虚ろなるレガリア Corpse Reviver 6/13


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「美味しいねえ、これ。お酒と合いそう。ワインはないの?」

 張り詰めた空気を破ったのは、ジュリだった。やきとりを口に頬張ったまま、彼女はヤヒロに向かってマイペースで訊いてくる。

「ねえよ、そんなもん。ていうか、おまえ、未成年だろ。水でも飲んでろ」

 ヤヒロがミネラルウォーターのボトルをジュリに放った。非常用として大学に備蓄されていた飲料水だ。ヤヒロ一人ではどうやっても飲みきれないほど今も大量に余っている。

 ジュリは文句も言わずにそれを受け取って、なぜか得意げに胸を張った。

「ぶっぶー、残念でした。あたしの国では十六歳から飲酒可能だもんね」

「おまえの国ってどこだよ?」

「どこだっけ、ろーちゃん?」

「ベルギーです。便宜上、国籍を置いているだけですが」

 ロゼが淡々と説明した。常に無表情なロゼだが、姉を見るときの眼差しは優しい。ジュリの間抜けな質問にも、不満な顔ひとつせずに丁寧に答えている。

「それで、不死者ってのは、どういう意味なんだ?」

 緊張感の削げ落ちた表情で、ヤヒロはロゼに訊き直した。

「死から復活した者の比喩として、我々が便宜的に使っている呼称です。特に意味はありません。ヨハネによる福音書――新約聖書を読んだことは?」

「ねえよ」

「あたしもない」

 ロゼに訊かれて、ヤヒロとジュリが首を振る。

 まさかの姉の発言に、ロゼは一瞬、酸っぱいものを噛んだような表情を浮かべた。それから彼女は、ふっ、と愉快そうに息を漏らして、

「自分が不死身ということは否定しないのですね」

「知っててここに来たんだろ」

 ヤヒロが渋面で言い返す。理由はわからないが、ロゼはヤヒロの不死性を確信している。今さら取り繕ったところで無駄だろう、と判断したのだ。

「残念だなー。否定してくれたら、今ここできみの喉を掻き切って、それでも死なないか確かめられたのに」

 やきとりを美味しそうに頬張ったジュリが、握っていたフォークの先端を、不意にヤヒロに向けた。その瞬間、ヤヒロの背筋を冷たい感触が走り抜けた。

 ジュリが完全に動作を終えるまで、ヤヒロはまったく反応できなかった。

 もしも彼女が本気だったら、ヤヒロはすでに一度死んでいる。だが、それをあえて悟らせたということは、ジュリは、少なくとも今はヤヒロと敵対するつもりはないのだろう。

 勝手にそう解釈して、ヤヒロはロゼに質問を続ける。

「俺の身体のことを誰に聞いた?」

「〝九曜真鋼〟の回収任務――あなたを監視していた傭兵は、私たちの部下でした」

 ロゼが抑揚の乏しい口調で言った。

 ヤヒロは、動揺を隠しきれずに小さくうめいた。

 見張りとして勝手についてきた二人の傭兵は、日本人をあからさまに見下したいけ好かない連中だったが、それでも彼らを死なせてしまったことに、ヤヒロは罪悪感を憶えていたのだ。

「今日の仕事の依頼主はあんたたちだったのか……」

「彼らに持たせた無人機ドローンが、あなたと魍獣の戦闘の様子をとらえていました。即死級の傷を負ったあなたの肉体が、ごく短時間で再生する姿も」

 ロゼは、ヤヒロの反応を興味深そうに観察している。

 一方のジュリは、食べ終えてしまったやきとりの缶詰を名残惜しそうに眺めながら、

「ヤヒロに会うのを楽しみにしてたんだよね。どんなヤバい現場からでも帰ってくる呪われた日本人の回収屋がいるって噂を聞いたから」

「その呪われた日本人に、なにを回収させるつもりだよ?」

 ヤヒロが無愛想に訊き返した。ロゼの返事は短かった。

「クシナダを」

「……クシナダ?」

「古事記を読んだことは?」

「義務教育の途中で国を滅ぼされた人間に、ハイレベルな教養を期待しないでくれ」

 ヤヒロはふて腐れたように目を逸らす。聖書ならともかく、日本の文献についての知識でも外国人の彼女に負けていることには、若干の屈辱を覚えずにはいられない。

 大殺戮が始まったのは四年前。ヤヒロが中学一年生のときだ。

 それ以来、ヤヒロはたった一人で取り残されて生きてきた。当然、まともな教育など望むべくもない。焼け残った書籍などの自習用の教材には事欠かなかったが、語学や電気工作などの実用的な技術を習得するのが最優先で、歴史書にまで手を伸ばす余裕は皆無だった。

