17:三択

 夜が明けて陽が昇り、道を行く人影の数が増え出した頃、ダルク=アンサングは学院へと向かう細い流れの中に混ざっていた。学生達の姿はまだ疎らで、研究区間に向かう聖歌隊員の数も多くはない。


 学院の門を越え、昨日より数を増やしている警備の騎士達に目を流しながら、寄り道もせずに第八研究室まで向かう。研究室の扉を開き、ダルクはそのまま動きを止めた。


「いい朝だな、ダルク=アンサング。今朝の新聞は読んだか? ムントラー川で渓流釣りが解禁されたとさ。獣人族は大喜びだろうぜ。水人族はムクれるだろうがな」

「……なんでいるんですか?」


 いつもなら徹夜で研究室によくいるアルサ=ドレインが一番に第八研究室にいるところ、普段いない人間が二人当たり前と言うように椅子に座り待っていた。


 険しい顔で腕を組み座っているタオ=ミリメントと、新聞を広げやって来たダルクを見もしないアバカス=シクラメン。アルサも少し前までいたのか、実験器具がテーブルの片隅に並べられたままだ。


「先生を殺した犯人でも分かったので?」


 そのダルクの質問を受け、アバカスは鼻で笑うと手に持つ新聞を閉じてテーブルの上に放り捨てる。馬鹿にしたような不良冒険者の笑いにダルクは顔を歪めるが、アバカスは聖歌隊員の顔色など気にせずに椅子から立ち上がると、体をほぐすように伸びを一つした。


「あー、愚者のフリなぞしなくていい。こっちも何も知らずに彷徨さまよい歩く道化じゃないんでな」

「……なに?」

「なぜドランクが死んでから事情聴取に来るのに五日も日が開いたのか、俺達がなぜ多くを知らずに捜査活動してるのか、あんたらは本当は全部分かってんだろってことさ」


 首を傾げるダルクに肩をすくめ、アバカスはタオに顎をしゃくって合図を送る。居心地悪そうに椅子に座り直し、タオはため息を挟んでから口を開く。


「……昨夜未明にアルサ=ドレインが死亡した。死因はドランク=アグナスと同様だ」


 息を詰まらせ、ダルクはそっと扉を閉めると、蹌踉よろめきながらテーブルに手をつき体を支え、手近の椅子に腰を下ろした。


「……いつ? どこで? そんなまさか」

「『なぜ?』とは聞くなよ? あんたらがどんな研究をしていたかは既に調べがついている。ドランクの娼婦街や孤児院の巡回も人体実験の延長だろう?」

「……ちがう」

「そうか? 娼婦や孤児が体調の不良を訴え死んだところでよくある話。そこまで上は気にしない。研究が形を成すまで」

「それは違うッ‼︎」


 声を荒げて立ち上がったダルクに合わせて座っていた椅子が勢いよく倒れる。その音に驚く事もなく、アバカスはゆっくりとダルクの方へと振り返る。不躾な男に詰め寄ろうにもテーブルが邪魔で行き場なくその場で足踏みし、ダルクは吐き捨てるように言葉を紡ぐ。


「私は大戦孤児だ、戦場で先生に拾われたッ」

「ほう、そうなのか? 聖歌隊員の経歴書ってやつは聖歌隊に入ってからの事は詳しく書いてあるんだが、それ以前の経歴は雑でなぁ」

「……アバカスっ」


 咎めるような女騎士の声にアバカスは口を閉じた。ダルクに向けるタオの視線は、同情、ではなく、共感の色を帯びている。下手に話を掘り下げると必要のない刃を向けられる事を察し、アバカスは幾つか話を飛ばす。


「ならあんたは何を知ってる?」

「それは……」


 言い淀み、僅かの沈黙を挟んだダルクの瞳が女騎士と不良冒険者の間を激しく行き来する。椅子に座り直そうと後ろに手をダルクは伸ばすが、椅子が倒れている事に気付くとテーブルの上へと腰を落とした。


