20:人形劇Ⅱ

「勇ましいな女騎士、討つ? 私を? おいおい脂汗が滲んでいるぞ? 大戦中は多くの騎士や聖歌隊員を見てきたが、これほど弱々しい騎士を見たのは初めてだ」


 ため息を吐きながら、未練がましそうに渋々とダルクは魔女の手から両手を離し距離を取る。マタドールを巻き込まないように、仕方なく幼児の相手をするかのように肩をすくめながら。


 剣先と目線で追いながら、タオは構えを崩さない。ポタポタ左手首の断面から垂れる血の雫にうんざりとダルクは首を回し指を弾く。


 その音が魔力を弾き、ダルクの刻む魔法陣を簡略化したような紋章となって宙に浮かんだ。指を鳴らす度に二つ三つと数を増やして。


「魔法職にとって己の魔法を作り上げることが一つの命題だ。それは戦士職も同じだろう? 魔力で肉体を鍛え上げ、肉体を触媒に魔法のように一つの奇跡を体現する。聖歌隊員も帝国騎士もそこに至れて初めて一流と言える。大戦後に騎士団や聖歌隊に入った者でそこに至れた者は十人もいなかったはずだ。タオ=ミリメント卿の名は聞いた事がないな? うん? 破裂エールプティオー

「ぐッ⁉︎」


 空気中の魔力に引火し、炸裂した魔力の流れがタオの肩口を引き裂き焼いた。それでも構えを崩さない騎士に片眉を上げて、再び指を弾き紋章を浮かべる。


「そのまま動かないでくれ、魔力の流れを読み破裂させるのは中々骨が折れてね。マタドールを巻き込みたくはない。肉体に刻んだ方が確実だが、わざわざ騎士に近付くほど馬鹿ではない」


 紋章を宙に刻み、呪文を唱える。それだけで、宙を裂く魔力の槍がタオを貫く。太腿を削り、脇腹を削り、血で化粧される体の痛みに奥歯を噛みながら、タオは細長く息を吐き出した。


「……講義は、おしまいか? なら……次は私の番よ」


 剣を握る右手を自分の体に向けて巻き込むように肩の高さへと掲げる。体重を掛け前のめりに体を傾ける騎士の姿に、ダルクは首を傾げた。


 単純明快。馬鹿が見ても分かる突進の形。間違いなく真っ直ぐ突っ込む、それしかありえない愚直な構え。


 我慢できずにダルクは口端から小さく噴き出す。


「卿は戦闘の素人か? まさか通用するとでも?」

「さあ、私は賢い訳ではないからそんな事は分からないし、これしかできない。でも、私はこれだけで騎士になった」


 ギチリッ‼︎ と鈍い音が第三図書室を満たす。筋肉の締め付けに、左手首の先や肩から垂れていた血の流れがぴたりと止まる。


 ダルクが小さく目を見開くと同時。


 タオの踏む絨毯じゅうたんが引き千切れ、立ち並ぶ本の塔が蹴散らされ一斉に宙を舞う。



 ──────ガチンッ‼︎



 小さな火花を散らして、鉄と石の噛み合う音。壁に突き刺さった刃をタオが力任せに引き抜くのに合わせ、ダルクの左腕が音もなく落ちた。


「外したか、次は首に当てる」

「お、お前ッ、あぁマタドールの作ってくれた腕がッ‼︎ お前は許されないことをした‼︎ 治癒サナーレ治癒サナーレ‼︎」


 床を転がるダルクの左腕の付け根が泡立ち、骨、血管、肉と形を変えながら再生してゆく。が、それを待つタオではない。


 弓に新たな矢をつがえるように再び剣を掲げ、踏み出した足を踏み締める。


「あぁぁぁ‼︎ ……なんてな、脳筋。破裂エールプティオー


 飛び出したタオの足元に転がっていたダルクの左腕に刻まれた魔法陣達が一斉に輝く。轟音と閃光。真横へと軌道を変えて壁に叩き付けられたタオの肺から空気が絞り出される。


 咳き込むタオに歩み寄り、乱れた金色の髪を復活した左手でダルクは強引に掴み上げた。


「無力だなタオ=ミリメント卿? 左腕を斬り落とさせたのもわざとさ。その程度がお前の正義だ。私の愛程ではない」


 左手を頭に添え、滑らかにダルクの唇が動く。掻き混ざる意識の中紡がれる咒を聞き流し、腕をなんとか振り上げようと持ち上げたところで、掴み上げられていた頭が滑り落とされ、無防備にタオは床に転がる。