「だけど、その名前は知ってる。日本神話の女神だよな」

「そうですね。八岐大蛇――八つの頭を持つ龍エイト・ヘッディッド・ドラゴンの生贄に選ばれた巫女の少女です」

「龍の生贄……か……」

 ヤヒロが無自覚に頬を強張らせる。

 ロゼは斜めに切りそろえた前髪を揺らして、意味ありげにうなずいた。

「二十三区が隔離地帯に指定されている理由は知っていますね?」

「魍獣がうろついてるからだろ」

「ええ。二十三区内の魍獣出現率は、それ以外のエリアの九十倍以上。同じく出現率が高いとされるキョウトやナラと比較しても十倍近い数値です」

「おまけにヤバい個体が多いんだよね。たった一匹の魍獣相手に、正規軍の装甲部隊が壊滅させられた、なんて話も昔はよくあったし」

 ジュリがにこやかに微笑みながら物騒な事実を指摘する。

 昔――といっても、それはほんの三、四年前の出来事だ。かつての首都である東京を制圧するために、各国の主力部隊は我先にと二十三区に殺到し、そして多大な被害を出した。

 その結果、二十三区の区境は封鎖され、どの勢力にも属さない隔離地帯に指定されたのだ。

「あんたら、それを知ってて二十三区ここに入ってきたのか。いい度胸してるな」

 ヤヒロが、呆れたように溜息をついた。小柄な少女二人が護衛もつけずに、魍獣のひしめく二十三区に踏みこんでくるなど、およそ正気の沙汰ではない。

 しかしジュリは、なぜか嬉しそうに声を弾ませて、

「やったね、ろーちゃん! 褒められたよ!」

「褒めてねえよ!」

「たしかに二十三区の末端にあるこの付近でも、よその地域の基準に照らせば十分に危険な場所ですが、私とジュリなら問題なく切り抜けられると判断しました」

 皮肉を受け流されて顔をしかめるヤヒロに、ロゼが冷静に主張する。

「それでも私たちだけで、ここよりも奥に侵入するつもりはありません。二十三区の中心部に近づくほど、出現する魍獣は危険度を増していく。そうですね?」

「ああ」

 ヤヒロは素っ気なくうなずいた。

 同じ二十三区内でも、多摩地区に近い旧・杉並区や旧・練馬区、あるいは神奈川県に面した旧・世田谷区や旧・大田区は、魍獣の出現率がやや低い。緩衝地帯と呼ばれている埼玉県南部や千葉県西部の、せいぜい十五、六倍程度といったところだ。

 一方、都心部近くになると、魍獣出現率は百倍以上に跳ね上がる。

 ヤヒロのような回収屋でも、山手線の内側には滅多に侵入しようとしない。どれだけ割のいい依頼があっても、だ。東京駅を見て生きて帰った者はいない、というのは誇張された噂話ではなく、限りなく真実に近かった。ヤヒロはそれをよく知っている。