「……犯人を知ってる」

「は?」


 タオの口から間の抜けた空気が漏れ出る。


「……なんだと?」

「……だから知ってる。犯人を」


 今一度告げられた事実にタオは腰を浮かせるが、アバカスの手が肩に置かれ椅子へと押し戻された。見上げるタオに静かにしろとアバカスは続けて手のひらを向ける。


 静寂を破るのは、時間を掛けて開かれたダルクの声だ。


「大戦をご存知で?」

「あぁ俺はよく知ってる」

「なら知ってるでしょう、魔法使いも、聖職者も、魔法職の者達は誰もが魔女を恐れてる」

「……別に魔法職に限った話でもないだろう」


 タオの言葉に小さくダルクは左右に首を振る。薄ら笑いながら。


「いや、騎士や戦士には分からない。生まれながらに絶対的な才能の差がある存在に会った事はありますか? 差なんてものじゃない、アレは溝だ。決して埋まらない深い深い溝ですよ。私はこれまで先生が一番の魔法使いだと思っていた。でも、赤子と大人、どころか赤子とドラゴンくらいに違っていたよ。魔女はその名の通り魔法に愛されている」


 知識を詰め込み、長い時修練を重ねて人間が魔法を扱う術を学ぶのと違い、産まれながらに呼吸するかのように神咒しんじゅ口遊くちずさみ魔を手繰たぐる。


「魔法使いが永遠に努力を重ねても、魔女に並ぶ事は叶わない。寿命を持たず、帝国の保持する一番古い魔女は百歳を軽く超えるそうですよ。魔女は永遠だ。私達は違う」

「……つまり、貴様は何が言いたい?」

「もし、そんな魔女を殺す方法があったら?」


 言いながら、周囲を軽く見回してダルクはまとうガウンをたくし上げる。タオは顔をほんの少しばかり赤らめ顔を背けようとしたが、ダルクのへそと胸板を直線で結んだ丁度真ん中に刻まれている魔法陣を目に動きを止めた。


「魔女と人間は体の構造が似てる。魔力器官も魔力回路も同じように持っている。それを壊せる方法があったなら、魔女だって殺せる」

「貴様はッ」

「こんな殺戮に特化した魔法を使えるのは、魔女でもなければ大戦帰りの聖歌隊員ぐらいのものですよッ、でも、言えなかったッ。先生の魔法を覚えてるのは私だけだ。私が死ねば、先生の魔法は消えてしまうッ。あの二人はこの時間はまだ自宅のはずですッ」

「アバカスッ」


 タオが立ち上がり、アバカスはもうそれを遮らない。


「ダルク=アンサング、あんたは普段通り学院で一日を過ごせ。どこへも行かずな」


 ダルクが何度も小さく頷くのを確認し、一度タオ達は顔を見合わせると、研究室から出る為急ぎ足を動かす。その背に振り向いたダルクの声が投げられた。


「あの二人は魔女を嫌ってたッ、でも先生は違った。だからきっとッ」


 少しばかり二人は足を緩めたが、アバカスはタオの背を軽く押し、研究室の外に出ると扉を閉めて歩き続ける。


 各々の研究室へと向かう聖歌隊員の流れをさかのぼるように掻き分け進み、目を丸くし足を鈍らせる聖歌隊員を押し除けるようにして強引にタオはアバカスに並んだ。


「アバカスッ、つまりこういうことか? 大戦でさえ魔女に功績を取られ、任された研究さえも魔女を頼った以上功績を取られると憎んだ大戦帰りの聖歌隊員の犯行だと。ドランクは違ったからこそ裏切り者として殺された?」

「かもな」

「じゃあひょっとして、マタドール卿はそんな思惑を知っていて、でも王族の関わっているかもしれない依頼だからこそ強くは言えず、ドランクを見殺しにしたからこそ、『私が殺した』と口にしたと言うことか?」

「そうかもな」

「おい、アバカスッ」


 適当な返事しかしないアバカスにムッとし、タオは引き止めようと横に並ぶ肩を掴み引き止めようとするが、アバカスはまるで止まらず踏ん張る足が床を擦る。


「嬢ちゃん、剣の腕の自信の程はどうだ?」


 そんな中で投げ掛けられる全く関係なさそうな質問に、引き止める事を諦めて再び歩き出したタオは怪訝な表情を浮かべる。「なんの関係がある?」と聞こうかとも思ったが、思いの外アバカスの目には真剣味があり、その言葉を飲み込んで不満気に表情を歪めた。