 左手で目を擦ろうとし、既に失くなっていることに痛みによって気付けされた意識で気付き、タオが顔を上げた先、ダルクの左腕に刺さった剣。視界の端で影が蠢き、新たに人が来たことに気付く。


 揺れる白髪混じりの黒髪に、タオは思わず顔をしぼませた。


「生きてるな嬢ちゃん? 流石、剣の腕だけで騎士になっただけはある」

「……おそいぞバカっ」

「悪いね、タイミング悪く先に宮殿に押し入った奴の共謀者だと思われて幾人も騎士をすハメになった。俺よか先に侵入者捕らえろって思わねえか? おかげで何本か剣を借りられたが、シャムロック卿もブルームーン卿も同じ宮殿に住んでるくせに我関せずとは、だから魔女は嫌いなんだ。なぁマタドール卿?」


 立ち上がったアバカスを見上げ、擦り切れボロボロになったコートと、幾つもの切り傷、雑に鞘から伸びる紐を掴み担いだ五本の剣を目にタオは間抜けに口を開けた。


 どれだけの騎士をしたのか、少なくとも、騒がしい第三図書室よりも先に片付けなければならない侵入者と警備の騎士が判断するくらいにはしたらしい。


 腕に刺さった剣を引き抜くダルクを一瞥し、手に持っていた本を残らず爆風に飛ばされて不満をほんの僅かばかり顔に描く魔女へとアバカスへ目を移した。


「真相は分かった? アバカス=シクラメン?」

「俺への第一声がそれか? 目の前で嬢ちゃんがバチバチやってんだから手を貸すぐらいの気概は見せろよ。部屋が汚れるのはあんたも困るだろ」

「必要もなく他者の個人的な理由に手を貸す事は禁じられている」


 そんな魔女の答えをアバカスは笑い飛ばす。


「よく言うぜ。んで真相だったな、あんたが思っている通り、そいつがドランク=アグナス達を殺したのが全てだ」

「そんなことは分かっている。私が作り出したモノがなぜか人間を殺してる。私はそのような判断をしていないのに一人勝手に。それはなぜ? 人間を殺す凶器を作ったのが私なら、犯人は私ということでしょう?」

「なにを言ってるんだマタドール? 私はきみのために、私達のために」

「だとさ」


 親指でやる気なくアバカスはダルクを指差すが、魔女は可愛らしく首を傾げるだけ。深い深いため息を一度吐き出して、アバカスは大きく舌打ち打つ。


「あんたに分かりやすいように言えば、張り付けた意識がそう判断したってこった。あんたの判断基準は関係ない」

「なぜ? 手を貸した研究は殺人など想定されていない。のに、なぜ殺したの? その判断の理由が不明。どう判断すればそうなるの?」


 アバカスは肩を落としてため息を吐く。それを言ったところで、魔女が理解するはずもないと知っていると言うように。だからこそ、アバカスではなくダルクが声を荒げた。


「愛だマタドール! 前に教えたじゃないか! 私はきみを愛しているから! そうだろう!」


 アバカスは何度目かも分からぬため息を吐き出し、魔女はより深く首を傾げる。


「記憶している。『愛』、相手の幸せを願いいつくしむ心。それが? 殺人とは結び付かないと私は判断する。私が必要としていないのに、殺人と私の幸せと呼ばれるモノとの繋がりとは? 現時点で私のあらゆる活動にはなんの不自由もない。つまりどういうこと? 不思議で不明瞭」

