虚ろなるレガリア Corpse Reviver 8/13


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 作戦前のミーティングの内容は恐ろしくシンプルなものだった。

 他の民間軍事会社に先んじてクシナダの棲息地に到達し、目標を発見、捕獲する。以上。それだけだ。どのみち二十三区に入ってしまえば、魍獣の動きに合わせて逃げ回るしかないのだから、細かい方針など立てようがないのだった。

「クシナダ捕獲のためにギャルリーが用意した戦力は、二個分隊二十四名。そのうち半分は後方支援として待機し、二十三区内には一個分隊を派遣します」

 河川敷に張った天幕タープの下で、ロゼが淡々と説明する。 

「十二人、か……多いな」

 ヤヒロが顔をしかめて呟いた。

 同行者が増えれば、それだけ魍獣に気づかれる危険も増す。特殊部隊仕様の戦闘員一個分隊は、魍獣の目を盗んで都心に辿り着くにはさすがに目立ち過ぎる。

 とはいえ、クシナダ捕獲の手間を考えれば戦力が十分とも言い難い。ヤヒロは、早くもこの仕事を投げ出したい気分になっていた。

「私たち二人とヤヒロを入れて十五人ですね」

 ロゼがやんわりとヤヒロの言葉を訂正した。

 ヤヒロは驚いて双子を凝視する。ジュリがそんなヤヒロを見上げて、なぜか両手でピースサインを作った。べつにおまえに見とれてたわけじゃねーよ、とヤヒロは渋面を浮かべて、

「あんたたちも作戦に参加するのか?」

「もちろんです。子どもを初めておつかいに出すとき、保護者はちゃんと陰から見守っているものですよ。それと同じです」

「いや、全然違うだろ! おまえらがいつから俺の保護者になった!?」

「……保護者に対するその態度……反抗期ですか?」

「よしよし。いい子いい子。保護者ですよー」

 ロゼが真顔で小首を傾げ、ジュリがヤヒロの頭を撫でてくる。

 冗談とも本気とも見分けがつかない彼女たちの態度に、ヤヒロは、それ以上反論するのを諦めた。それよりもほかに優先して確認するべきことがある。

「それで、肝心のクシナダってやつの特徴は? 棲息地なわばりはわかってるって話だけど、どうやってほかの魍獣と見分ければいい?」

「遭遇すればすぐにわかります」

「どうしてそんなことが言い切れる?」

 ヤヒロが疑いの眼差しでロゼを見た。

 しかしロゼは質問に答えず、無言でヤヒロの背後に視線を移す。

 部隊が集結している河川敷に、大型の装輪装甲車が降りてくるところだった。

背面に大型の通信用アンテナを搭載した指揮通信車。側面に施されたマーキングは、ギャルリーとは異なる民間軍事会社のものだ。

 停車した装甲車の背面から、武装した戦闘員たちが降りてくる。軍服と差別化するためか、彼らが着ている制服は中世の騎士を連想させる華美なものである。

 その中でもいっそう華やかな制服を着た男が、数人の戦闘員を引き連れて、悠然とヤヒロたちのほうへと歩いてきた。絵画から抜け出してきたような美形の青年。二十代後半ほどの長身の男だ。

「ギャルリー・ベリトの諸君、作戦開始直前に失礼する。今回の作戦の出資者スポンサーであるライマット・インターナショナルの会長をお連れした。画廊ギャルリーの警備員ごときにも礼を尽くす、伯爵の温情に感謝していただきたい」

 丁寧な、だが、嘲るような笑い含みの口調で青年が言った。上流階級特有の高慢スノビッシュ発音アクセントだ。

「なんだぁ、てめえ……?」

 男の言葉に真っ先に反応したのはジョッシュだった。ストレートな怒気を隠そうともせずに、声の主を睨みつける。

「待て、ジョッシュ。フィルマン・ラ・イールだ。RMSの総隊長だよ」

 今にも男に殴りかかりそうなジョッシュを、魏が慌てて制止した。

 ヤヒロは無言で眉を寄せる。世間の事情に疎いヤヒロでも、RMSの名前は知っていた。

 ライマット《R》・ミリタリー《M》・セキュリカ《S》――世界有数の兵器メーカー、ライマット・インターナショナルが保有する民間軍事会社である。

 彼らは大殺戮の初期に日本に進出し、現在も多くの都市で物資の運搬や治安維持の仕事を請け負っていた。大殺戮によってもっとも恩恵を受けた企業のひとつといえるだろう。

 今回のクシナダ捕獲作戦を企画したのは、ライマット・インターナショナルだと聞いている。だとすれば、ライマット直営の子会社であるRMSが参加するのはむしろ当然のことだった。