「あなたに会いに来たのはそれが理由です、鳴沢八尋」

「は?」

「旧・文京区、東京ドーム跡地周辺に、組織的な社会生活を営む魍獣の集団が確認されました。複数の異なる種族で群れを作り、支配地域を広げているようです」

「魍獣が……群れを作った? 種類の違う魍獣同士が一緒に暮らしてるっていうのか?」

 あり得ないだろ、とヤヒロは呆然と首を振った。

 魍獣とは、それぞれの個体が自然界の法則から外れた、分類不能の怪物たちだ。

 群体タイプの一部を除けば、同じ種族の魍獣が同時に出現することさえ滅多にない。魍獣が大規模な群れを作るという話は聞いたことがないし、異種族の群れともなれば尚更だ。

 しかしロゼは、平然と続ける。

「その集団には、群れを統率するリーダーが存在するようです」

「クシナダってのは、そのリーダーの名前か……」

「そうです」

 青髪の少女が、ヤヒロの言葉を肯定した。なるほど、とヤヒロは唇を引き結ぶ。

 ロゼの話が事実なら、クシナダと呼ばれる個体には、間違いなく莫大な価値がある。商人を自称する彼女たちが、興味を示すのも納得だ。

「クシナダが、どのような手段で魍獣たちを従えているのかはわかりません。ですが、その方法が解析できれば、魍獣の制御技術の確立につながる可能性があります」

「人類が魍獣を支配できるようにしようってのか。それはいい金になりそうだな」

 ヤヒロが皮肉めかした口調で言い放つ。しかしロゼは、ヤヒロの言葉を否定しなかった。

「逆にこの事態を放置すると、いずれクシナダに統率された魍獣の群れが、人類の脅威となるかもしれません」

「人類の脅威……か」

 ヤヒロは小さく鼻を鳴らした。ロゼの考えを杞憂とは思わなかった。

 魍獣は危険な怪物だ。それでも彼らが人類全体に対する脅威となっていないのは、常に単独でしか出現しないという、魍獣の性質による部分が大きい。魍獣の棲息域なわばりにさえ踏みこまなければ、彼らのほうから積極的に人間を襲ってくることは少なかった。だから国連は二十三区を封鎖し、それで満足したのである。

 しかし、魍獣が群れを形成するとなると話は変わってくる。

 魍獣同士で争うことがなくなれば、当然、彼らの絶対数は増える。

 既存の生物と同じように魍獣が食事をするかどうかは確認されていない。だが、彼らの餌が不足する事態が起きないという保証はどこにもなかった。

 二十三区内で餌が不足すれば、彼らが外部に獲物を求めるのは火を見るより明らかだ。

 そして彼らが海を渡り、他国を脅かす可能性もゼロではない。

 そうなる前にクシナダを捕獲する。理屈としてはおかしくない。クシナダの能力が金になるとわかっているなら、尚更、動機としては十分だろう。

「まさか、俺に、そのクシナダとやらを回収してこいって言うんじゃないだろうな?」

「できるの?」

 警戒心を露に訊き返すヤヒロを、ジュリが期待に満ちた表情で見上げた。

「できるわけないだろ。旧・山手線の内側は、ただでさえヤバい魍獣がウヨウヨしてるんだ。俺一人でそいつら全部を相手してられるかよ」

「だよねえ」

 双子の姉が落胆したように肩をすくめる。

「私たちもあなた一人にクシナダの回収を任せるつもりはありません」

 双子の妹が、生真面目な口調で言った。

「二日後に大手の軍事企業〝ライマット〟が主体となって、クシナダ捕獲作戦が決行されます。我々ギャルリー・ベリトも、その作戦に参加する予定です。ですから――」

「ヤヒロには、道案内をお願いしたいんだよね」

 ロゼの説明を途中で遮って、ジュリが悪戯っぽく笑いながら続ける。

「道案内?」

 ヤヒロは眉間にしわを刻んだ。道案内は回収屋の仕事ではない。GPSや無人機ドローンを好きに使える彼女たちに、道案内が必要とも思えない。

 そんなヤヒロの疑念を見透かしたように、ロゼは小さく首を振り、

「クシナダの捕獲は、ライマットに雇われた民間軍事会社四社の共同作戦です。互いに協力するという前提ですが、指揮系統は独立しており、各社の部隊は独自の判断で行動します」

「要するにね、クシナダを手に入れるのは早い者勝ちってこと」

 猫を思わせるジュリの大きな瞳に、好戦的な光が浮かんだ。

 共同作戦とはいっても、実際に参加するのは民間軍事会社の社員や請負人コントラクターたちだ。彼らにとっては所属する会社や雇い主の利益が最優先であり、そのためならば同盟相手を出し抜くことも辞さない、ということなのだろう。

「二十三区への侵入経験の多いあなたは、魍獣との遭遇率の低い安全なルートを知っているはずです。魍獣の性質や弱点についても熟知しているはず。その知識を使って、私たちの部隊をクシナダの縄張りまで案内してください。他社の部隊より早く」

