二章 造花の毒 篇

1:停留所

 『夜の恵み亭ソムニファブラ』の給仕ウィイトレス、オニキス=シェイカーが店で働き出してから二年、順風満帆じゅんぷうまんぱんとは言い難いが、波瀾万丈はらんばんじょうと言うには穏やかなる日々が続いていた。


 自分をとびきりの美人とは思わないが、周りと比べると比較的整っている方だし、酒場に来る騎士や冒険者にもそこそこ声を掛けられる。


 おかげで自信が持てたし、薄ボケたような自分の茶色い髪も好きになれた。何事もほどほどが一番良い。ほどほどが続けば人生はハッピーだ。


 だのに、一週間前からよく酒場に現れるようになった男のおかげで、うるわしの『ほどほど』にかげりが見え始めた。


 悪くなった訳ではない。金回り的に言えば寧ろいい。酒は頼まないが多くの料理の注文をするし、多くのチップをはずんでくれる。それも時には給仕ウェイトレスとしての給金以上の大金を。


 それが少しばかり恐ろしい。見た目は擦れた冴えない男。背は高く、白髪の多く混じったボサボサの黒髪。マトモな職についているようには見えない。


 そんな男はすっかり酒場の隅を自分の場所として確立してしまっているようで、男の顔が幽鬼のようで怖いからか、呼ばれてもオニキス以外の給仕ウェイトレスが近寄る事もない。最初に注文を取ったのがオニキスだからなのか、すっかり貧乏くじを引かされた。


 そんな人の出入りが激しい酒場の中にいて隔離されたような空気を好んでか、冴えない男は今夜も酒場の定位置に座り、指を鳴らして給仕ウェイトレスを呼ぶ。


 オニキスは一度は一応同僚達の顔色をうかがうが、他の給仕ウェイトレス達はこれ見よがしに顔を背けるばかり。


 暗黙の了解で冴えない男、アバカス=シクラメン係にされてしまった不幸に顔には出さず悲しみながら、オニキスは今日も酒場の隅へと足を寄せる。


 できるなら危険などというものとのお関わりは御免こうむる。アバカスは危険な話がお好みらしいが、オニキスはそうではない。


 が、この日は少し様子が違っていた。初めてオニキスがアバカスの姿を見て数日は生真面目そうな女騎士と一緒だったが、今夜同席しているのは若い男。


 アバカスとは対照的な小綺麗で整然とした黒いスーツに身を包んだ美男子。茶色い短く切り揃えられた髪は琥珀のようにつややかで、芸術品のような微笑を携えていた。


 やや顔を赤らめたオニキスがテーブルの脇に立てば、にんまりと口を弧の形にひん曲げながら、アバカスは口を開いた。


「ほらな? 人間見た目より中身が大事なんて嘘さ。賭けは俺の勝ちだ。銀貨一枚」


 そう言ってアバカスが手を出せば、美男子は懐から銀貨を一枚取り出すとアバカスに見せつけるように掲げ、それをオニキスに向けて差し出す。


「良かったな今夜のチップ代が浮いて。お前さんに渡すのは気がとがめる。結果お嬢さんの手に渡るなら、俺が渡しても同じだろう?」

「手間を省いてくれる訳か? 御親切痛み入るぜ。それでわざわざ笑顔のサービスまで付けてくれた訳だ?」

「笑顔はタダだからな、なあお嬢さん?」


 ぎこちなく顔を客向けの愛想笑いに変えるオニキスが手を差し出し、見た目と中身は違うらしい男はその手のひらに銀貨を乗せるとにっこりと笑う。


「それでアバカス、風の噂で聞いたんだが魔女が絡んだ事件に手を貸したそうじゃないか? 魔女嫌いのお前さんがどういった風の吹き回しだ?」

「風の噂ね?」


 どんな噂を聞いたのやら、表で流れる勇敢な女騎士が大きな謎を紐解いたといった健全でないものである事には間違いない。「あんたの方が詳しいんじゃないか?」とアバカスが答えれば、男は訳知り顔で鼻で笑う。


「魔女が犯人の方がお前さんは喜んだろう? 俺はお前さん以上に魔女に詳しい人間を知らない。期待したんじゃないか? もしやあるはずのないものでも傾国の美少女達の中に芽生えたのではないか? なんてな?」


