虚ろなるレガリア Corpse Reviver 7/13



 第二幕 クシナダ・ハンティング




          1


『――わおーん! おはようございます! 伊呂波わおんです』

『今日も見に来てくれてありがとう。この時間の都内の天気は快晴。今日も朝から暑いです』

『そして、本日は! なんと、わおんの十七回目の誕生日でした! わー、どんどんぱふぱふ! おめでとうわたしえらいぞわたし! というわけで、本日はケーキを焼きます! といっても、ホットケーキミックスで作る簡単カップケーキなんですけどね……!』


          †


 クシナダ捕獲作戦に参加する部隊の集合場所は、川口駅の跡地に近い荒川の河川敷だった。

 大殺戮における破壊を免れた新荒川大橋を渡って、旧・北区方面から二十三区に侵入。国道一二二号線から白山通りを使って目的地に至るという計画だ。

 美術商というのは表向きの肩書きで、ギャルリー・ベリトの実体は武器商人に近いものらしい。画廊ギャルリーを名乗っているのは、単に国境を越えた兵器の輸送や代金の受け渡しに便利だから、なのだろう。

 そして美術品警備の名目で、彼らは独自の民間軍事会社を保有している。ヤヒロが合流した時点で、現地にはすでに数台の装甲兵員輸送車と非装甲ソフトスキン武装ガントラックが集結しており、物騒な雰囲気を漂わせていた。

 そんな中、どこか場違いな美少女が、目ざとくヤヒロを見つけて飛び跳ねながら両手を振る。オレンジメッシュの髪の小柄な娘だった。

「あー、来た来た。ヤヒロー、こっちー!」

 ジュリエッタ・ベリトの大声が引き金となって、周囲の視線が一斉にヤヒロに降り注ぐ。

 ヤヒロは仏頂面になりながら、渋々と彼女のほうへと近づいた。

 ジュリを囲んでいるのは、ギャルリー所属の戦闘員たちだ。

 彼らは厳密には兵士ではないので、正確には請負人コントラクターと呼ぶべきなのかもしれない。民間軍事会社の社員は迷彩服などの軍服を着ることが許されていないため、彼らはマウンテンパーカーに似た独自の制服を着用していた。

 白と黄色を基調にした、無駄にスタイリッシュな制服だ。

 特殊な素材で作られた布地は真夏でも涼しく、高い防水性を透湿性を持っている。

 さらには着用者を保護する防弾機能と、それによって増加した重量を支えるパワーアシスト機能も内蔵されていた。おそらく一着で数千ドルはくだらないはずだ。

 派手で高価で高機能。いちいちヤヒロの癪に障る制服である。

 そしてなによりも苛立たしいのは、ヤヒロ自身が同じ制服を着せられていることだった。

「服のサイズは問題なかったようですね」

 兵員輸送車から降りてきたロゼが、無愛想な顔のヤヒロに話しかけてくる。

 彼女が着ているのも、ヤヒロたちと同じ制服だ。ただし細部がだいぶアレンジされていた。ボトムがスリット入りのミニスカートになっており、肩や腰回りの露出度が大胆に増している。

 格闘の得意なジュリに合わせて、防弾性能よりも動きやすさを重視したのかもしれない。あるいは単に暑苦しいのを嫌っただけかもしれないが。

「サイズは、まあいいんだが、この重さはどうにかならないか?」

 制服の胸元に手を当てながら、ヤヒロが不満を口にした。

 胸部に内蔵された防弾プレートは、新素材で軽量化されているといってもそれなりに重く、身体の動きを阻害する。

「パワーアシストがありますから、起動してしまえば重量を感じることはないはずですが」

「余計な荷物を抱えてることには変わりないだろ。もともと俺には要らない装備だしな」

 不死者であるヤヒロにとって、銃によるダメージは脅威ではない。そもそも魍獣相手では防弾プレートなど気休めにもならないのだから、どう考えても重くて邪魔なだけの無意味な装備だ。

「二十三区に入ったら、その服は脱いでも構いません。ですが、それまでは着ておいたほうがいいと思いますよ。あなたは自分で思っているよりも有名人ですから」

 ロゼがはぐらかすような口調で言った。

 どういう意味だ、とヤヒロは眉を寄せる。しかしロゼの発言の真意を問い質す前に、誰かがヤヒロの腕を強く引っ張った。

「ヤヒロヤヒロ、これあげる」

 馴れ馴れしくヤヒロにしがみつきながら、ジュリが密閉された封筒を押しつけてくる。板チョコほどのサイズの厚みのある封筒。覆っているのは、高級洋菓子店の包装紙だ。

「なんだ、これ?」

「お菓子だよ。おなかすいたら食べてね」

「そんな余裕があればいいけどな」

 邪魔になるような大きさでもなく、突き返す理由もなかったので、ヤヒロはありがたく菓子包みを受け取った。無造作にレッグバッグのポケットに放りこむ。

 一方でヤヒロは、周囲の警戒を怠ってはいなかった。

 ギャルリー・ベリトという組織において、この双子がどういう立場にいるのかはわからない。

 だが、彼女たちが連れてきた得体の知れない案内人を、ギャルリーの戦闘員がすんなり受け入れくれるとは思えない。そんな幸せな想像ができるほど、ヤヒロは平和な世界で生きてはこなかった。

