虚ろなるレガリア Corpse Reviver 11/13


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 エクトル・ライマット伯爵は、その報告を、ライマット・インターナショナルの日本支部で受け取った。RMSの若い通信担当官が、戸惑いの表情を浮かべて、無人偵察機のレポートを読み上げる。

「ギャルリー・ベリトが派遣した部隊が、蔵前橋付近で覇下を撃破したようです」

「覇下だと?」

 飾り気のない規格品の椅子に体重を預けて、伯爵は怪訝な表情を浮かべた。

 ライマット社が日本での本拠地に使っているのは、かつての自衛隊大宮駐屯地の建物だった。

 支部の通信施設はもちろん、会長室の家具や調度品も、駐屯地時代の品の流用品だ。この椅子の座り心地を見る限り、自衛隊というのは、それほど裕福な組織ではなかったらしい。

「ギャルリー・ベリトが二十三区に送りこんだのは、戦闘員一個分隊だけだと聞いていたが……グレードⅢの大型魍獣を戦闘車両の援護もなしに駆除したというのか?」

「詳細は不明ですが、付近で大規模な砲撃などは観測されておりません」

 通信担当官が、タブレット端末のデータをそのまま読み上げる。

 ふむ、と伯爵はわずかに眉を寄せた。

 グレードとは、既存の軍隊の戦力を基準に設定された、魍獣の脅威度を表す指標だ。等級がひとつ上がるごとに、魍獣の戦闘力は約四倍になる。

 グレードⅠの魍獣の脅威度は、歩兵一個分隊の戦力に相当。ただし歩兵戦力だけで対処するのはグレードⅡが限界といわれており、グレードⅢ以上の魍獣は、装甲戦闘車両の支援なしでは絶対に倒せないといわれていた。

 にもかかわらず、ギャルリーの部隊は、グレードⅢの覇下を無力化したという。つまり彼らは、ライマットが知らない戦力を保有しているということだ。

「不死者……やはり本物か……?」

 伯爵が険しい表情で呟いた。その瞳の奥に宿る暗い炎が、通信担当官の表情を強張らせる。

「ラ・イール少佐の部隊はどうなっている?」

「国道十七号、白山上交差点付近を南下中です。目的地までの距離は約二・八キロ」

「少佐にギャルリー・ベリトの動向を伝えておけ。問題ないとは思うがな」

「は……直ちに!」

 軍人風に敬礼した通信担当官が、逃げるように部屋を出て行った。

 部下の姿が見えなくなるのを待って、伯爵はおもむろに立ち上がる。

 不機嫌な表情のまま彼が向かったのは、敷地内に新しく建設された白亜の建造物。製薬会社の研究所に似た厳重な隔離施設だった。


「〝ブリュンヒルド〟の容態はどうかね、ネイサン卿」

 厳重な生体認証を繰り返し、伯爵は与圧された研究室へと入っていく。

 水族館の巨大水槽を思わせるガラス張りの部屋の奥には、一人の患者が横たわっていた。

 薄い患者衣を着た白い髪の少女だ。彼女の全身には何本ものチューブが接続され、その周囲で無数の測定機器が動き続けている。奇妙なのは、意識がないはずの彼女の全身が、銀色の鎖で厳重に固定されていることだった。

 ブリュンヒルドは北欧の神話に登場する半神の娘。鎧を着たまま眠り続けていたといわれるヴァルキュリアだ。それが特殊な被検体である彼女に与えられた名前だった。

「今のところ大きな変化は確認できていない。睡眠ポリグラフの波形は、彼女が徐波睡眠――深いノンレム睡眠の状態にあることを示している」

 ガラス壁の前に立っていたオーギュスト・ネイサンが、ゆっくりと振り返って伯爵を見る。

 白衣を着た長身の黒人だ。彼はライマットの社員ではなく、〝ブリュンヒルド〟も伯爵の所有物ではない。伯爵は研究施設を彼らに貸しているだけであり、立場としては彼と対等だった。

「小さな変化は?」

 定型文めいたネイサンの報告内容が、普段とわずかに違うことに気づいて伯爵が問い質した。

 ネイサンは、目の前に計器に視線を落とす。

「脳の後部皮質領域における低周波脳活動の減少、および他領域における高周波脳活動の増加を頻繁に観測した。それは現在も継続中だ」

「もう少しわかりやすく説明してもらいたいものだな」

「……彼女は夢を見ている、ということだ」

 苛立たしげな伯爵の呟きに、ネイサンが素っ気ない口調で応じた。

 伯爵は、軽い戸惑いを覚えて眉を上げた。

 眠り続けていれば、夢を見ることもある。それは、この被検体の少女も変わらない。そんな当たり前の事実が、ひどく意外なことのように感じられた。彼女に実験材料以外の価値があるなどと、これまで考えたこともなかったからだ。

