別れの後に待つものは -プレッジ-
セカンダリである雪永真白は、侵蝕率が規定値を超えた後にレネゲイドの停止を受け、担当カウンターである牧間夢希によって"処分"された。それはセカンダリがジャーム化した際に、そのキャンドルからUGNへ送信された記録によって判明している。
だが、カウンターのブレスは使用された形跡がなかった。本来であれば、担当カウンターのブレスによる静止の後、カウンターの手によって"処分"がなされる。それを使わなければ、一度もジャームになったことのない者が、二度目のそれを止める事など敵わないからだ。
しかし、セカンダリのレネゲイドの停止はブレスによるものではなく、真白が用意した保険によるものだと知るのは、彼女からそれを託された高嶺のみだった。
それは一つでキャンドルとブレス、その両方の役割を果たす事ができるものだった。
従来のキャンドルのように装着者のレネゲイドを抑制するだけでなく、その侵蝕率を数値として知らせるチェッカーがブレスの役割も兼ねる。装着者自らが自分の限界を測る事ができるもの。
そして侵蝕率が一定の数値を超えた場合や衝動の高まり、ウイルスの異常行動―――ジャームらしい振る舞いに反応し、装着者のレネゲイドを強制的に停止させる。
彼女はそれに"プレッジ"と名付け、その一つを自分が使い、一つを高嶺に託した。
その名に込められた意味や、彼女の真意までは語られることなく、ただそれが残されただけだった。
残されたその一つは、夢希の治療に用いられる。
リバースへ報告に向かった彼は、事情を察してか表へ出てきた高嶺の顔を認めると、その場で崩れるように倒れ、リバース内の病室で治療を受ける事となった。
外側の傷はレネゲイドによる治癒能力によって塞がっても、内側まではそうはいかない。むしろ戦闘によって侵蝕率が高まったことで、彼のレネゲイドはその精神をひどく蝕んでいた。
だがそんなレネゲイドの暴力を、それは許しはしなかった。
侵蝕率の上昇を検知した途端に、彼のレネゲイドを止め、終わりなき悪夢をそこで断ち切る。それは獣への断罪ではなく、人が獣へと落ちかけたその体を掬い上げるような、優しい光。
何度それが彼を飲み込もうとしても、何度でもそれは彼を守った。彼が彼で在り続ける事を。彼がその先へ進む事を阻み、この世界に留めた。
そうして人と獣の境界を彷徨う意識を、懐かしい声が呼び覚ます。
「夢希……!」
「……おや、じ?」
ぼんやりと目を開けた先に、心配そうにこちらをのぞく父の顔があった。
大切な人の顔を見つけてようやく、自分は眠っていて、悪夢を見ていたのだとぼんやりと認識する。
全身がじっとりと汗ばんでいたが、それを気持ち悪いと感じるまで至らず、ただぼうっと父の顔を眺めていた。
「……大丈夫か?」
額の汗を拭おうと、父の手がそっと触れようとしたその時、怯えに思わず目を閉じる。
「あ、…………ごめ、俺……」
目を開くと驚いた父と視線があって、慌てて謝る。
説明しようのない不安がずっと自分の内側にあって、自分の外側にあるものがすべて、恐ろしく感じた。それが例え、愛する父親であっても。
「……いや、気にするな。ずっとうなされていたから……色々と、堪えてるだろう」
穂希の言うとおり、夢希は眠るたびにひどくうなされ続け、その度に下がった筈の侵蝕率はまた上がり、衝動が彼を飲み込もうとしていた。
夢希はその言葉には上手く返事をできずにゆっくりと体を―――起こそうとして、父に助け起こされる。勧められるまま、時間をかけてグラス一杯の水を飲んで、そうして空になったグラスを見つめて、言葉を探す。
「……今、は……?」
「……あぁ。お前がリバースへ着いてから1日経ったかな。それからずっと眠ってたんだ」
「……そっか」
まだ1日しか経っていないのか。もっと時間が経っているのかと思っていた。それ程、自分の中で多くの感情と思い出が混ざり合って、頭が、体がひどく痛んでいたから。
「……親父、は……仕事は?」
「大丈夫だ。しばらく休みをもらったから」
「そっか……」
支部長の父が支部を空けることは簡単な事ではないし、そう代わりがきくものでもない。けれど、父がそう言うのなら、しばらくなのだろう。自分がちゃんと回復するまでという意味合いで。
情けないな。
たくさんの人たちのために、なにより、父の力になりたいと思ってカウンターになったのに。誰からも慕われ、強く優しく人を引っ張っていく力のある父。そんな父に憧れて、けれど自分は同じようにはなれないと分かってもいた。
