目覚め

目覚めて最初に見えたのは白い天井だった。

物語の途中のページが丸々抜き取られたかのように、記憶が繋がらない。

一瞬前まで殺し合いをしていて、化け物になっていた記憶が確かにあるのに、どうして私はこんな静謐な部屋に居るんだろうか。


何度か瞬きをしてから、体をゆっくりと起こす。辺りを見回すと、天井だけではなく、壁も、自分が寝ているベッドも、自分の着ている服も、部屋の中には白いものしか存在しなかった。

そうして自分の姿を見て、来ていた服とは違う事に気付く。まるで入院患者の服のようだ。自分の白銀の髪も相まって、白に包まれたこの部屋は、まるでここだけ時間が止まっているような静けさに包まれている。

病室のようでいて、どこか病人を落ち着かせるような、この部屋は――……


「あぁ、無事目覚めたんですね。おはようございます、雪永ゆきながさん」


そう思考を巡らせていると、眼鏡をかけた男性が部屋へ入ってきて私に声をかけた。彼も白衣を着ていたが、下に来ている黒いスーツが、白い部屋に色をさす。


「おはようございま、  ……遺風残光コメットシーカー?」


思案していた彼女――雪永真白ゆきながましろはその声にちょうど背中を向けていたため、振り向きながら反射的に挨拶を返そうとして、入ってきた人物に驚きを隠せなかった。本名で呼んでもいいものだろうに、ついコードネームが口をついて出たのもそのためだ。


セカンダリ管理局"リバース"。真白の目の前にいるその人はその局長であり、高嶺慧たかみねけいという。

彼と真白は最近こそあまり会っていなかったものの、旧知の仲と言って差し支えないだろう。最初の論文が公表され、ジャーム化治療薬『アトア』の開発が始まってから、真白はアトア開発工場に勤務となり、それから彼とは接点ができた。

当時、高嶺は日本支部の凍結保存後のジャームを管理するセクションの管理補佐を務めていたため、アトアの開発会議で何度か出会い、それからよく話すようになる。ラボと工場との情報共有や共同開発だけでなく、ジャーム化を治すという事や、その手段であるアトアについて、治ったその先について、セカンダリとカウンターについて。

話題は主に、「ジャーム化の治療」とその意味するところ。そうしてお互いの考えを共有しあい、共に明るい未来を作る同志だと――一方的かもしれないが真白はそう思っていた。

数年前設立したリバース局長の座に彼が就いてからは、彼が多忙を極めていたため会う事も少なくなっていたが、今目の前に高嶺がいるという事は――


「私はセカンダリになったんですか?」

「……。流石ですね。話が早くて助かります」


高嶺は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに穏やかな微笑みをまといなおし、そう返した。


「高嶺さんが目の前に居る。 ……と言うことは、そういうことなのでしょう」


 

真白も高嶺にならって微笑みを返す。

"セカンダリ"。それは、ジャームとなり戻ってきた者たちを指す言葉。自身がそれであると言う事は決して明るい事実ではないが、プライマリとして生きていた頃からその覚悟があった真白にとってはなんという事もなかった。


「ええ、お察しの通りです。今日は20xx年3月。あなたが所属していたラボが襲撃された日から、約2年の月日が経っています」


高嶺はこう説明する。

真白がつい先ほどとして覚えている記憶――所属工場の襲撃は”第一次フィンブルヴェト”と呼ばれ、今から2年前の出来事であること。各地の工場の襲撃により多くの研究員が失われたことで、アトア開発は一時中断を余儀なくされたが、ようやく実用化に漕ぎ着け、公に公表、問題がないと思われるここ数年のジャームからセカンダリとして覚醒させている事。

しかし、依然アトア開発に携われる研究員は不足しており、他部署からの異動だけではなく、セカンダリとして覚醒を促してでも過去研究に携わっていた人材から補充すべきという話が持ち上がった事。

真白についてはジャーム化前後の素行については問題なく、以前からアトアの開発に関わっていたように、今後の研究においても助力して欲しい、との希望で覚醒させられたとの事だった。


「アトアやセカンダリについての情報はあなたが研究に携わってくれていた頃からそう進展はありません。昨年大々的にアトアの存在が公表された位、ですが――……」

「……『変異』ですか?」


研究員であり、高嶺とも短くない付き合いでもある真白には、なんとなく高嶺が眉をしかめた理由が予測できた。情報に特に進展もなく、眠る前と目覚めた今、何も変わらず生きていけるというのなら、そこで彼が言葉に詰まる筈もないだろう。何より、今までとは違う力が自分の内側に潜んでいる実感があった。