「それが全てだマタドール! 私はきみを愛しているから‼︎」

「理解不能。アバカス=シクラメン、説明を求める」


 こっちに振るなとアバカスが顔をしかめてももう遅い。向く先を変える薄暗いダルクの眼光。


「お前か? お前がマタドールをそそのかしたのか?」

「はぁ? 八つ当たりはよせよ。ないモノねだりしてんのはあんただろうが。与えているからといって相手も与えてくれると考えるのは傲慢ごうまんというやつじゃないか?」

「黙れッ」


 ダルクが指を弾き紋章を刻む。間髪入れずに呪文を口にし、またたく魔力の槍を目に、雑に担ぎぶら下げている五本の剣のうちの一つを掴むと、鞘を床に滑り落としながら横薙ぎに剣を振るう。


 チギィッ、と空気の削れる音が響き、連鎖爆発する魔力の槍が大きく横に逸れる。それで役目を終えたかなのように剣の身にヒビが走ると根本から砕け、切先が絨毯じゅうたんに突き刺さった。


「コスパが悪い、安物の証だ」

「ちッ、それがお前の祝福ウルかッ」

「帝国騎士が己が身を磨き作る奇跡か。生憎とこれはただの技術だ。魔法と空気の密度差による境界線、そこに綺麗に剣をすべらせれば大抵の魔法は弾ける」

「バカなッ、そんなッ」


 剣で攻撃を受け流す技術。言葉にすれば簡単だが、難易度は受け流す対象によって激しく上下する。魔法相手ともなれば、タイミングに加え、飛来する魔法の断面に寸分の違いなく剣閃を重ね合わせなければならない。


 二度、三度、机上の空論を実演でもするかのように、担ぐ剣を消費しながらアバカスは剣を振るう。


 緻密に精密に、思い描く剣の軌跡から一ミリも外れぬ細密に過ぎる剣技。人の技と言うよりも、機械の御業に近い。ただ、その技に剣の方が耐えられない。


「ありえないッ」

「目に見えないモノよりはありえるさ」


 五本目となる剣を投げ、宙に浮かぶ紋章を切断しながら、一歩でアバカスはダルクとの距離を詰める。


 差し出される右の手のひらの魔法陣に中指を重ね合わせた右の人差し指を突き立て、そのまま捻り引き抜きながら骨を穿つ打撃を四肢に放った。骨を砕き突き刺さった肉を捻り上げるように。


「骨の破片が混じった肉を修復するのはあんたでも苦労するだろう? この距離で俺より速く動けるか? そうでないならいい加減終幕だ」

「まだだッ! まだッ! マタドール! マタドール助けてくれ!」


 手を垂れ落としながら、ダルクが魔女へと顔を上げる。そのすがるような視線にアバカスは呆れて肩をすくめ、魔女の翠色の瞳が血の色に染まった絨毯じゅうたんの上にへたり込む男へと落とされる。


「これまで何度も助けてくれたじゃないか!」

「研究協力でだろうそりゃ」

「それに私に笑ってくれた!」

「あんたがあんまりにしつこいからその方が効率いいと思ったんだろ」

「私に永遠をくれたのもきみだ!」

「そりゃあんたの勘違い、一度医者に見て貰え、典型的な魔女狂いだあんた」

「うるさァァァいッ‼︎ なんなんだお前ッ‼︎ 私とマタドールの愛の中に入ってくるなッ‼︎ お前になにが分かる‼︎ 永遠に踏み入るな‼︎ 私とマタドールの一時を奪うなこの時間泥棒がッ‼︎」

「そりゃ悪かったな。だが、少なくとも俺はあんたよりは魔女に詳しいさ。なにせ……」


 そこで一旦言葉を切り、口が滑ったとアバカスは小さく舌を打つ。ダルクに向けられる憤怒の表情はどうだっていいが、僅かに体を持ち上げ顔を上げる満身創痍のタオを横目に一度アバカスは唇を下で舐めると、気持ちばかり口を滑らせやすくする。タオの負った傷の治療費代わりとでも言うように。