 吐き出した空気で唇をブルブルと震わせて、アバカスはくだらない質問を吹き飛ばす。ないモノを探すような時間の無駄をわざわざ選ぶアバカスでもない。棚からぼた餅的に見つかるなら別だが。


「引き受けたのは金払いが良かったからさ」

「だと思った」

「あんたがそれを聞く事こそおかしな事もねえなぁ? エルフの心臓の位置は? ドワーフの骨の強度は? オークの脳髄の大きさは? どれも収まるところに収まってる。それを一番よく知るあんたが、その基準から外れたモノを見た事あるか? なぁ、スニフ?」


 スニフター=ベリーニは分かり切った友人からの質問に笑みを深めた。その問に否と答える事はない。答える事はないが、別の答えがある。スニフターは友人の顔色を観察するかのように僅かに体を前に倒した。


「確かに見た事はない。見た事はないが、誰も一度も見た事なければ、ある意味ないとも言い切れないはずだ。俺はお前さんほど魔女に詳しい訳じゃない。そんなお前さんでも魔女がどうやって生まれるのかは知らないだろう?」


 世界を取り巻く不思議の一つ。魔女がどこでどうやって生まれるのか、所謂いわゆる生殖行為で魔女が増えない事は確認されている。ではどう増え、どこからやって来たのか。


 それは誰にも分からない。魔女本人にさえ。


「一部の者達に言わせれば彼女達は争いをとがめる為に神が寄越した使者だとか、人々の想いが生み出した奇跡だなんて言う者もいる。結局分かっているのは、頭が良く強い力を持った存在ということだけ。魔女に心があるかどうか実際問題誰にも分からない。それを聞いた上でお前さんの意見は?」


 ため息を吐く友人の考えを催促するように、古傷に塗れた手をスニフターはテーブルに置くと、細長い五本の指でテーブルを叩く。


「力を武器に他者を己に寄生させる生物。それ以上も以下もない」

「それは夢がない」

「そんな夢はいらねえな。俺に夢があるとすれば、それは好きな時に飯を食い、好きな時に眠れる、争いとは無縁の日々だ」

「それは違うな、なら冒険者になる訳がない。退職金もなしに騎士団を辞めたのもそう。俺は特別な何かがあると思ってる」


 存外夢想家らしい友人にうんざりと首を回し、適当な陰謀論でも語ってやろうかとアバカスは考えるが、簡単に見抜かれるだろうと察し取りやめる。


 とはいえ、どんな理由で騎士団を辞める事にしたかの詳細は、騎士団を辞す際に話す事を禁じられているので話せるはずもなく、それをスニフターも分かっているからこそ、真実が語られるとは思っていない。ので、不毛な会話を打ち切るように二人揃って背筋を正す。


「話を戻すか。魔女に心がないなんてなぜ言える? 学院にけったいなのが一人いるだろ?」

「あの帝国一の老婆は長生きしすぎて狡賢ずるがしこく育っただけだ。話を戻さずせめて話題を変えるぐらいの気遣いを見せろよ。久し振りに会ったんだ、楽しそうな話は?」

「あー、第三王女様がエルフの国の王子に気に入られてて贈り物がわんさか」

「……そりゃ楽しそうだな、宮仕えの使用人達にとっては」


 退屈そうに肩をすくめ、アバカスは未だ視界の端で立ち続けている給仕ウェイトレスに目を止めると、体の動きを止めた。


 ようやく自らが呼びつけた給仕ウェイトレスの存在に意識が戻ったらしいアバカスにオニキスは固めたままの客向け笑顔を差し向けて、「ご注文は?」とずっと言いたかった言葉を口にする。


「あぁすっかり忘れてた。悪かったな、どうするスニフ? 今日の気分は?」

「そうだな」

「いや、注文は取り止めだ」


 食事へと意識が向き出していた男達の間に、一つの人影が伸びる。割り込んで来た新たな声に文句を返そうかとアバカスが顔を向ければ、よく知る生真面目な女騎士が腕を組んで立っている。


