虚ろなるレガリア Corpse Reviver 10/13


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「――な、わかるだろ、任務だったんだぜ、任務。それなのにあのクソ署長の野郎……!」

 水面を跳ねる魍獣相手に軽機関銃を乱射しながら、ジョッシュの無駄話は止まらない。

 アイルランド系アメリカ人の彼は元警官。潜入捜査員アンダーカバーとして麻薬密売組織の捜査を担当してたが、組織のボスの情婦にうっかり手を出してしまって命を狙われ、ギャルリー・ベリトに転がりこんだ、という奇妙な前歴の持ち主だ。

 ジョッシュが言うには、ギャルリーの戦闘員は、そのような訳アリの人材ばかりだという。

 そういう変人や社会不適合者でなければ、十代の双子が指揮する部隊に参加することなどないのかもしれないが。

 しかし、はみ出し者の集団でも彼らの実力は本物だった。

 延べ六回もの魍獣との遭遇を切り抜けて、ヤヒロたちのボートはすでに全行程の八割近くを終えている。両国橋の手前から神田川に入れば、目的地である東京ドーム跡地はすぐそこだ。

「一体ずつだからなんとかなってるけどよ、こんな連中がボスに統率されて外に出てきたら、ちょいと厄介なことになりそうだな」

 二十発近いグレネード弾をぶちこみ、七体目の魍獣を撃退したところで、ジョッシュが独り言のように呟いた。

 その言葉でヤヒロは、彼らの目的を思い出す。

 魍獣たちを統率する魍獣――クシナダの捕獲。

 たしかにクシナダは危険な存在だ。

 放置すれば、隔離地帯の外に暮らす人類の脅威となる。捕獲されて、その能力が軍事転用されれば、人間同士の争いの火種となる。

 どちらに転んでも、待ち受けているのは血腥い未来だけ。どう扱うのが正解かわからない。

 しかしヤヒロは、クシナダという存在自体には、なんの興味も持っていなかった。ヤヒロはただの案内人。雇い主である双子を、クシナダの棲処まで連れていけばそれで契約終了だ。

 ヤヒロにとって重要なのは、得体の知れない新種の魍獣などではなく、妹の行方だけだった。

 四年間かけて捜し続けた妹の手がかりが、あと少しで手に入る――自分の両手を眺めながら、ヤヒロは強く奥歯を噛み締めた。その瞬間、

「今の言葉、ちょっと訂正かも。一体ずつでも、なんとかなるとは限らないよ」

 ヤヒロの隣に座っていたジュリが、オレンジの髪を揺らしながら立ち上がる。

「どうした、姫さん?」

 ボートの舳先から身を乗り出したジュリを見上げて、ジョッシュが怪訝そうに眉を寄せた。

 しかしジュリはなにも答えない。ジッと目をこらして前方の水面を睨みつけているだけだ。

 それを見てヤヒロもようやく気づく。黄色く塗装された独特の橋梁。蔵前橋の橋脚付近。水面の色が変わっている。巨大な魍獣が潜んでいるのだ。

「ロゼッタ、ボートを止めろ! 覇下だ!」

 後方のロゼに向かって、ヤヒロが叫んだ。ロゼが乗っているのは二艘目のボートだが、制服に仕込まれた通信機のおかげで、離れていても声は届く。

 しかし通信機から返ってきたのは、ヤヒロの想定外の言葉だった。

『ロゼです』

「は?」

『私のことはロゼと呼ぶようにお願いしたはずですが――』

「そんなこと言ってる場合か!」

 ヤヒロが悲壮感漂う突っこみを入れた。ほぼ同時に、川の水面が盛り上がる。

 激しい波とともに姿を現したのは、常軌を逸した巨大な魍獣だ。

 全長は余裕で十五メートルを超えていた。その姿は白亜紀の海竜に似ている。前肢がヒレになった巨大なトカゲだ。ただし、胴体は亀に似た強靱な甲羅に覆われている。

 そこから名づけられた通称は〝覇下〟――元は中国の神獣の名だが、それに相応しい圧倒的な威圧感と、魍獣ならではの凶暴さを持っている。ヤヒロが知っている水棲魍獣の中では、五指に入る大物だ。

「銃じゃ無理か! パオラ! ぶっ放せ!」

「言われなくても……」

 ジョッシュに急かされたパオラが、六連装の回転式グレネードランチャーを構えた。

 初速が遅く、命中精度の低いグレネード弾を、パオラは連射した六発すべて覇下に直撃させる。装填されていたのは多目的榴弾HEDP。対人殺傷力だけでなく、装甲車に対しても有効な強力な弾だ。しかし暗灰色の魍獣は、巨体をわずかに震わせた以外、いかなる反応も見せなかった。

「効いて……ない……?」

 撃ち尽くしたグレネードランチャーを投げ捨てて、パオラが軽機関銃に持ち替える。しかし、グレネードの直撃すら耐える相手に、六・五ミリのライフル弾が通用するとは思えない。