セカンダリとして還って来た者たちの中には、プライマリには見られない特徴―――レネゲイドの"変性"が見られる事がある。以前よりも攻撃性が増したり、プライマリである頃は使えなかった力が使えるようになったり、時には人格にすら影響を与える事もあると聞く。


「そうです。セカンダリとして覚醒したあなたのレネゲイドを検査したところ、雪永さんにもその『変異』が起きている事が分かりました。」


高嶺が真白の検査結果について記載されたカルテを差し出す。


  変性  セカンダリモディフィケーション臨機剛健タイプ:アブソーブ


そこにはそう書かれていた。


この変性の特徴は、レネゲイドの対応力が以前よりも増し、今までは使えなかった力を扱えるようになるものが多いと報告が上がっていたはずだ。


「先日、UGN内で実験がされたセカンダリの記録の中で、私もこの変性については情報として見たことが――ああ、先日というのは正しくないですね。もう2年前の事なのか」


言い直した真白に、少し寂しそうな顔をする高嶺。余計な事を言ってしまったか、と思い真白は言葉を付け加える。


「すると、技術畑だった私でも戦えるようになったり……とか?」

「まだ確かなことは言えません。その辺りはエフェクトを使ってみれば、自ずと分かってくるでしょう。アトアの研究についても相変わらず人手不足ですから是非続けていただきたいですが、戦力としてあてにされることもあるかもしれません」

「わかりました。私はそれで構いません。……以前からセカンダリとして覚醒させていただいて構わないと、高嶺さんとお話していましたしね」


と言いかけてから言葉を改める。自分が生きていた時間からは、ほんの少しだが置いて行かれてしまったらしい……という事はしっかりと自覚していかなければ。また先程のような顔をさせてしまうかもしれない。


「……私は、雪永さんのような方を無理に目覚めさせる事に、反対したんですが……」


真白のような人間というのは、おそらく『カウンターに適する者がいない者』を指しているのだろう。今こうして彼と話している状況から真白はそう判断し、敢えて事実を確かめるために尋ねる。


「父と母は、……どうなりましたか?」


襲撃を受け、率先して前線に駆け出していった父の背中を覚えている。自分や周りの研究員たちを守る為に戦ってくれた、母の姿も。

だが、目覚めたこの場所に、父と母の姿がない。その状況だけで答えになっているようにも思えたが、確たる事実として受け止め先へ進むために、真白は高嶺にそう問いかけた。


「お父様は戦いの最中……亡くなられました。お母様は……」

「ジャーム化していた。そうですよね?」


言い淀んだ高嶺に、続く言葉を埋めるように真白ははっきりと返す。


真白にとってはついさきほどの事だ。よく覚えている。

母は激戦の中で力を使い過ぎてしまった。日常へ戻って来れなくなる程に。それは戦う力の無かった研究員達や、何より真白を守るために。

真白の目の前で母は自ら力を高めていき――ジャームとなる事を選んだ。

強大な力を遺憾なく発揮した母はFHの襲撃者達を退けたが、今度は――


「……どこまで覚えていらっしゃいますか?」

「母が、私や周りの人たちを殺そうとしたところまで」


難しい顔つきで尋ねる高嶺に、真白も真剣にその言葉を受け止め、素直に言葉を返す。


「そうですか……」


真白が覚えていないと言えば、何か別の――優しい説明を用意していたのかもしれない。そう思えるような、寂しさを含んだ響きだった。

高嶺は真白の言葉に少しうつむいたが、すぐに顔を上げ、事実をきちんと話さなくてはならないと覚悟を決めたように、真白をまっすぐに見つめる。


「そうです。お母様は戦闘の最中ジャーム化しました。これは、残されていた侵蝕率の記録や、真白さんだけでなく、周りのエージェントへも攻撃行動を行った事から明らかになっています。その後戦闘班が駆けつけてやっとの事で、お母様やあなた方の凍結保存が行われました」

「なるほど。……では、父だけでなく母も死んだも同然ですね」

「……それは」


淡々と事実の確認をする真白に、高嶺は返す言葉に詰まる。だがそれを意に返さぬように、真白は続けた。


「仕方のない事です。ジャーム化した際に私以外の研究員達が全て母によって殺害されたという事なら、易々と目覚めさせる訳には行かない。アトアの開発が今後進み、セカンダリ覚醒による脅威が解消されたとしても、母はジャーム化した際の罪を問われる事でしょう」