「――少佐。ギャルリー・ベリトは、我々の呼びかけに応えてくれた貴重な連携企業だ。くれぐれも粗相のないようにな」

「失礼しました。伯爵」

 姿勢を正した金髪の青年が、道を譲るように一歩後退した。

 入れ替わるように前に出てきたのは、スーツを着た白髪の男性だった。

 姿勢がいいのでわかりづらいが、七十歳は超えているだろう。柔和な笑みを浮かべているが、眼光の鋭さは隠せていない。嫌な臭いのする男だ、とヤヒロは思った。銃の引き金を引いて自らの手を汚すのではなく、書類にサインをして数億人を殺す――そんなタイプの人間だ。

「……伯爵?」

「ライマット・インターナショナルの最高経営責任者、エクトル・ライマット伯爵です」

 ヤヒロの無意識の呟きに、ロゼが律儀に答えてくる。

 伯爵と呼ばれた男はそんなロゼたちに向き直り、陽気な仕草で一礼した。

「おはよう《チャオ》、シニョリーナ・ベリト。あらためて今回の共同作戦への協力に感謝する」

「わざわざのご来訪いたみいります、伯爵――本日はどうぞお手柔らかに」

 無言で作り物めいた笑みを浮かべるジュリの代わりに、ロゼが慇懃に答えた。

「こちらこそ、名高きベリト一族を雇い入れることが出来て光栄だよ」

 伯爵が鷹揚にうなずいた。

 低い地鳴りのようなエンジン音が響いてきたのは、その直後だった。

 河川敷に集まっているヤヒロたちの頭上――二十三区との境界に架かる新荒川大橋を、装甲戦闘車両AFVの一団が横切っていく。

 兵員輸送車や装輪戦車など合わせて二十両以上。中隊規模の大戦力だ。

「あれは?」

「ランガパトナの装甲部隊だな」

 ロゼの疑問に、伯爵が答える。その声に見下したような響きが籠もっていたのは、ヤヒロの気のせいではないだろう。

「歩兵戦闘車を一ダース揃えたと豪語していたが、馬鹿な連中だ。装甲車のエンジン音など、魍獣どもを呼び寄せる目印にしかならんというのに――」

「それをわかってて行かせたのか?」

 ヤヒロが咎めるような口調で呟いた。

 伯爵は、なぜか興味深そうな視線をヤヒロに向けてくる。ヤヒロが他人の命を気遣うのが、意外だといわんばかりの表情だった。

「彼らがああやって魍獣を引きつけてくれれば、そのぶん私たちは安全に目的地に近づけます。そのための共同作戦。適材適所です」

 ロゼが無感情な声で説明し、ヤヒロは無言で顔をしかめた。潤沢な戦力を持つライマットが、あえて共同作戦を提案してきた理由をようやく理解する。

 伯爵ははなから提携企業の戦力を、囮として使い潰すつもりだったのだ。ギャルリーはそれを理解した上で、彼らを出し抜こうと考えている。狡猾な狐と狸の化かし合い。人の命を賭けチップにした、悪質な勝負事ゲームに彼らは興じている。