「〝赤い黄金〟はどうなっている?」

 伯爵は、それきり少女の容態に興味を失い、話題を変えた。

 ネイサンが怪訝そうに見返してくる。

「Fエフメドについては、改良型のモッド2を少佐に引き渡した。あとは彼の報告待ちだ」

「そうではない。本物の〝黄金〟だ」

 伯爵がかすかに語調を荒くする。Fエフメドが完成すれば優れた商品になるだろうが、それは彼が真に求めているものではなかった。

 ネイサンはそれを理解した上で、もったいぶるように静かに首を振る。

「残念だが、伯爵。彼女の覚醒には、まだ相応の時間がかかる。新たな霊液を手に入れるには、意思を持つ器が必要だ」

「やはりクシナダを手に入れるしかないということか……わかった。邪魔したな、ネイサン卿」

 焦燥と落胆を押し隠して、伯爵はネイサンに背を向けた。

 部屋を出る直前、ガラスの向こう側で眠る被験者を一瞥して、冷ややかに言い放つ。

「せいぜいよい夢を見るのだな、死の乙女」

 眠り続ける白い髪の少女は、深い眠りの中でうっすらと微笑み続けていた。


          †


『――うっわー、なんで!? あとちょっと……あとちょっとでパーフェクトでしたよね。ああもう、どうして最後の最後でミスるかなあ、わたし』

『というわけで久々の実況ですけど、やっぱりリズムゲーム楽しいですね。はい、もう一曲、最後にもう一曲やります。次の曲は……そう、この曲、大好きなんですよ。わおんが小学生のとき流行ってて……あ……そう、伊呂波わおんは一万七千歳って設定ですけども……え!?』

『――待って、ごめん、今、配信中……どうしたの? 嘘……? ……敵!?』

『…………………………………』

『〝この配信は終了しました〟』


          †


「ヤヒロ。これはなんですか?」

 目の前に整然と植えられた植物を眺めて、ロゼが平坦な口調で質問する。

 真夏の強い陽射しの中で、風に揺れる鮮やかな緑の葉が目に眩しい。

「キュウリ……だな。あとはトマトとエダマメか……」

 露地栽培の見慣れた野菜たちを眺めて、ヤヒロは呆然と呟いた。そろそろ収穫期を迎えようとしているのか、育ちきった野菜たちは、どれも艶やかで瑞々しい。

「へえー……日本のキュウリってこんな形なんだ。あたしの知ってるのとちょっと違うなー」

 畝の隣に屈みこんだジュリが、無邪気な子どものような感想を漏らす。その様子を微笑ましげに見つめる双子の妹と戦闘員たち。

「いや、待て。おかしいだろ!? どうして二十三区のド真ん中でキュウリが育ってるんだ!?」

 ただ一人冷静さを残していたヤヒロが、野菜たちに向かって突っこんだ。

 神田川の川岸で複合型ゴムボートを乗り捨てて辿り着いた、東京ドームの跡地である。

 この付近は大殺戮の被害が酷く、水道橋駅周辺の建物はほぼ原形を留めていない。東京ドームの本体は跡形もなく消し飛んで、巨大なクレーターと化していた。

 そんな巨大クレーターに隣接する庭園――かつて小石川後楽園と呼ばれていた都立公園を訪れたヤヒロたちが目にしたのが、この野菜畑だったのだ。

 広大な、と形容するほどでもない。家庭菜園に毛が生えた程度の小さな畑だ。

 しかし畑の土は丁寧に耕され、雑草も綺麗に取り除かれている。

 魍獣が徘徊する二十三区のド真ん中で野菜畑――あり得るはずのない異様な光景だ。

「なあ、ヤヒロ。あの旗はなんだ? なんの意味がある?」

 魍獣の接近を警戒していたジョッシュが、畑の奥で揺れる布に気づいて訊いてきた。

 横幅一メートルほどの恐ろしくカラフルな布地だ。少し色褪せてはいるが、そこに描かれた図案の正体をヤヒロは知っていた。小学生向けのアニメキャラクターだ。

「いや、あれは旗じゃなくて子ども用のシーツだ。洗濯物だよ」

「洗濯物?」

 ジョッシュが興味深そうに呟いた。国によっては屋外に洗濯物を干す習慣がないという話は、ヤヒロも聞いたことがある。治安や景観を気にすることなく、無防備に外に干してあるシーツが珍しかったのかもしれない。