「私とて騎士だぞ、剣くらい使える。それだけで騎士になったと言ってもいい」

「大した自信だ。なら二手に分かれるぞ」


 まだやって来ていない第八研究室所属の聖歌隊員が二人。


 バム=チャングとダモン=ハグワス。


 片方が犯人か、あるいは共犯か。いずれにしても、二人一緒に動き二人同時に確保するのは難しい。アルサ=ドレインが罠として使われた以上、もう表には出ずに潜伏している事もありうる。二人の自宅をそれぞれ強襲し、在宅しているようならそのまま確保するのがまる。

 

「自宅の場所は?」

「貰った経歴書に書いてあったろ。もう頭の中に入ってる」

「えっと……」

「頭の中が真っさららしい嬢ちゃんは、学院を出たら大通りをずっと真っ直ぐ進んで一番デカい建物を目指せ」


 学院を出たところでタオは足を止め、タオが引き止めずともアバカスも足を止めた。学院から伸びる煉瓦レンガ造りの大通り。その道の先はある場所で途切れている。今はポツンと小さく見えるだけだが、近付けば帝国内で何より巨大な建造物。


「宮殿⁉︎ なぜ私は宮殿を目指さないといけないの⁉︎ 剣の腕とか聞いといて信用してないでしょ⁉︎」

「裏取りだ裏取り。真犯人捕まえるだけじゃ意味ねえだろ。『私が殺した』しか言わねえポンコツの言葉の真意を拾って、犯行の目的や動機も拾ってようやくお仕事はおしまいだ。それになぁ」


 そこまで言ってアバカスは言葉を切る。タオの剣の腕がどれほどかアバカスは正確には知らないが、ただ言えるのは、大戦経験者とそうでない者との間には果てしない戦闘経験の差が存在する。


 バム=チャングとダモン=ハグワスが第一線を退く研究者として今は過ごしているのだとしても、元は最前線で奮戦していた聖歌隊員。近接戦なら騎士の方が分があるとしても、経験差と多用差で押し潰される。


 話し合いだけで済めばいいが、なにより『悪』と見るや喧嘩っ早いタオのこと、一人で争いが巻き起こるかもしれない渦中に放り込むのは、アバカスをして少し心配であった。まだ魔女に向けて放り投げた方がマシというものだ。


「いいか嬢ちゃん、この問題の中心には結局魔女がいる。残る二人の目的も魔女への復讐なら、結局行き着く先は宮殿だ。今この事件の詳細を詳しく知ってんのは俺と嬢ちゃんの二人だけ。第八研究室の奴ならまだマタドールとの面会叶うだろう。俺が宮殿に顔を見せる前に第八研究室の奴が顔を出すようなら迷わず剣を抜け。やれるな?」

「……私に魔女の護衛をしろと?」

「魔女が負けないとしても、アレらに任せたところでちりさえ残さず消し去って真相もクソもねえだろう。その時は嬢ちゃんが先に確保しろ。任せたぜ」


 何をするべきか飲み込むようにタオは少し間を開けて頷き、それを見送ってアバカスは走り出す。お行儀良く地面を歩いている時間はない。一足跳びにすぐ近くの建物の壁に張り付くと、壁を駆け上がり建物達の上を行く。


 屋根のスレートを幾枚も踏み砕き、朝方の空を飛翔する影が目指す先は、貧困街と商業地帯の狭間にあるどの色にも属さない空白地帯の一つ。


 小綺麗と小汚さの中間。どっちつかずが支配する空間に建つ歪な形状の家を前に足を落とす。アバカスが久々に強く動かした体を解すように肩を回すのに合わせて、家の玄関扉がおもむろに開いた。


「これから出勤なのに悪いな魔法使い。時間がねえ、話を聞こうか」


 何食わぬ顔でダモン=ハグワスが立っていた。

 

 


 

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