マリオネットロマンス

生崎 鈍

一章 魔女心は冬の空 篇

1: 頼んでいない来訪者

 こんな事をする為に騎士になったのではないと、タオ=ミリメントは深く眉間にしわを刻んだ。


 昼になってペプチカ帝国の首都に座す冒険者ギルドの年季の入った扉を開けて入って来た、まだ幾らか幼さが残る年若い女が一人。


 肩に掛かるくらいのつややかな金髪をツーサイドアップに纏めた輪郭の整った少女がいくら不機嫌を顔に描いていたところで、普段なら腕に覚えのある冒険者の男が一人二人と声を掛けるのだがこの日は違った。


 ギィギィ耳障りな入り口扉の音が美少女の到来を告げ、多くが一度は視線を投げるもすぐに目を逸らす。


 少女が身に纏う白と緑の縦縞模様ストライプによって構成された制服と、黒いブレトンベレー帽。少女の腰から下げられた細身の剣よりも、その制服の姿にこそ周囲の者達は目を背ける。


 帝国を守護する『オーホーマー騎士団』の騎士制服。着込む者の年齢は関係ない。数百数千万の帝国民の中から『強さ』を認められ選ばれた、千人に満たない強靭きょうじんなる戦士の証。


 目を背けた者達は再び視線を向けるような事もなく、脳裏に刻まれかけた見目麗しい少女の風貌も縞模様しまもように塗り潰されて後日思い出せもしないだろう。


 冒険者がのぞむ仕事の多くが、訳有りであったり、騎士達ほどの武力も必要としない雑用や所謂いわゆるおこぼれのような仕事である以上、帝国騎士と対面するような機会は多くはない。


 なぜ帝国お抱えの騎士がわざわざ冒険者ギルドにやって来たのか?


 騎士自らが冒険者ギルドに仕事を投げたり、逆に仕事を引き受けることはないと言っても過言ではない以上、掃除のアラでも探すかのようにギルド内を見回す若い騎士の機嫌でも誰ぞがそこね、しょっ引きに来たとでも言われた方が納得できる。


 多くの冒険者が存在感を消すかのように息を呑み、幾人かの冒険者がやましい事でもあるのか外へと足を運ぶ中で、騎士は薄暗い影の中たたずむ隅のテーブルに目を向けると、そちらに向けて足を伸ばした。


 天井から吊るされた少し錆び付いた洋燈ランプの下に、タオに背を向けるようにして若い男が一人座っている。その背後に近寄ると、望まぬ用事を済ませるかのように口早に少女は言葉を並べた。


「お初にお目に掛かる。我が名はタオ=ミリメント。貴様がアバカスで間違いないな?」

「受付はあっちだ嬢ちゃん」


 遠巻きに見守る受付嬢達が苦い愛想笑いのまま顔を固めるのも気にせず、古ぼけた椅子に座る男が受付嬢の立つカウンターを指差し、タオはこれ見よがしに舌を打つ。


「用があるのは貴様にだ」

「帝国騎士様が俺に? 嬢ちゃんはよくユーモアがあると言われないか? 酷い冗談だ。笑えるな、爆笑だ」


 男の押し殺したような笑い声が空気を震わせる。タオは苛立たしげに舌を打つと、男の正面の椅子に音を立てて腰を下ろした。『冗談』などと思いたいのはむしろタオの方だ。


「上からの命でな。貴様に任せたい仕事がある」

「上? 騎士団がか? 冗談も休み休み言えよ嬢ちゃん。それともあれか? 騎士の扮装ふんそうをしているだけで嬢ちゃんは道化師だったりするのかね? それとも嬢ちゃんは」

「私の名はタオ=ミリメントよ! 嬢ちゃんじゃない!」


 口調を崩し、怒色をはらんだ若き騎士の声に、男は驚くこともなく視線を持ち上げる。本当に騎士なのかとでも言いたげな男の侮辱ぶじょくの言葉に、タオは剣の柄に右手を置く。


 騎士の怒号どごうを受けて冒険者ギルド内に緊張が走るものの、最も近くに居座る男はどこ吹く風といった様子でテーブルに置いていたグラスを掴むと中身を喉へと流し込んだ。水に流せとでも言うように。


