2:殺人事件

 一旦の話がついてアバカスとタオは早々に冒険者ギルドの外に出た。


 帝国が誇る『騎士団』や『聖歌隊』がらみの楽しくはない話をするのに、不特定多数のならず者達が近くに居ては、それこそ楽しくなくなってしまう。


 冒険者ギルドとしては、腹内で地雷まみれの話などされなくて良かったと安堵あんどしているだろうが。


「それで、嬢ちゃん。誰が死んだんだって?」


 往来に頭を出している喫茶店などに立ち寄る事もなく、二人は散歩でもするかのように歩き続ける。


 『元』騎士であるらしいのにも関わらず、不躾ぶしつけな男と腰を落ち着けたくなかったというタオの思惑もあるが、緊急事態や親しい者でもなければ、道を行く帝国騎士を引き止める者も特別いない。


 少年と言うには老け過ぎており、少なくとも青年に見えるアバカスの歳がいくつなのか知らないが、「嬢ちゃんじゃない」と口にして、小さな咳払いを一つ挟んでからタオは続けた。


 報酬の話を聞いて正しく目の色を変えて引き受けた、三度の飯より金が好きとでも言うような男に侮蔑ぶべつの目を向けながら。


「……ドランク=アグナス。『聖歌隊』の中でもそこそこの古参だ。面識は?」

「ないな」


 『騎士団』と『聖歌隊』が同じ帝国の保持する特殊な集団だとして、全く管轄かんかつは異なる。


 騎士団が警察機能を備えた実働部隊である脳筋集団とするなら、聖歌隊は魔法職をまとめた研究者集団のようなもの。


 剣技などにものを言わせて犯罪者やモンスターをボコすのが騎士団の主な仕事だとすれば、日常的に使える便利な魔法の開発や、不可能を可能に変換しようと頭を日々ひねるのが聖歌隊の仕事だ。


 大規模な戦争でもなければ両者が協力することなど多くもない以上、余程有名でもない限り、個人的な親交でもなければ名前も顔も知っている訳がない。


「四日前の朝方、大きな物音を聞き付け見に行った近隣住民によって路上に転がっている状態で発見された。内側から破裂したかのような見るも無惨な有様で、最初誰かも分からなかったそうだ。遺体の状況からして、間違いなく魔法で殺されている」

「最初誰かも分からなかっただ? よく特定できたもんだ」

「聖歌隊の制服を着ていたそうだからな。騎士団と聖歌隊が身元を確認し終える頃には、本人の名前含めて新聞の一面を飾っていた」

「先回りされてんじゃねえか、笑える」

「笑えないわよッ!」


 そう、正直笑えない。国の精鋭部隊でさえ身元の確認に時間を要している中で、先に大衆に開示された事件の情報。


 戦死や事故ならそれでもいいが、殺人事件ともなれば勝手が違う。犯人によっては、それこそ内々で処理したい案件。誰かが一足早く記者に情報でも売り渡したのか、一部始終でも見ていた通行人でもいたか。


「現場は?」


 そうアバカスが聞けば、タオは少し気不味そうな顔をして目を逸らす。


 言いづらそうに口ごもる騎士の気不味さの中身を確認するように泳ぐ視線の先へとアバカスは顔を向け、何かを納得するように呟いた。


「娼館街かよ、お盛んなこって」


 隣で顔を僅かに赤らめる生娘きむすめのような女騎士の相手は全くせずに、アバカスはちぢれた己が前髪に人差し指をからませた。考えを煮詰め掻き混ぜるように。


 娼館街で殺害されたからと言って、ただの痴情ちじょうのもつれなどと、殺害されたのが聖歌隊の魔法使いであればこそ安易に結論づける事はできない。


 聖歌隊員の総数は、騎士団員の総数よりも少ない。これは、国に認められる程の優秀な魔法使いの数が少ないが為だ。


 そんな魔法の達者を魔法で殺害するような相手、同じ聖歌隊員でもなく、ただの娼婦がそれを成した犯人であったりしたならば、裁判に掛けられるどころか、聖歌隊から勧誘すらされるだろう。


 そうでないなら、何処どこぞの誰かからの色仕掛けによる暗殺こそ疑われるべきだ。


 そこまで思考を整えて、アバカスは隣を歩くタオへと目を落とす。少しばかり沈黙を挟んだおかげで、いぶかしむように上目遣いでにらみ付けてくる少女の視線を手で払いながら。


「事件のあらましはまあいい、どうせ後でもっと深く探る事になる。結論から聞かせろ。犯人は分かってるとか言ってたな。どこの誰だ?」


 その質問にこそタオは困ったように顔をうつむかせた。


 喉の奥から這い出ようとする何かを押し返すかのような生唾を飲み込む音。歳若かろうとも、『勇ましさ』を代名詞の一つとして持つ騎士の怯えた様子に、アバカスは内心で舌を打つ。


 騎士とて人間。恐怖心を抱けぬ者は強くはなれないと言ったのは果たして誰であったか。


 だとしても、基本的にそこらのごろつきやただの冒険者に負けるはずもなければ、人外の化物が相手でも大体は斬り伏せられるだけの武力を騎士と呼ばれる者達は誰もが有している。


 そんな騎士が分かりやすく恐怖の色を覗かせる姿こそ珍しく、問題の異常性を物語っていた。生真面目という文字を背負うようなタオであるからこそより一層に。


 そしてアバカスの予想は的中する。


 恐る恐ると口端から小さく吐息を漏らし、乾いた唇に一度舌を這わせてからタオは顔を上げた。変わらず悪い顔色のまま。


「────『魔女』だ。帝国が保持する『魔女』の一人。マタドール卿が被疑者の第一候補だ」


 『魔女』。


 曰く、人と似て非なるモノ。空に輝く星さえも掴み得るモノ。


 人間に似た姿形を持ちながら、その内側は全くの別次元。


 魔法なら魔法職の者達も使えはするが、『魔女』と呼ばれる存在は、そんな者達を歯牙しがにも掛けぬ圧倒的な魔力量と技量を誇り、保持する『魔女』の総数がそのまま国力の差とさえ言えてしまう絶大なる生物。