ジャーム化した際の行動を、その責任を誰がどう受け持つのか。

ジャームから戻ってこれる世界になったにも関わらず、その答えはまだ決まっていない。

これから私たちが考えていかなくてはいけないことだ。

だが、まだ母を戻すと決められる程の世界ではない。それは真白も分かっていた。


「私がセカンダリとして目覚めた今、目の前に高嶺さんしか居ない。つい最近まで私が縁を持っていた人たちが担当カウンターとしてここに居てもおかしくないのに。けれどそうではない……というのは、母によって他の人達は葬られ、その結果、私に適した担当カウンターが居ない……という事なのでしょう?」


沈鬱な表情で沈黙を守る高嶺。それは、肯定の沈黙だろう。

ならばそれは仕方のないことだ。

自身の母のした事であり、自分や周りを守るという理由があったとはいえ、彼らにも家族がいる。数時間前まで仲睦まじく話していた同僚たちの顔を、真白もまだ覚えている。彼らの家族を思えば、自分こそ彼らに顔むけができないと思った。


「でも、セカンダリにはカウンターが必要でしたよね。高嶺さんは局長ともなればカウンターなんてしている暇がありませんし……。なら、私のカウンターはどなたが?」


確認は済んだ。この話はここで終わりにしようと、ふわりと自身の担当カウンターの話へ話題を切り替える。

こちらはこちらで、今後真白自身が生きていくにあたって大事な事だ。セカンダリとして、目覚めて終わりではないのだから。


「職業カウンターの方が就くことになりました。同い年の男性で、牧間夢希まきまいぶき君と言います」


少し顔を上げて、高嶺が返す。言葉に詰まる事もなくスッと返ってきた言葉に真白も安堵した。暗さを帯びない単純な事実のみを述べるのであれば返しやすいであろう、と考えたのは間違っていなかったらしい。


「牧間……もしかして、樺々崎かがさき支部の支部長さんの?」

「ええ、牧間支部長の息子さんです。ご存知でしたか」

「話に聞いたことくらいは。あの支部は多くのセカンダリを率先して受け入れようとしてくれていますから。アトアの研究者からすれば、その実用を後押しして助けていただけている支部長には、頭が上がりませんよ」


会った事がなくとも、この界隈にいれば話は聞こえてくる人物だった。高嶺に話した通り、アトア開発の研究員は皆、こういった理解あるプライマリたちに助けられている。


「そうですか……。息子さんが、職業カウンターを」

「ええ。 夢希くんは雪永さんと同い年ですが、……お母様がおよそ30年前にジャーム化し、凍結保存がなされました」

「――」


真白は思わず息を飲んだ。

彼も肉親を"亡くしている"も同然で、それでも"生きている"。諦めるに諦められない境遇なのかと。だからこそお互いに白羽の矢が立ったのだろうか。


「詳しくはお互いに話をしてもらえればと思いますが、簡単な経歴はここに。職業カウンターの中でも年齢や境遇が近いという事から、雪永さんの担当カウンターとなりました」


そう言って高嶺が渡した資料には、年齢や顔写真、カウンターの志願理由など簡単な経歴が記載されていた。

印刷された資料に書かれた文字は無機質で、筆跡などから誰が書いたかなどは読み取れない。けれど、高嶺が作成したのだろう。そんな気がした。職業カウンターとその担当セカンダリが、これから共に在れるようにと。


「お父さん思いの……優しい人なんでしょうね。きっと」

「ええ。僕も彼は存じています。職業カウンターの審査面接の際や、今回雪永さんの担当に就いていただく際に彼とは話しましたが、真面目で優しい子ですよ」

「……ありがとうございます。私がこれから生きていけるように、高嶺さんが上手くやれそうな人を選んでくれたんですよね」

「アトアが理解され、受け入れられただけで、セカンダリはまだまだ生き辛い世の中ですからね……僕にできる事くらいは」


もう一度、ありがとうございますと言って、真白は頭を下げた。ゆっくりと首を振る高嶺。


「では、さっそく挨拶も必要でしょう。夢希くんをこちらへ呼んできますね」

「はい。……高嶺さん」


おおよそ説明すべきことは説明しただろうと、部屋を出て行こうとした高嶺を呼び止める。


「安心してください。私はセカンダリとして生き、死んでいきますから」

「雪永さん……」


それ以上は何も言わず、真白はただ微笑む。高嶺も、何かを言おうとして、それ以上は言葉が続かなかった。

きっと彼は、真白の言わんとすることを正しく受け取った。


「すみません、呼び止めて。……ちゃんと、言葉にしておかないといけない気がしたんです」

「……いえ。僕は……僕の行う事や雪永さんの研究が、あなた自身の助けになる事を、祈っていますよ」


そう言って、今度こそ高嶺は部屋を後にした。真白も高嶺を見送った後、軽く体を伸ばすと身支度を整え始めた。

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