だからこそ、違うやり方で父を支えたいと、力になりたいと思って、カウンターになる事を決めた筈だった。
なのにこうして久しぶりに再会してみれば、自分は役目を満足に果たせず、体も回復しないまま、父に迷惑をかけてしまっている。
「……まだ回復しきってないだろう。休みなさい」
そんな俺の心境も全て見透かすかのように、優しい声とともに大きな手が頭をなでる。その暖かさが今は苦しく感じて、視線を落とす。
「―――眠りたく……なくて……」
目を閉じればいつまでも、あの時の記憶と無力な自分がよみがえった。
それだけでなく、大切な人が失われる光景。今から起こるかもしれない、知らないところで起こっているのかもしれない光景をいくつも見た。
忘れてはいけない事も、忘れられない事も分かっている。
それでも今は、ただ眠りたかった。だからこそ眠る事が恐ろしくて、気がつけばグラスを持つ手が震えていた。
「……今は休め。俺がついてるから」
震える夢希の手をそっと包んでから、それでは足りないと、穂希は夢希の体を優しく胸におさめた。
「ずっとそばにいる。だから今は眠るんだ」
父の暖かい言葉をその胸の中できく。
懐かしいにおいが。辛いときはいつだってこうして抱きしめてくれた父の温もり。
優しく眠りに誘われて、再び意識が落ちていく。
―――どうしてここにいるのが、俺なんだろう。
優しい暖かさに癒される気持ちと、どこか苦しい感覚を覚えたまま。
こんな温もりを、あたたかさを、本当は、彼女こそ―――……
深く、深く。自分の奥底まで沈んでいく。
―――嘘つき。
絶対なんて事、絶対にないって、親父だって分かってるくせに。
親父が、絶対生きるって決めて俺の事を育ててくれたのは分かってる。だけどそんなの……母さんだってそうだったはずだ。
想いだけで、誓いだけでどうにかなるなら、もっとたくさんの人が救われていた筈だ。
そんな気休めなんていらない。言葉じゃなくて、ただここに居て欲しかった。
いつもそうだ。俺の大切な人はみんなそうやって、俺の事を置いていく。
それは、きっと誰も悪くない。
そんな事は分かってる。それでも。
いや違う。
俺にもっと力があったなら、置いて行かれずに、失わずに済んだはずだ。
俺が弱かったから。……俺に力がなかったから。
俺のせいで、彼女は死んだ。
俺じゃなければ、もっと強い誰かだったなら、きっと死なずに済んだはずだ。
今も生きて、どこかで笑っていられたかもしれない。
彼女のカウンターが、俺でなかったなら。
俺が……俺が居なければ。
俺さえ―――……
『―――私は、君が居てくれて良かった』
『夢希が私のカウンターで良かったよ』
どこまでも望むままに堕ちていく意識を、暗闇に飲み込まれるそれを、白き祈りが掬い上げる。
たった一つ、それだけは守り抜くと誓ったその想いは、祈りよりも強く彼をこの世界に繋ぎ止めた。
『だから―――君はまだこちら側に来ちゃいけない。 行かせはしない』
懐かしい声が聞こえた気がして目を覚ます。
見知った天井。けれどそれはリバースの病室ではなく、父と過ごした、自分が生まれ育った家の自室。
見慣れた景色と、安心するにおい。親父が連れ帰ってきてくれたんだろうか。
なんにせよ、ありがたかった。あの白い病室は彼女と出会った始まりと、過ごした時間を思い起こさせたから。
扉を開ける音と気配がして、入ってきた父と目が合った。
そしてその意識は一瞬で覚醒させられて、目を見開く。
揺れ動いた空気の中に、懐かしい薔薇の香りがしたから。
「真白……?」
「……。分かるのか」
そんな夢希の言葉に驚いて、困ったように、けれど穏やかに笑って。穂希は夢希へ一つの手紙を差し出す。
「高嶺さんが預かっていたそうだ。お前にと」
少し水色がかった白い封筒の中心に、『夢希へ』と短く書かれている。
その整った字は見慣れた彼女の字だ。
「もう少し回復してから渡すべきか悩んだが……どうするかはお前に任せるよ」
穂希は手紙を夢希へ託すと、部屋を後にした。
夢希は受け取った手紙をしばし見つめ、けれど開くことを決心して。
手の中の懐かしい香りに誘われるように、差出人の書かれていないそれを開いた。
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