彼女が愛した楽園で
彼女が愛した楽園を -キャンドル-
「―――……ろ」
「真白……ッ!」
遠くで響いた声が確かな輪郭をもって、私の意識を呼びさます。
ぼんやりと目を開けた視線の先に、悲痛に歪んだ彼の顔があった。
「夢希……」
暖かい。……そうかどうりで。ここは夢希の腕の中か。
背中から微かな温もりだけが感じ取れる。体はほとんど動かせない。
しかしこれも一時的なもので、再び体が動くようになれば、きっと私は世界に牙を剥くのだろう。思考だけは驚くほどクリアで、そんな確証があった。欠片ほどの意識だけが人へ戻され、けれどもう、獣に堕ちた身として終わらせてもらうしかないのだと分かる。
そして彼もそれを理解っている顔だった。
それでも彼は、迷っていた。
すべき事はもう1つだけしかないのだと分かっていても、それでもそれを選べずに。
その苦しみがただ真っ直ぐに伝わってきて、どうしようもなく愛しい。
「ダメだよ。ちゃんと殺して」
だからこそ、彼をそうして想えばこそ、伝えるべきはその想いではない。
告げるべき言葉は決まっていた。
「今ここで私を処分しなかったら、他のセカンダリの人たちも、生きられなくなっちゃう」
ただ真っすぐに彼と視線を合わせて、事実を述べる。
私は一度そこへ堕ちた身。次などない。
自分はその時が来れば君に殺してもらう存在―――"セカンダリ"なのだからと。
私は君のセカンダリで、君は私のカウンター。
今がその時であり、逃げることなどできはしない。許されない。
ジャーム化した担当セカンダリをその担当カウンターが見逃すことは、責務の放棄であり明確な違反行為。世界に生まれた新たな脅威―――その火種を、私たちが守るべきこの世界に放つということ。
なればこそ、カウンターがカウンターとして在る為に、君が世界にした約束を果たすために、取れる選択はひとつしかない。
「だから、殺して」
いい子だから、聞き分けてと。分かっているんでしょう?とでも言わんばかりに続ける。自分で聞く自分の言葉はどこか芝居じみていて、目覚めた獣がもう一度だけ眠りについて見る夢の、薄っぺらい寝言のように感じた。
赫く染まった手を伸ばし、彼のペンダントにそっと触れる。
その仕様上、レネゲイドへの耐性が高いものではあれど、お互い手につけるのは壊しそうだからと相談して、揃いのペンダントに決めた。
キャンドルとブレスという悲しい役割を果たすための、けれど私たちが相棒で在る事の証。
けれど彼は……動かなかった。
そうすべきだと、そうしていいのだと、それが正しい事なのだと、理解していても。
そうした方が、君も楽になれるだろうに。それを使って、これはただの"処分"なのだと、カウンターの責務として行うだけだとしてしまえばいいだろうに。
あぁ、そんな風に機械的に"処分"できない彼だからこそ、カウンターになれてしまったのだろう。職業カウンターとして、元々の縁がなかったセカンダリとも絆を育み、ともに歩んでいけるだろうと期待をされて。
ジャームに堕ちたものにすら、その獣の心にすら寄り添おうと、理解しようとする君だからこそ。
ただ苦し気に、悔しさをにじませて、彼は顔を歪める。
今こうしている事への悔悟と、自分の無力を呪い憎む感情が彼の中で酷く混ざり合って、彼から言葉を奪っていた。
『ごめん』と、彼の思考の中で何度もその言葉がこだましては消えていく。今ここでその一言を言ってくれさえすれば、いいんだよと許せるのに。そう返せるのに、彼は言おうとしなかった。
そうして許される事を拒むかのように。許される事ではないと、許さないでくれと、自分で自分が許せないのだというように。むしろどうか憎んでくれと、それでいいのだと結論付けて。せめて私の言葉だけは全て受け止めようと、ただ静かに私を優しく抱えていてくれる。
そんな彼に、私の方こそ何を言えばいいのだろう。
何を伝えればいい?どうしたら君のせいではないのだと、どうか君には生きて欲しいのだと、君に残せるんだろうか。