 仮に戦車砲でも倒しきれるかどうか――目の前の魍獣はそんな存在。神話の怪物にも匹敵する化け物だ。だが、

「撃つな。あとは俺がやる。ジュリ、このままやつに突っこんでくれ」

 気怠げな口調で雇い主に言って、ヤヒロは溜息まじりに立ち上がった。腰の後ろにつけた鞘から、大振りのナイフを抜き放つ。

「やる……って……そのナイフで?」

 パオラが唖然とした表情で言った。

「俺だって、できればやりたくなかったよ」

 ヤヒロは力なく首を振る。そして抜き身のナイフを、自分自身の左腕に突き立てた。

 深紅に染まった刃が根元まで貫通し、その激痛にヤヒロが頬を強張らせる。

「うお!? おまえ、なにやってんだ、ヤヒロ!?」

「だからやりたくなかったって言ってるだ――ろっ!」

 ジョッシュがギョッとしたように目を剥き、ヤヒロは苦痛に顔を歪めながらナイフを強引に引き抜いた。ナイフの表面は完全に血に染まり、艶やかな液体がねっとりと糸を引く。

 その直後、覇下が咆吼した。

 血染めの刃を構えるヤヒロを、巨大な眼球が睨めつける。その瞳に映っているのは荒れ狂う殺意と破壊衝動。そして明らかな恐怖の色だった。

「全開、行っくよー! みんなちゃんとつかまっててー!」

 ほかの戦闘員たちが軒並み動揺する中、ゴムボートの舵を握ったジュリが、楽しそうに艇を加速させる。マジか、と顔面を硬直させるジョッシュ。

「こいよ、化け亀!」

 ろくに助走もつけないまま、ヤヒロはボートの舳先から跳躍した。

 魍獣の棲処と化した隅田川の川岸はあちこちが崩れ、放置された船の残骸や木材などが無数に浮いている。目の前に漂っていた小舟のひとつを足場にして、ヤヒロは迫り来る覇下に向かって跳んだ。予期せぬヤヒロの行動に魍獣は目標を見失い、巨大なアギトが空を切る。

 ジュリたちを乗せたボートは魍獣に接触するが、かろうじて転覆を免れた。ヤヒロは右手のナイフを覇下の肩に突き立て、それを支点に相手の背中によじ登る。

 ヤヒロがナイフを刺した位置を中心に、覇下の肉体には異変が起きていた。漆黒の瘴気が鮮血のように噴き出して、グレネード弾にも耐えた皮膚がボロボロと崩れ落ちていく。

 しかしその効果は限定的だ。魍獣の巨体に対して、与えた負傷の範囲はあまりにも小さく、致命傷には程遠い。

「さすがにこうでかいと、すぐには効かないか……」

 ヤヒロを背中に乗せたまま、覇下が暴れる。

 振り落とされないようにしがみつきながら、ヤヒロは再び自分の左腕をナイフで斬り裂いた。

 ヤヒロの血は、魍獣を殺す毒となる。その事実をロゼたちに知られたくはなかったが、出し惜しみをして倒せる相手でもなかった。血に濡れた刃で魍獣の背中に傷を穿ち、その裂け目にヤヒロは血塗れの手首を突き立てる。