「さすがはシニョリーナ・ベリト、よくおわかりだ」

 伯爵が満足げにうなずいた。ロゼたちに自分の計画を見抜かれてなお、彼には平然と笑っているだけの余裕があった。

「その点、少数精鋭の特殊部隊を編制したギャルリー・ベリトは流石だな。優秀な案内人も雇ったと聞いている」

 伯爵がヤヒロに視線を向けた。

 彼は最初からヤヒロの素性に気づいていた。むしろ、ヤヒロに会うためにここに来たのだと、今になって直感する。だがヤヒロには、彼が自分に興味を持つ理由がわからない。

 戸惑うヤヒロを検分するかのように見つめたまま、伯爵が彼の部下に問いかけた。

「二十三区に出入りする回収屋に、呪われた日本人の生き残りがいると噂になっていたが――ひとつ試してみたいとは思わないかね、少佐」

「同感です、伯爵」

 フィルマンが無造作に右手を挙げた。その手に握られていたのは拳銃だった。趣味の悪い彫刻エングレービングを施した年代物の自動拳銃オートマチックだ。

「失礼する、少年」

「――っ!?」

 胸部に凄まじい衝撃を感じて、ヤヒロは後方へと吹き飛んだ。一瞬遅れて銃声を認識。ヤヒロは自分がフィルマンに撃たれたのだと気づく。

「ヤヒロ!?」

「ラ・イール! てめえっ!」

 パオラとジョッシュが同時に動いた。

 自分の拳銃を抜いたパオラがRMSの戦闘員たちを牽制し、その隙にジョッシュが猛然とフィルマンに殴りかかる。

 フィルマンは両手を上げて無抵抗をアピールしながら、ジョッシュの攻撃をひらひらとかわした。倒れたままのヤヒロを見下ろし、深々と失望の息を吐く。

「ふむ……不死身だなんだといっても、タネが割れてしまえばこんなものか……」

「あぁっ!?」

「待ちなさい、ジョッシュ」

 ロゼが鋭い声でジョッシュを制止した。その言葉に意表を衝かれたジョッシュが、飼い主に叱られた猟犬のように硬直する。

 砂礫まみれの地面に転がったヤヒロが、やれやれと嘆息しながら起き上がる。

 その胸元から転がり落ちてきたのは、銃弾がめりこんだセラミック製の防弾プレートだった。ヤヒロの制服に縫いこまれていたものだ。

「真に不死身なら、こんな小細工は必要あるまい。脅かしたことは詫びよう。すまなかった」

 伯爵が、落胆したように目を閉じて首を振った。

 ヤヒロは無言で肩をすくめる。不満はあったが、文句を言っても仕方がない状況だということもわかっていた。なにしろ相手はヤヒロの依頼人クライアントの雇い主なのだ。

「駄目にしてしまった服の代金は、あとでライマットに請求してくれたまえ。それでは」

 伯爵は一方的に言い放ち、ヤヒロたちに背を向けた。護衛の戦闘員たちを引き連れて、そのまま装甲車の中へと引き揚げていく。用は済んだ、といわんばかりの傲慢な態度だった。

「やー……いきなりきたね。大丈夫だった、ヤヒロ? 漏らしてない?」

 倒れたままのヤヒロの隣に屈んで、ジュリがなぜか楽しそうに尋ねてくる。

「誰が漏らすか」

 ふて腐れたような表情で言い返して、ヤヒロは気怠く上体を起こした。

 ヤヒロの制服の胸元には、三発分の弾痕が深々と刻まれていた。どれも心臓から十センチと外れていない。見事な抜き撃ち《クイックドロウ》。フィルマンの射撃の腕は相当なものだ。

 たとえ防弾プレートがあったとしても、普通の人間なら、着弾の衝撃で気絶してもおかしくなかった。ヤヒロがすぐに立ち上がらなかったのは、それを理解していたからだ。

「この制服を俺に着せたのは、このためか」

 ヤヒロがロゼを半眼で見上げた。

 二十三区に入るまでは、この服を着ておけ、と彼女は言った。伯爵がヤヒロを撃ち殺そうとすることを、最初から予期しておいたような発言だった。

「こちらの手の内を、わざわざ敵に明かす必要もありませんから」

 ロゼは表情も変えずに平然と答えた。

「……敵?」

 ヤヒロは呆れたように唇を歪める。作戦の出資者スポンサーであるライマットを、ロゼが取り繕うことなく敵と言い切ったのが少し意外だったのだ。

「ライマット伯爵には、以前から不死者に並々ならぬ興味を持っているという噂がありました。わざわざ本人がヤヒロを試しに来たということは、噂はどうやら本当だったようですね」

 ロゼがうっすらと笑みを浮かべた。そこでようやくヤヒロは彼女の真意に気づく。

 伯爵がヤヒロの不死性を試そうとしたのと同様に、ロゼも伯爵を試していたのだ。

 呪われた不死身の日本人――そんなヤヒロの噂を餌にして、伯爵が本当に不死者に興味を持っているのか確かめようとした。それどころか、ギャルリーがヤヒロを案内人に雇ったという情報すら、意図的にロゼがリークした可能性がある。

 伯爵もヤヒロも、まんまと彼女の掌の上で踊らされていたというわけだ。

「作戦開始は三十分後です。その服は、もう着替えてもらって大丈夫ですよ。右側の兵員輸送車の中に、新しい制服が用意してあります」

 策謀を巡らせていたことなど微塵も悟らせない態度で、ロゼが告げる。

「替えの服まで用意してあったのかよ」

 ヤヒロは精一杯の皮肉を口にした。もちろんロゼは、その程度では表情を変えない。代わりにジュリがヤヒロに向かって手を合わせて、なぜか哀れむように微笑んだ。

「パンツの替えはないけどね。ごめんね」

「だから漏らしてねえって言ってるだろ!」

 ヤヒロがたまらず絶叫する。

 そのやりとりを見ていた周囲の戦闘員たちが、声を上げて爆笑した。

 ヤヒロが不死者となって以来、初めて耳にしただった。

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