 しかし問題はそういうことではない。きっちりと二つ折りにされて洗濯バサミで留められたシーツの存在は、それが干されて間もないことを示している。

 少なくとも四年前から放置されていた、などということは絶対にあり得ない。

「あ……!」

 呆然と立ち尽くすヤヒロのすぐ傍で、誰かの戸惑いの声がした。

 金属製のバケツが地面に落ちて、カラカラと甲高い音を鳴らす。

 キュウリの蔓の向こうに立っていたのは、麦わら帽子を被った少女だった。その隣には、野球帽の少年。どちらもヤヒロより若い。せいぜい小学校の高学年だ。

「こ……子ども? 人間の子どもがなんでこんなところに……?」

 ヤヒロはナイフを構えることも忘れて、ぽかんと目を丸くした。

 あまりの非現実感にクラクラした。悪い夢を見ているような気分になる。

「だ……誰?」

 麦わら帽子の少女が、幼い少年を背後に庇いながら弱々しく叫ぶ。

 その言葉にヤヒロは驚愕した。彼女が咄嗟に口にしたのは、間違いなく日本語だったからだ。

「日本人……なのか?」

 ヤヒロは無意識に少女たちのほうに足を踏み出した。

 それを見た少女の表情が硬く強張った。ヤヒロを見つめる彼女の瞳に、純粋な恐怖の光が浮かぶ。

「いやあああああっ……た、助けて……! ママ……!」

「うわあああああ――っ!」

 子どもたち二人が絶叫し、ヤヒロは為すすべもなく固まった。日本人の生き残りとして疎まれるのは慣れていたが、こんなふうに怯えられるのは初めての経験だ。

 野球帽の少年が、手に持っていたトマトを投げつけてくる。それはヤヒロの肩に当たって、ぐしゃりと潰れた。その直後、ジョッシュが声を荒らげた。

「ヤヒロッ……!」

 トマトくらいでそんなに焦らなくても――と間の抜けたことを考えたのは一瞬だった。大地を揺るがすような震動に、ヤヒロはジョッシュの警告の意味を理解する。

 畑の奥から現れた巨大な影が、ヤヒロの眼前に着地した。

 体高三メートル近い狒々に似た獣。全身は虎縞の剛毛に覆われて、両腕の先は三本の鉤爪。頭部には巨大な二本の角が生えている。魍獣だ。

「――撃っちゃ駄目! 子どもたちに当たっちゃう!」

 咄嗟に発砲しようとしたジョッシュの軽機関銃を、ジュリが乱暴に蹴り上げた。

 ヤヒロは後方に飛び退って、ナイフを抜いた。

 しかし予想していた魍獣の攻撃はなかった。虎縞の魍獣は子どもたちの前から動こうとせず、ただ低く唸ってヤヒロたちを威嚇する。

「魍獣が人間を庇っているのか? どうして……?」

 目の前で繰り広げられている光景に、ヤヒロは激しい混乱を覚えた。

 死に絶えたはずの日本人の子どもがヤヒロを警戒し、魍獣がそんな子どもたちを守ろうとしている。常識では考えられない状況だ。

 虎縞の魍獣の戦闘力はおそらくグレードⅠとⅡの中間程度。ヤヒロを擁する今のギャルリーの戦力なら、決して倒せない相手ではない。

 しかし子どもたちを庇おうとするだけで、戦闘の意思を見せない魍獣を、一方的に攻撃することに対する戸惑いはあった。

 ギャルリーの戦闘員たちも、困惑を露にして動けずにいる。

 威嚇しても逃げようとしないヤヒロたちに業を煮やしたのか、虎縞の魍獣が、再び荒々しく咆吼した。ヤヒロは反射的にナイフを構えて、戦闘態勢を取る。

 そんなヤヒロの眼前を、純白の閃光が走り抜けた。

「――っ!?」

 地面が爆ぜ、その衝撃に吹き飛ばされてヤヒロは後ずさる。

 全身が帯電したように痺れていた。強いオゾンの異臭が鼻を突く。まるで小規模な落雷を、至近距離で浴びたような感覚。その雷撃の正体は、ヤヒロを牽制するための威嚇攻撃だ。