「そうイライラするなよ。顔に欲しくもないしわが増えるぜ? 分かんだろう? 帝国の騎士がわざわざ冒険者ギルドに足を運んで個人に依頼をする。正しく異常事態だぜ。疑いたくもなる。だろうが? 冒険者がやる仕事なんてのは、多くは畑を荒らす化物を退治してくれだの、行商人の護衛なんぞさ。お国の重要な仕事をこそ、騎士団がこなしている以上、騎士が持ち込んでくる仕事なんざ胡散うさん臭いにも程がある。だいたいなぜ俺なんだ?」


 冒険者アバカスの服装と言えば、ヨレヨレのコートにヨレヨレのズボン。武器の類を持ってさえいない。髪もくしを通していないのかボサボサで、癖の強い黒い髪の中に白髪が目立つ。


 冴えない男。一見してそんな印象しか受けない。


 如何いかにもな男の正論に、タオは小さなため息を足元へと落とし、剣の柄に乗せていた右手を滑り落とす。


 鞘から剣を引き抜いたところで、何が解決する訳でもない。精々ふざけた男を叩き斬れ、タオの気が少しばかり晴れるくらい。


 『それもいいかも』とほんのちょっぴり思いながらも、それでは受けた命令を遂行できない為、こうなったらもうさっさと仕事を終わらせようとばかりに渋々話を進める事にした。


「自分の胸に手を当て聞いてみろ。それで分かる」


 少女の言葉に心当たりでもあるのか、素直に胸に手を当て天井を見上げてしばらく、アバカスは口を開いた。


「さっぱり分からねえ」


 茶化すかのように肩をすくめて。


「このっ、それが帝国騎士に対する態度なのっ? 上からの命がなければ今すぐ決闘を叩きつけたい気分だっ」

「あのなぁ、俺は別にあんたとの会話を楽しみたい訳じゃねえんだ。仕事の話に来たのならちゃきちゃきそれだけ話してくれよ。逆に会話を楽しみてえとでも言うのであれば話題を変えよう。最近娼婦の間で騎士の仮装コスプレをすんのが流行ってるらしいんだがどう思う?」

「最低よおまえ……ッ」


 少なくとも女騎士に向けて振るような話題ではない。


 ギザギザした歯を覗かせて微笑を浮かべる男のペースに乗っかっていてはいつまで経っても話は進みそうもなく、痛む頭を冷ますかのように目頭めがしらを一度押さえ、タオは周囲の者達が聞き耳を立てていない事を確認しながら、若干声を落とし告げる。


 怒りよりも、さっさとこの場を離れたい欲が勝った。


「……貴様に仕事を依頼する理由は、貴様が『元』帝国騎士団の騎士だったからだ。私はそう聞いている」


 タオが誰とも知らぬ、素性すじょうも分からぬ者に仕事を依頼しに来た訳ではないと聞き、アバカスは少し顔をしかめた。


 タオからしても、頼む相手が経歴不詳の無頼漢であったなら、冒険者ギルドになど足を運んではいない。


 面識はないが、片方に『元』が付いたとしても一応は同胞。だからこそ、タオも引き受けた。ただ、アバカスはタオの想像する人物像とは違っていた。


 既に辞していたとしても一度でも騎士であったなら、礼節れいせつを重んじ、美徳と善行をたっとび、清廉潔白せいれんけっぱく勇猛果敢ゆうもうかかんを胸として、必要な品格を備え人々の模範となれるよう日々鍛錬にいそしむべきである。


 残念ながらアバカスからはそのいずれをも持ち合わせているようには感じられず、騎士道精神と呼ばれるものは何処いずこかに落としでもしたか、そもそも持とうとも思っていないらしかった。