 騎士制服に武装しているタオ=ミリメントの姿にアバカスは悪寒を刺激され、スニフターはこれ見よがしに口笛を吹いた。


「久しぶりだなアバカス、食事中悪いが、あー……」


 言いながらアバカスの対面に座る男へと目を移し、出そうになっていた皮肉の言葉をタオは飲み込む。「友人と食事か?」と言おうにも、アバカスとは不釣り合いな男の様相に、そもそも友人かどうかの迷いが生まれたから。


「失礼、タオ=ミリメントだ。貴殿はアバカスの」

「まあ昔馴染みだな」

「本当に? いや、想像していたこの男の友人像と随分と違っていたから!」

「騎士団では暗殺部隊に所属して尋問と拷問なんかをしてる、スニフター=ベリーニだ。一応はお嬢さんとも同僚だ。想像と違った?」

「…………いや、今想像通りになったわ」


 ほころばせていた顔を引きらせ、差し出されたスニフターの手とおっかなびっくりタオは握手する。


 暗殺部隊、『繰り人形マリオネット』の拷問官。


 その薄暗さにタオと同じく愛想笑いを崩し身を強張らせるオニキスを横目に、爽やかな見た目で全てが決まるはずもないとアバカスは鼻を鳴らした。


「よし、嬢ちゃん、スニフとの挨拶が終わったなら座って食事としよう。勲章授与の祝いもしてなかったな、前の事件の遅めの祝いとして飯をおごってやるよ、俺にもその程度の心意気はあるぜ?」


 そう言い微笑むアバカスが自分から飯をおごるほどに話を聞きたくないらしい事を理解しながら、タオもゆずらない。というよりゆずる訳にはいかなかった。


 腕を組んだまま微動だにせず、タオはアバカスを見下ろす。タオが本題を告げなければ、不良な冒険者は長々と話を寄り道させるか、皮肉を並べるのかどちらかなのは明白で、だからこそタオは最短距離で本題に入った。


「必要ない。アバカス、マタドール卿がお呼びだ。至急宮殿に参上しろ」


 その本題の内容にアバカスは身を固め、スニフターは拳に握った手を口元に当てながら小さく噴き出した。


「……ん? なんだって?」

「聞こえなかったフリはよせ。マタドール卿がお呼びだ。今から宮殿の第三図書室に向かえ、私も同行する。逃げるなよ?」

「魔女からのお誘いとは羨ましい」

「茶化すなスニフ、魔女様からお呼びだと? 理由は? あぁ……いい」


 どうせタオから帰ってくる言葉は「私が知るか」だと当たりをつけ、気怠そうにタオの視線を手で払う。


 魔女からの呼び出しなど穏やかではない。何よりも、その理由に全くアバカスは心当たりがなかったからこそ、前髪に指を絡めて頭を回した。そんな友人の癖を懐かしそうに眺めて、スニフターは苦笑する。


「行ってみたらいいアバカス、行けば取り敢えずの疑問は解決するさ。また魔女に気に入られたようでなによりじゃないか」

「……また?」

「シャムロック卿にもブルームーン卿にも、ミリメント卿も思わないか? 何も知らない者よりも、自分を理解している者の方が扱いやすいものだろう? マタドール卿も揃えば帝国の魔女六人コンプリートだ」

「ふざけろ! ビンゴゲームやってんじゃねえんだよ! だから嬢ちゃんはこっち見んじゃねえ!」


 魔女に頼られるなど百害あって一利なしだ。できない事の方が少ない魔女にとって、頼るという行為は面倒臭いからこその横着に他ならない。十回頼られたとしたなら九回はだいたいそれだ。


 とはいえ、帝国民である事には変わりないアバカスが魔女からの呼び出しを断ろうものなら、どんな天罰という名の不利益が降り掛かるか定かではない。ので、渋々と腰を上げる。


「……分かった、とにかく宮殿には行こう、マタドールから食えなかった分の夕食代分取ってやる! 今夜はお開きだスニフ」

「そのようだ。が、まあいいさ、土産話を楽しみにしていよう。今夜は友の代わりに美女に相手して貰うさ」


 そう言ってオニキスの手を掬い上げる友人に呆れ果て馬鹿にしたように舌を出しながら、女騎士の肩を叩き店の外へとアバカスは出た。空に浮かぶ丸い月を軽く見上げて、追って来るタオを待たずに宮殿へと歩き出す。






 

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