「直接流しこんでやる。好きなだけ喰らいな!」

 急激な失血に目眩を覚えながら、ヤヒロは獰猛に微笑んだ。

 ヤヒロの血に触れた魍獣の肉体が、爆発的な勢いで瘴気を噴き出す。常人なら死に至る猛毒の霧。強酸にも似たその刺激に、ヤヒロは歯を喰いしばって必死に耐えた。

 ヤヒロの捨て身の攻撃に、覇下が苦悶の雄叫びを上げる。魍獣の巨体が荒れ狂い、激突の衝撃で橋脚が軋みを上げた。

 しかし魍獣の抵抗も長くは続かなかった。ヤヒロの血に侵された覇下の動きは次第に衰え、やがて完全に沈黙する。

『――ご苦労様、ヤヒロ。すぐに回収に向かわせますから、案内を再開してください。だいぶ時間をロスしてしまいましたので』

 魍獣の背中で荒い呼吸を続けるヤヒロの耳に、ロゼの涼やかな声が聞こえてきた。

 彼女の言葉どおり、ジュリの操縦するボートがすぐにヤヒロに近づいてくる。あの双子に、ヤヒロを休ませるつもりはないらしい。人使いの荒い雇い主だった。


「信じらんねえな……あのでかぶつを本当にナイフ一本で殺っちまいやがった……!」

 沈んでいく覇下の死体を振り返りながら、ジョッシュが放心したように首を振る。ほかの戦闘員たちの態度も似たようなものだった。

 無理もないか、とヤヒロは他人事のように考える。不死身という触れこみに半信半疑だった彼らも、これでヤヒロが、魍獣に劣らぬ化け物だと理解するだろう。

 そのあとで待っているのは、排斥か、迫害か。いずれにせよ予想できたことだった。

 今更それを寂しいとは思わない。孤立するのは慣れている。しょせんヤヒロは雇われの身であり、妹の情報さえ手に入るなら、それ以上はなにも望まない。

「ヤヒロ……傷は……?」

 ボートの隅に座るヤヒロに、パオラが訊いた。一瞬、なにを言われたのか理解できなかった。

 気遣わしげな彼女の視線を辿って、ヤヒロが自傷した左腕のことを案じているのだと気づく。

「問題ない。もう治った」

 ヤヒロは、自分の左腕を掲げてみせた。制服の袖口には、ナイフを刺した痕が残っている。だが、その下にのぞくヤヒロの肌は無傷だった。不死者の治癒力の賜物だ。

「さっきは……なにをしたの……?」

 パオラが重ねて訊いてくる。ヤヒロは小さく肩をすくめた。さすがに誤魔化しきれる状況ではなさそうだ。

「俺の血は魍獣にとっては毒なんだ。すべての魍獣に効果があるかどうかは、試してないからわからないけど」

「毒? 毒なのか、あれ? なんか、すげえ勢いでカメの身体が崩れたぞ?」

 ジョッシュが興奮気味に喰いついた。予想とは違う反応に、ヤヒロは若干の戸惑いを覚える。

「なるほどな、それが二十三区で生き延びてきたヤヒロの切り札ってわけか。姫さんたちが、わざわざ連れてきたから只者じゃないだろうとは思ってけどな……待てよ。ってことは、ヤヒロの血があれば魍獣どもを完全に駆除できるんじゃねえか?」

 名案だろ、と言わんばかりにジョッシュが声を弾ませる。

 ヤヒロは苦笑して首を振った。しゃべり過ぎかもしれないが、隠してもすぐにバレることだ。

「そんな便利なものじゃない。俺の身体から離れてしまうと、この血は効力が切れるんだ」

 正確には効力というよりも、ヤヒロの制御が途切れるというイメージに近い。

 ヤヒロの身体から完全に離れてしまった血は、もはや不死者の肉体の一部ではなく、ただの物質に過ぎないということなのだろう。弓矢などで安全な場所から攻撃することができず、ナイフを使うしかなかったのもそのせいだ。

「――って、なんだ、そのナイフ。ボロボロじゃねえか」

 ヤヒロが鞘に戻しかけたナイフに気づいて、ジョッシュがギョッと目を剥いた。

「ああ、これか……俺の血に長く触れてるとこうなるんだ」

 ほぼ新品だったはずのナイフの刃は、ボロボロに刃毀れしてほとんど原形を留めていない。赤く錆びついたその姿は、まるで何千年も放置された古代の遺品のようだ。

「ヤヒロの血に……耐えられなかった……の?」

 パオラが険しい表情で訊いてくる。ヤヒロは自嘲するように笑ってうなずき、

「だから俺には近づかないほうがいい。魍獣にあれだけの効果を持つ毒が、人間に無害なわけはないからな。俺が呪われた日本人って呼ばれてるのは、あながち根拠がないわけでも――」

「んー……そうかな……」

 ヤヒロの自虐的な台詞を遮ったのは、ジュリののんびりとした声だった。

 戸惑うヤヒロに向かって、オレンジ髪の少女は無造作に身を乗り出し、そのままペロリと舌を出す。頬に触れる柔らかな感触に、ヤヒロは呆然と固まった。頬についていたヤヒロ自身の返り血を、ジュリが舐め取ったのだとようやく理解する。

「ジュリ!? お、おまえ、なにやって……っ!?」

「ほら、なんともないよ。だから気にしなくて大丈夫」

 狼狽するヤヒロに向かって可愛らしく舌を出し、ジュリは悪戯っぽく笑ってみせた。

「ヤヒロのほうは、なんともなくはないみたいだけどな」

「顔……真っ赤……」

 ジョッシュとパオラが、ニヤニヤと笑いながらヤヒロを煽る。わざわざ言葉にこそ出さないが、ほかの戦闘員たちの表情も似たようなものだ。

「そんな……ことは……!」

 ヤヒロは必死に反論しようとするが、焦りで舌が上手く回らない。

「不死者も健全な青少年ってことだな。任せろ、生きて帰れたら、俺が女の口説き方をがっつり教えてやるからよ」

「でも……ジュリには惚れないほうがいい……さっきからロゼがすごい顔で睨んでるから」

 ジョッシュが馴れ馴れしくヤヒロの肩を抱き、パオラは背後に視線を向けた。

 後続のボートに乗っているロゼが、なんの感情もこもらない瞳で、瞬きもせずにヤヒロを見つめている。パオラたちに警告されるまでもなく、双子の妹が、姉を過剰なまでに敬愛していることはヤヒロも理解していた。その大事な姉に頬を舐められた異性に対して、はたして妹がどんな感情を抱くのか――

「なんでそうなる……!?」

 激しい疲労感に襲われて、ヤヒロは弱々しく空を見上げた。

 ロゼの通信機が沈黙を続けているのが、今はどうしようもなく恐ろしかった。

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