本当は私の方こそ謝るべきなのに、やはり言葉にはならなかった。私も君と同じで、許して欲しいなんて思わなかったから。
だからただ困ったように笑うしかなかった。上手く笑えているのかもよく分からないけれど。
「じゃあ……キミの炎で、送って。 それは、約束したでしょう?」
自分は約束を破っておきながら、よくもぬけぬけと言えたものだ。
ずっと隣でともに戦い、いつか夢みたその先へ進んでいこうとも約束したのに。
その約束を破って平気で君を置いていく。自分はもうここで終われるからと安心して。
「大丈夫。キミが、この先もこの世界を守ってくれるなら、一緒にいるから。その影の中で、その炎の中で生き続けるから」
最期だからと、平気で詭弁を語る。
そんな筈もないのに。ここで死んで終わりなのに。
自分の想いもその先へ連れて行けと、呪いの言葉を吐いて。これは殺人ではなく正当な行為なのだと、彼の背中を押すように。
彼の瞳が僅かに光ったかに見え、けれどそれはすぐに分からなくなった。
夢希が私を抱きしめてくれたから。
優しいな、夢希は。
君のその力は、誰かに触れずとも振るえるものだろうに。
自分が今から奪う命など、触れずに奪えるのならそうした方が楽だろうに。
それでも、だからこそ彼は、今から自分が終わらせるものの重みを忘れぬように、優しく触れた。そうやって君は、誰かを想うあまりに一番自分が傷つく道を行く。
本当に愚かだ。愚かで、とても愛しい。
きっと君は本当に、私の想いも連れていってくれるのだろう。ともに目指したその先まで。明るく輝かしい未来まで。
だから、悲しくない。寂しくないよ。
「私は、還ってこれて幸せだったよ。 だから―――この世界を……この楽園を、これからも守って。私達セカンダリの、未来を」
私を抱きしめた彼が、そっと離れて裏切られたような顔をする。
瞳いっぱいに涙をためて、どうしてそんなことを言うのだと責めるように、けれど責められないというように、ただ苦し気に。
そんな顔をしないで。
私は此処で終わっても、君はそうじゃない。まだこれから先があるでしょう?
目の前の優しい彼は、此処でともに終わろうとしそうな気がした。一人では逝かせないと、どこまでもそばに在ろうとする気が。
だから私は、未来への約束をする。
「きっとキミなら、たくさんの人を幸せにできると思うから。私にそうしてくれたみたいに」
君は私にとって、未来そのもの。私の希望。私の夢。
だから私がここで消えても、君が生きてさえいてくれれば、なんだってできる。
「だから、そんな顔しないで。……笑って?」
最期にどうか、君のその笑顔を見て逝きたいのだと、わがままを言ってみせる。
ただ涙を流して震える彼は、それでも無理矢理に笑って。
それは……あぁ、私が好きな君の笑顔だ。
そんな彼の笑顔に、私も上手く微笑みを返せただろうか。
再び彼は私を優しく抱きしめて、影から生まれた炎が、彼の意志で私たちを包みこむ。
「あぁ……あったかい、な……」
それがたとえ、自分に最期をもたらす炎だと分かっていても、それはいつもの、私が好きな彼の炎だった。その力でもう一度灰へと還れるのなら、終わらせてもらえるのなら、悲しくはない。
「夢希……―――」
最期なのだから……この想いを告げてもいいのかもしれない。
そんな想いから、大切に彼の名前を呼んだ。
けれど―――最期だというのなら、やはり伝えるべきではないと瞳をとじて。
痛みも苦しみもそこにはなかった。
自分の体が動かなくなっていただけではなく、彼の優しさによるものだろう。
何よりも熱く、私を大切にしてくれた彼の想いをのせて、高熱の炎が私を灰へと還す。
時間が止まったようにも感じられたそれは、けれど一瞬の事だった。
『ありがとう』
その言葉は彼の胸の中で溶けて消えた。
どうか私のこの
役目を終えたペンダントだけが、灰の中で光っていた。
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