「俺は他でもない魔女に育てられたからな」


 辺境の土地で黙々と一人知識と情報の蒐集に没頭していた魔女がいた。魔女の知識や力、作り上げた品々を狙い人々が勧誘や強奪に来ることで時間が割かれる事をわずらわしく考えた魔女は、護衛を一人作ることにした。


 近場に捨てられていた捨て子を自分の必要とする者に育て上げれば、長い目で見れば効率がいい。自らの研究、蒐集時間を確保するため、どんな時、どんな場所でも十全に精密な剣技打撃を繰り出せる前衛職。


 いつしかそれが一つの研究目的となり、幾らかの廃棄を繰り返して完成した護衛が一人。


 魔女シクラメンが作り上げた、『シクラメンの計算機アバカス=シクラメン』。


「魔女に情を求めるのはお門違いだ。あんたは何しにここに来たんだ? 先に答えを聞いてみろよ。マタドールに。それで分かるさ、あんたの欲するモノがあるのかないのか」


 うながすようにアバカスは手でマタドールを示し、息を呑んでダルクの顔が変わらず本の塔の上に佇む少女に向けられる。額に浮かぶ汗は体の痛みからか不安からか。無理矢理に口端を持ち上げて不出来な笑顔を形作ると、ダルクは恐る恐る口を開く。


「あぁ……マタドール、私と逃げよう。ここは邪魔者が多過ぎる。二人で、誰もいない場所で永遠に二人の永遠を謳歌しよう。うなずいてくれるだろう? きみさえいてくれたなら私にはどこでも楽園だ」


 魔女の瞳がちらりとアバカスを見る。自分で答えるのが面倒なのか、横着しようとする魔女にアバカスはうんともすんとも言わず、しばらくして魔女は諦めたのか愛を歌う者に瞳を戻す。


「イヤ。逃げる必要性を私は感じない。現時点で私はなんら帝国に不満を抱いていない。貴方の言い分を考慮するなら、既に今私と貴方がいるここが楽園では? そう私は思案する」


 くどくどと否定の言葉を続ける魔女に、返事もせずに愕然とダルクは肩を落とした。


 あると期待したモノはなく、ないどころかそもそも存在しない。ゼロに何を掛けてもゼロなのと同じ。


 肩の力を抜いてアバカスはタオに歩み寄り、その背で突如魔力が膨れ上がる。


 へたり込んだまま歌いつむがれる呪文のあぶく。魚を隊章に持つ聖歌隊が、その場を己以外が息さえできぬ呪海へと塗り替える。


 魚群のように第三図書室内を泳ぎ回る無数の紋章。その一つ一つが魔力に着火し破裂する魔法爆弾。


「愛してるんだマタドールゥ‼︎ さあ今こそ旅立とう‼︎ 二人の楽園に‼︎ これこそ愛の証明だ‼︎」


 泳ぎ疲れたかのように、宙を泳いでいた紋章が行き着いたモノへと身を預ける。


 人に、魔女に、物に張り付く紋章の群れ。腕に顔に、術者本人さえ含めて全身をおおい図書室を埋め尽くし発光する紋章は愛の輝き。その終わりを告げるように。


破裂エールプティオー‼︎」

「……馬鹿が」

「ぶッ⁉︎」


 紋章が強く閃光を発した途端、空間が歪んだ。


 掲げられた魔女が手を緩やかに握るのに合わせて、場を制する魔力だけをすくい取る巨大な手に握られるかのように、ダルクを中心に空間が圧縮される。


 バチリッ! と、強引に力を加えられた魔力と空間が擦れ合い弾き合いながら、中心に座す男の手足が潰れひしゃげ弾けてゆく。

 

 必要もなく魔女は力を振るったりはしない。ただ、命がおびやかされたなら別。


 無慈悲に、躊躇なく、人間一人を殺すには余りある力が個人を殺す。


「マァタドールゥのォ愛がァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ‼︎」


 断末魔を握り潰し、後には影さえ残らない。


 キラキラとした魔力の残骸ざんがいが男のへたり込んでいた場所できらめき、その輝きも次の瞬間には消えてしまった。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る