「ママ姉ちゃん……!」

彩葉いろはちゃん!」

 野球帽の少年と麦わら帽子の少女が、救われたように表情を明るくする。

 戸惑うヤヒロたちの正面に、新たな雷撃が降り注いだ。

 駆け抜ける颶風が、畑の作物を揺らす。

 遠吠えのような荒々しい唸りとともに、巨大な魍獣がヤヒロたちの前に着地する。

 狼と狐、そして虎を混ぜ合わせたような猛々しい姿の魍獣だった。

 長い尻尾を除いても、その全長は七、八メートルはあるだろう。美しい純白の体毛が、電気を帯びて青白い火花を散らしている。

 魍獣としての戦闘能力は確実にグレードⅢ以上。俊敏さと雷撃の威力を考えれば、覇下よりも更に危険な魍獣だ。その姿と能力からして、さしづめ雷獣といったところか。

 しかしヤヒロを驚愕させたのは、その見知らぬ魍獣の姿ではなかった。

 純白の魍獣の背中に、人影がある。長い髪をたなびかせた人間の女が、魍獣の背中にしがみつくようにして騎乗しているのだ。

 小洒落たハイカットのスニーカーとミニスカート。その上に着ているあずき色のジャージが、絶妙な生活感を漂わせている。

 ヤヒロと年格好の変わらない若い女だ。女子高生風の十代の少女だった。

「二人とも家に入ってて! 凛花、京太をお願い!」

 魍獣の背中に乗ったまま、ジャージ姿の少女が日本語で叫んだ。

 麦わら帽子の少女が慌ててうなずき、幼い少年の手を引いて走り出していく。

 純白の雷獣が低く唸ると、虎縞の魍獣も子どもたちを追いかけた。まるで二人を護衛するかのような動きだった。というよりも、忠実な護衛そのものだ。

「お、おい!」

 待て、とヤヒロが無意識に手を伸ばそうとした。

 その直後、ヤヒロの足元に雷撃が降り注いだ。

 少女を乗せた雷獣が、金色の瞳でヤヒロを睨みつけている。手加減されているのはわかるが、それでも一歩間違えば死にかねない凶悪な威力の攻撃だ。

「動かないで!」

 ジャージ姿の少女がヤヒロを怒鳴りつけた。

「なによ、あなたたち! うちの子たちになんの用!?」

「おまえこそなんなんだよ!? 人間か!?」

 ヤヒロはナイフを構えたまま怒鳴り返す。凶悪な魍獣を手足のように自在に操る少女。不死者であるヤヒロが言うのもなんだが、まともな人間とは思えない。

 ジャージ姿の少女は警戒したように目を細めながら、小さく頬を膨らせた。

「はあ? わたしが人間じゃなかったらなんなのよ? 天使にでも見えた?」

「……おまえ、めちゃめちゃ厚かましいな……芋ジャージのくせに……」

 自分を躊躇なく天使に喩えてみせた少女に、ヤヒロは驚くよりもむしろ感心した。たしかにこれくらい図太いメンタルの持ち主でなければ、魍獣の背中に乗っかろうとはしないだろう、という奇妙な納得感がある。

「う、うっさい! そんなことはどうでもいいから、今すぐ武器を捨てなさい! でないと、ヌエマルたちをけしかけるわよ!」

 少女が頬を真っ赤にしながら、照れ隠しのように怒鳴り散らした。

 ジョッシュたちは、そんな少女とヤヒロのやりとりを黙って眺めている。日本語がわからない彼らには、少女の警告が伝わっていないのだ。

「ヌエマルってのは、その魍獣のことか? そいつは、いったい――」

 なんなんだ、というヤヒロの当然の疑問は、唐突な銃声によって遮られる。

 発砲したのは、ギャルリーの戦闘員ではなかった。銃声はジャージ姿の少女の後方。野球帽の少年たちが逃げていった方角から聞こえてくる。

「まさか、ほかにも仲間がいたの!?」

 青ざめた少女が、魍獣に跨がったままヤヒロを睨む。

「仲間?」

 ヤヒロは戸惑って周囲を見回した。

 ギャルリーが二十三区に派遣した戦闘員たちは、ここにいるだけで全員だ。

 ほかに襲撃者がいるとすれば、それはクシナダ捕獲作戦に参加した、余所の民間軍事会社の部隊以外にあり得ない。水路を使ったギャルリーの部隊と同等以上の速度で、魍獣たちの棲息域を突破し、ここに辿り着いた部隊がいるのだ。

 これ以上の会話は無駄だと判断したのか、ジャージ姿の少女は、ヤヒロを問い詰めようとはしなかった。代わりに白い魍獣の首筋に手を当てて、祈るように静かに呼びかける。

「――ヌエマル!」

 魍獣は短い雄叫びを上げると、躊躇なくヤヒロたちに背を向けた。

 青白い火花を散らしながら遠ざかっていく少女と魍獣の姿を、ヤヒロはただ呆然と見送った。

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