 ロゼが、ようやく本来の目的を明らかにする。

 回収屋としての実績に加えて、日本人であるヤヒロは、大殺戮以前の東京の地理にも詳しい。日本語で書かれた標識や看板など、他国の人間が見落としてしまいそうな情報もフルに活用できる。案内役として、ヤヒロ以上の適任者はいないだろう。

 ヤヒロに会いに来たロゼたちが、民間軍事会社の戦闘員に襲われた理由もこれでわかった。ギャルリー・ベリトが有能な案内役を手に入れるのを、競合他社は嫌ったのだ。

 逆にロゼたちが今夜ここに来なければ、ヤヒロはなにも知らないまま、彼らに殺されていた可能性もある。だが――

「悪いが、断らせてもらう。俺は他人の命にまで責任は持てない」

 ヤヒロは、きっぱりとロゼの依頼を拒絶した。

「あんたたちも、昼間の連中の雇い主だったのならわかってるだろ。俺はたまたま死ににくい体質ってだけで、他人を魍獣から守ってやれるほど強くない。あんたたちを二十三区の中心部まで無事に連れて行ってやるなんて無責任な約束はできねーよ」

「死んだ二人のことなら、気にしないでください。あなたの指示を無視して魍獣を舐めてかかったのは、彼ら自身の落ち度です」

 ロゼが平坦な口調で言った。ヤヒロを庇ったつもりにしても、冷淡で非情な発言だ。

 そんな妹をフォローしようと思ったのか、ジュリが頬杖を突きながら苦笑する。

「べつにヤヒロにくっついてなくていいって言っといたんだけどねー……二十三区に残ってたお宝を見つけて欲を掻いちゃうから」

「私たちの生死にも、責任を感じてもらう必要はありません。危なくなったら、一人で逃げてもらって結構。ですが、あなたが案内を引き受けてくれなければ、私たちの生還率がいくらか低下するのは間違いないでしょうね」

 ロゼが他人事のように淡々と告げる。

 ヤヒロは気圧されたように声を詰まらせた。

 青髪の少女の言葉は事実だ。ヤヒロは魍獣から彼女たちを守れるほど強くはないが、安全な経路ルートを教えることはできる。わずかだが彼女たちの生還率を上げられる。

 それでも、彼女たちの作戦が無謀であることに変わりはない。一万分の一の生還率が二倍や三倍になったところで、なにか意味があるとは思えなかった。

「なにを言われても同じだ。そんなヤバい仕事を受ける気はない」

 ヤヒロは強い口調で言い切った。そうやって拒絶することで、彼女たちが、クシナダ捕獲を諦めてくれればいい、と密かに思う。

 しかしロゼの返答は、ヤヒロの想定外のものだった。


「あなたへの報酬が、鳴沢珠依に関する情報だとしても、ですか?」


「なん……だと?」

 ヤヒロは、ぞくり、と全身の血液が逆流するような感覚を味わった。

 喉が強張り、呼吸を忘れる。ロゼが何気なく口にしたのは、四年前のあの日から、ヤヒロが一日たりとも忘れたことのない肉親の名前だった。

「あなたが二十三区から離れようとしないのは、妹さんを捜すためだと聞いています。回収屋の仕事で稼いだ金の大半を、彼女の情報を集めるために注ぎこんでいることも――」

「珠依がどこにいるのか知っているのか……?」

 ヤヒロがロゼに詰め寄った。ロゼは曖昧に首を振る。

「さあ、どうでしょうか?」

「答えろ――!」

 冷ややかに微笑むロゼの胸ぐらを、ヤヒロは乱暴につかみ上げようとした。

 だが、その瞬間、ヤヒロの視界がぐるりと回転し、凄まじい激痛が肩を襲ってくる。

「――っ!?」

「駄目だよ、ヤヒロ。その質問の答えは、道案内の報酬だから」

 床に叩きつけられたヤヒロの頭上から、ジュリの楽しげな声がした。

 ヤヒロには、なにが起きたのかわからない。かろうじて理解できたのは、ジュリがヤヒロを軽々と投げ飛ばし、そのまま組み伏せているということだけだ。

「離……せっ!」

 ヤヒロは、どうにかジュリを振りほどこうと抵抗するが、彼女に極められた右肩の関節が軋みを増しただけだった。小柄な身体からは信じられないほどの力で、ジュリはヤヒロを押さえつけている。むしろヤヒロが暴れれば暴れただけ、彼女の力が増すように感じられた。