 恐怖の底なし沼の最奥から浮き上がるあぶくのようにか細いタオの声を聞き、アバカスは一度小さく頷いた。


「魔女ねぇ? 嘘くさ」

「嘘ならここまで困らないわ! ……んんっ、よくもそんな冷めた顔ができるものだッ。先に言っておくがここまで聞いた以上もうタダでは引き下がれないぞ?」


「引き下がるつもりはねえよ」と、一言挟み、アバカスは雑に頭を掻く。


「魔女ったってなぁ? 騎士どころか誰もが知ってる話だ。魔女には心がねえってな。アレらが力を振るうのは必要だと判断した時か、自己防衛の為だけだろ。その魔女様がたかが人間一人を殺すかね? 被害者が死んでいたのは娼館街でなんだろ? 魔女の多くが王宮に囲われているとして、離れている場所にいる奴を殺す事くらい簡単にできるだろうが、動機が分からねえな。魔女である以上私情とも思えねえし」

「だが、他でもない本人がと口にしている」


 ますます意味が分からないと、思考停止しかける頭を一度叩き、青空の彼方へとアバカスは視線を逃した。


「俺を馬鹿にしてんのか? 犯人が自供じきょうしてんなら、事件はもう解決じゃねえか。そこからなんの真相を追えってんだ?」

「私にそれを言われても困る。でも分かるだろう? 犯人が魔女かもしれない事が問題なのだ」


 魔女は言わば戦略兵器も同じ。どんな小国であろうとも、魔女を一人保持するだけで持たぬ大国よりも上に位置できる。均衡を崩すような存在が、自分勝手に大きな力を振るわないからこそ存在を許されているようなもの。


 それが私利私欲の私情で人々を殺し始めましたなどとなっては、世界は崩壊する。魔女が殺人を犯したという事実を公表するだけでも人々の不安が爆発するのは間違いない。


 が、事件がその通り真実にせよ違うにせよ、いずれにしても人間一人死んだくらいで国が魔女一人を手放すのはありえない。数百万の国民より、魔女一人の方が重要なのだ。


 そもそも争いになれば魔女を殺すのは非常に難しいということもあるが、帝国の思惑が透けて見えるとでも言うかのようにアバカスは鼻を鳴らす。


「あるもんはあるとこにしかねえんだよ、ないものをあるにしろとでも? 不可能を可能に変えでもしたけりゃそれこそ魔法使いか別の魔女様にでも頼みゃいい。真相を追えってのはアレか? 罪をなすりつける人柱でも選べって隠語か何かか? そんなら俺に頼みなんかせずさっさと内で処理すればいいものをよ」

「私が知るか。ただ、魔女が自供じきょうめいた事を口にしていたとしても、事件の全容がまるで分からないんだ。そんな問題の中身が中身だからこそ、多くがこの件に関わる事を避けている」


 何はともあれ、魔女が本当に人を殺したとして、それが何故であるのか事件の詳細は捜査しなければならない。

 

 が、何が染み出てくるかも分からない厄ネタには誰も手を付けたくないのが正直なところ。身内がらみなら尚更だ。外部の者に頼もうにも、素性すじょうの知れぬ信用できない相手に頼み口外でもされては元も子もない。


 故に、かつて騎士団に所属していたアバカスが蠱毒こどくに手を突っ込む役に選ばれた。


 アバカスからすれば何ともありがた迷惑な話であるが、前金を既に受け取っている以上、それらを踏まえた上でも、逃げる気もなければ、尻込むつもりもない。


 一度やると決めた以上、アバカスが考える事は二つ。急遽暖まったふところを使っての今夜の晩飯と、これからどうするかだ。


「それで嬢ちゃん、ある程度の話は分かった。これからどうすりゃいい? ドランク=アグナスの事件当日までの軌跡でも追えばいいのか? 真相を追えったって、ある程度の方針くらいあんだろ?」

「今どこに向かっていると思っている? 一応の犯人が分かっているなら、当人に話を聞くのが一番早いだろう。面会の許可は出ている」


 そう言いながら、タオは角を曲がって大通りへと足を伸ばす。煉瓦レンガの敷き詰められた真っ直ぐ伸びる大路の上を行商人の馬車が忙しなく行き来しており、ひずめ達が小気味の良い行進曲を奏でている。


 街路樹と石造の建物達が軒を連ねた先に待つのは、およそ六〇〇〇万人に上る帝国民の頂点に座する皇帝達王族の住居であり、行政の中心でもある彫刻の施された絢爛豪華けんらんごうかな巨大建造物。


 正面玄関を有するU字型の建物を中央に、左右対称に大きく伸びた両翼。


 優しく迎え入れると言うよりは、取り囲まれるような威圧感を放つ宮殿に向かう者の足取りに重みが生まれる中、そんな者達の横を通り過ぎ、変わらぬ足取りでアバカスとタオは歩き続ける。


「マタドール卿は宮殿左翼一階端の第三図書室を自室としている。犯人候補とはいえ分かっていると思うが粗相はするなよ?」

「早速寿命が縮まりそうだなおい。これでも『元』騎士ではあんだ。礼儀作法くらいまだ覚えてんぜ」


 タオは一度アバカスの頭の天辺から爪先までを見回して、信用できそうもないと肩を落とした。







 

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