 多少の嫌がらせで済めば御の字で、最悪の場合、いきなり銃弾が飛んでくる可能性もゼロとは言い切れない。どれだけ警戒してもやり過ぎということはないはずだ。

「――よぉ、日本人。おまえが姫さんとお嬢が連れてきた案内人か」

 不躾な視線をヤヒロに向けながら、戦闘員の一人が砕けた英語で尋ねてくる。鶏冠のように逆立てた金髪が印象的な若い白人男性だ。

 そして彼は、出し抜けに右手を突き出した。握手を求める姿勢だった。ニヤリと笑うと、悪ガキめいた人懐こい顔つきに変わる。

「俺はジョッシュだ。ジョッシュ・キーガン。んで、そっちのでかいがパオラ・レゼンテ」

「……でかく、ない……ジョッシュの脚が短いだけ……」

 褐色の肌の女性戦闘員が、ぼそり、と言った。

 短くねえよ、とムキになって言い返すジョッシュ。白人としては比較的小柄な彼は、モデルのような長身のパオラと並ぶと、明らかに腰の高さが違う。

「きみがヤヒロだね。魏洋だ。僕たち三人が二十三区に入る特殊部隊の班長ってことになってる。よろしく頼むよ」

 最後に握手を求めてきたのは、端整な顔立ちの東洋人だった。

 ジョッシュやパオラよりは年上のようだが、それでも三十歳にはなっていないだろう。

 ほかの戦闘員たちの年齢も彼と似たようなものだった。この部隊の平均年齢は、ヤヒロが想像していたよりもずいぶん若い。

「……報酬分の仕事はする。それ以上は期待しないでくれ」

 ヤヒロがぎこちなく挨拶を返す。悪意の感じられない魏たちの笑顔に、ヤヒロは居心地の悪い気分を覚えていた。

 大殺戮の開始とともに、日本人は抹殺と憎悪の対象となり、大殺戮が終結したあとは、それが蔑みと嘲笑に変わった。回収屋としていいように利用されることはあっても、ヤヒロを対等の人間として見ようとする者はどこにもいなかった。

 だから唐突にフレンドリーな態度をぶつけられると、ヤヒロは、どう対処すればいいのかわからない。気まぐれで他人の話を聞かないジュリや、雇い主としての立場を崩さないロゼは、ずいぶん付き合いやすい相手だったのだな、と今になって理解する。

「そうか、ヤヒロ。だが、作戦の前におまえにひとつ言っておくことがある。大事な話だ」

 不意に目つきを鋭くしたジョッシュが、さりげなくヤヒロをロゼたちの死角に誘導する。

 やれやれ、始まったか、とヤヒロは思った。新入りに対する通過儀礼。最初に一発かまして、自分の立場が上だと誇示するつもりなのかもしれない。よくある話だ。

 しかしジョッシュの次の言葉は、ヤヒロにとっては意外なものだった。

「いいか、ヤヒロ。姫さんには惚れるなよ」

「……は? 姫さん……って、ジュリのことか?」

「そうだ。惚れてもいいが、間違っても手を出すな。絶対だ」

「はあ……」

 あまりにも意外すぎて、一瞬、なにを言われたのか理解できなかった。

 ジュリは姫。ロゼはお嬢。どうやらジョッシュの基準では、そういう分類になっているらしい。なんとなく理解できなくはない。しかし彼の警告の真意はさっぱりわからない。

「ギャルリーの戦闘員は、みんなジュリのファンだからね。彼女に失礼な振る舞いがあったら、全員を敵に回すと思って欲しい。背中から撃たれても文句は言えない」

「大丈夫……そこまでするのは、ロゼだけ……だから」

 魏とパオラが大真面目な顔で補足する。なんだそれは、と絶句するヤヒロ。大事な話というからなにかと思えば、あまりの馬鹿馬鹿しさに目眩がした。アイドルのファンクラブでもあるまいに、民間軍事会社の戦闘員が、そんなアホな理由で職場を選ぶことがあり得るのか。おまけに、そんな横暴を率先して行っているのがロゼというのはどうなのか。薄々感じてはいたことだが、双子の姉に対する彼女の愛情は重すぎる。

 班長クラスの人間が真剣に警告してくるということは、過去によほどの出来事があったのだろう。大丈夫なのかこの組織――と、ヤヒロは本気で不安を覚えた。

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