「ろーちゃんの言ったとおりだね。不死者の再生能力は、負傷したときにしか発動しない。関節を外しても肉体が欠損したわけじゃないから、勝手に脱臼が治ったりはしないんだ」

「おまえ……らっ……!」

「あ……ちょっと、当たってる! どうしよう、ろーちゃん。ヤヒロに思いっきりおっぱい触られちゃってるんだけど……!」

「おまえが勝手に押しつけてきてるんだろうがっ!」

 思いがけない非難を浴びて、ヤヒロが必死に反論した。

 ジュリが背後から関節技を仕掛けているせいで、ヤヒロの右腕は彼女の胸にがっつり押し当てられる形になっている。肩の激痛を差し引いても、その柔らかな弾力ははっきり感じられて、ヤヒロはこれ以上、迂闊に動けない。

「それくらいは大目に見てあげてください、ジュリ。女の子のおっぱいに触れるような幸運、これまでの彼の人生とは無縁だったのですから――」

 ロゼが、どことなく不機嫌な声で言う。背格好も顔立ちも瓜二つの彼女たち姉妹だが、唯一明らかな違いがあるとすれば、それは胸元のボリュームだった。

 ジュリは小柄ながらなかなかの膨らみの持ち主で、一方のロゼは見事なまでに華奢でフラットだ。そのせいか、おっぱいの話題になってからのロゼの視線が、やけに刺々しく冷ややかに感じられた。その視線が自分に向けられているのは、さすがに理不尽だろ、とヤヒロは思う。

「これで理解していただけましたか? 私たちの安全については心配無用です」

 ロゼが大きく溜息をつきながら、ヤヒロを解放するように、と姉に目配せした。

 背中にかかっていた圧力が不意に消え、ヤヒロの身体が自由になる。右肩を押さえて立ち上がると、悪びれもせずにソファに座って、にひひ、と笑うジュリと目が合った。

 たしかに認めざるを得なかった。少なくとも格闘技の実力では、ジュリはヤヒロよりも遙かに上だ。ヤヒロが彼女たちを守る必要はないし、彼女たちもそれを望んではいない。

「クシナダの棲処までの道案内、引き受けていただけますね?」

 ロゼがあらためて尋ねてくる。ヤヒロは彼女を睨み返して、静かに訊いた。

「本当に……珠依の情報を持ってるんだな?」

「はい」

「もしそれが嘘なら、俺は死ぬまでおまえらの敵に回るぞ」

「不死者のあなたが口にすると、なかなか効果的な脅し文句ですね」

 ロゼは微塵も怯えることなく微笑んだ。胸元から取り出した一枚の写真をヤヒロに放る。

「これは?」

 ヤヒロは、床に落ちる寸前にその写真を受け取った。盗撮用のカメラのようなものを使って、こっそり撮影したデータをプリントアウトしたものらしい。

「報酬の前払いです。あまり鮮明な映像ではありませんが」

 ロゼが微妙にはぐらかした答えを返してくる。それ以上の説明をする気はないらしい。

 ヤヒロは、受け取った写真を裏返して印刷面を見た。

 撮影した場所が暗かったのか、画質が粗い。

 写っていたのは、窓のない地下室に置かれた患者搬送用ストレッチャーだ。

 棺桶に似た不吉なデザインのストレッチャーには、無数のチューブに繋がれた少女が銀色の鎖で固定されている。人形のように――あるいは死体のように眠り続けている東洋人の少女。

 その少女の名前を、ヤヒロは知っていた。

「珠依……」

 ヤヒロの口から呟きが漏れた。

 目を見開いて、喰い入るように写真を見つめる。日付はどこにも書かれていない。それでもヤヒロにはわかる。この写真は比較的最近、おそらく一年以内に撮られたものだ。

「あなたの妹さんは――鳴沢珠依は生きています。今は、まだ」

 ロゼが無感動な口調で告げた。

 ヤヒロはなにも答えずに、写真に写る妹の姿を呆然と見つめ続けていた。

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