 ただそのおかげとでも言うべきか、タオも余計な気を遣わなくてよくはなった。優しさを求めていない者にそれを差し出す程の余裕を、タオもまだ持ち合わせていない。


「それ以上の細かな理由を私は知らん。とにかく、上が貴様を指名した」

「あぁそうかよ、より話がきな臭くなってきたぜ。んで? 仕事の内容は? 遠方の敵国の要人でも暗殺しろって?」

「……新聞は見たか? 一昨日のだ」

「一昨日は仕事で隣の町に行っててな。今朝首都ここに帰って来たばかりだ。つまり見てねえ。で?」


 アバカスは先を催促するが、眉間のしわを深めてタオは一度口を引き結ぶ。


 椅子の背もたれに体を預けながら腕を組み、周囲へ視線を走らせる騎士の姿に、いよいよ本格的に厄介事らしいとアバカスがうんざりと肩を落とすのに合わせて、タオはテーブルに肘を乗せ、体を僅かに前へと倒した。


 周囲に話が聞こえぬようにより声量を絞って。告げ口でもするかのように話しだす。


「聖歌隊に属する国家魔法使いが殺害された。貴様にはその真相を追って貰う」

「はぁ? めんどくさっ」


 思わず漏れ出たアバカスの心の声に、タオの細長い眉尻が吊り上がる。テーブルの下で響くつば鳴りの音に、降参とばかりに小さくアバカスは両手を上げた。


「待てよ。とか依頼どころか命令じゃねえかという文句は置いといてだ。『聖歌隊』だと? 『騎士団』と対をなす帝国お抱えのエリート魔法使いが国内で殺害されたとか大事件だろ。それこそ冒険者じゃなく騎士団が当たるべき案件だ。それを俺に? 馬鹿なの?」

「私だってそう思うッ。けど、上が言うにはッ」

「あぁ、いぃいぃ、大方内部の犯行の可能性が高くて、誰が犯人かも定かでねえから『元』騎士で内情もある程度知ってる無関係の俺に話を持って来たってところだろ? だから」


 そこまで言ってアバカスは口を閉じた。目の前で少女が非常にばつの悪そうな表情を浮かべたから。


 その顔色に嫌な予感を刺激され、アバカスも鏡合わせのように顔色を苦くする。


「違うのか?」

「一応だが犯人は分かってはいる」


 タオの答えに、アバカスは本格的に顔を歪める。犯人の分かっている事件の真相を追えなど意味が分からない。後ろ暗い何かが隠されていたとしても驚きもできなさそうな話。


 少しばかり突っついてみようかとアバカスは口を開こうとするが、それを察したのか、一足早くタオが沈黙に言葉を差し込む。


「ここから先は貴様が仕事を引き受けてからだ。詳しく話して断られるのが一番困るからな。私としては、断ってくれて全然いい」


 初対面で少しばかり話、すっかりアバカスはタオの中で一緒に仕事をしたくはない相手としてその地位を勝ち取った。


 そして、アバカスの答えも既に決まっている。


 NOだ。圧倒的にNO。


 犯人が誰かを餌に好奇心を刺激して仕事を引き受けさせる為のここまでの話であったとして、それを抜きにしても怪しいが過ぎる。


 アバカスが『元』騎士であろうがなかろうが、冒険者の手には余る。帝国お抱えの精鋭部隊員の殺害事件。深く突っ込み何が出てくるかも分かったものではない。


 なによりも、アバカスが『元』騎士であればこそ関わりたくはなかった。何も知らないより、知っているからこその怖さがある。


 アバカスの内心を知ってか知らずか、ここまで話したら後はもう受けるか断るかすっぱり決めて貰おうと、タオは生真面目に上から伝えられていたアバカスが仕事を引き受ける場合の報酬の話を口にする。


 それで断るようなら、それでもう決まり。居心地の悪い空間から帰りたいとばかりに、タオは懐から重たそうな小さい布袋をテーブルの上に置く。


「引き受けるならこれが前金だ。成功したらこの十倍を支払おう」


 テーブルを小突く幾枚もの金貨の音色。


 これがいけなかった。


 全くもってお断りと小難しい顔を浮かべていたアバカスが、これまでの諸々を押し流すかのような気味悪い程の爽やかな微笑みを浮かべると、驚くべきほど素早く布袋を掴み取り自分のふところへと収める。


「交渉成立だ。引き受けようタオ=ミリメント卿」

「なんでよッ⁉︎」


 少女の悲痛な叫び声が、冒険者ギルドを包み込む。







 

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