた。


「交渉成立だ。引き受けようマタドール卿」

「お頼みするわねアバカス=シクラメン」


 作ったような爽やか笑顔を突き合わせる二人から顔を背け、この場にいる以上お目付け役になるだろうことまで理解すると、外に聞こえないならいいかとばかりに「ちくしょー‼」の叫び声をタオは第三図書室に響かせた。







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