第3話 PHASE1 奴隷少女ー②

天井から滴った水滴が石畳で砕け散った。

 ここは地下牢。窓はなく一日中光が差し込まず、湿度が高く異臭も漂っている不衛生極まる環境なので――地球でいう――蜘蛛や百足、蛆などの汚怪な小動物が蠢いており、昼は四十度近くに夜は氷点下にまで気温が上下する。

 大人数を収容することを想定しているらしくかなり広い。だが、いま地下牢にいるのは一人だけだ。

 その一人は十代半ばの赤毛の少女で、彼女は鋼鉄の枷で両手足を後ろ手に拘束されていた。


 わずかに身じろぎし手足に血流を通わせる。厳重に拘束された身体は少し動かすだけでも容易ではないが、定期的にそうしないと四肢が壊死してしまうのだ。

 手足の指にかすかに温もりが戻り少女が微笑む。さらに血を巡らせるため指を細かに動かす。

 少女が着ているのは袋に頭と両手を出す穴を開けただけの貫頭衣と呼ぶのもはばかられるボロ服で、丈が極めて短いため伸びやかな脚が丸出しだ。下着ショーツを穿けるような身分ではないので剥き出しの股間も時折覗く。赤い髪は腰までの長さで本来は艶やかなのだろうが、何カ月も洗ってないらしく垢と脂に塗れ、櫛も入れていないので枯れた草のようにボサボサだ。よく日焼けした肌も髪と同様に汗と泥、垢と脂で汚れきっていた。

 自由の利かない身体を懸命に動かし少女が右斜め上を見上げた。顔立ちは美しいというより可愛い、あるいは可憐というもので、表情はいかにも気が強く勝気そうだった。

 大人の男でも発狂しそうな環境なのに、空の色の瞳は強く輝き、口元には不敵な笑みさえ浮かべていた。

(今日で一週間だね)

 光源が一切ないので見えないもののあそこ ・・・に扉があるはわかっていた。

「っ、うん!」

 反動をつけて仰向けになったことで少女の豊かな双乳が毬のように弾む。少女の身体は細身だが筋肉質で引き締まっていた。無論スポーツで鍛えたものではなく物心つく前から強制されてきた過酷な重労働で自然と作られたものだ。

 ひ弱な少女の乳房はブラジャーがないと形が崩れるが、強靭な大胸筋に支えられた彼女の双乳は張りに溢れ、ノーブラでも天を突いていた。

 意識を向けて首から下の様子を確認する。一週間拘束されていたので全身の筋肉や腱は凝って・・・いるが、その代わり殴打されなかったので打撲と鞭の傷はすっかりよくなっていた。

(これなら顔の腫れと痣も治ってるよね。普通の・・・の自分の顔を見るのは久しぶりだな)

 無意識に綻んだ口元は食べかすと脂で汚れていた。一日に一度天窓から投げ落とされる食料は獣のように食べるしかない。

(来た! 二人!)

 少女が再び扉を見上げる。音はまったく聞こえておらず来訪者とはまだかなりの距離があるのに、なぜかわかるのだ・・・・・・・

 一分ほどして軋み音と共に扉が開く。

「おい! キサラ! 狂ってねぇか!」

「まぁ、狂っていようがいまいがおめぇを待ってるのは奴隷労働だけだがな!」

 姿を見せたのはどちらも三十代半ばの監督官だ。一応二人とも人間イノセントだが、下卑た表情には知性と品性の欠片もなく、雑食鬼ゴブリン小鬼コボルドのようだ。

 監督官は少女のもとまで降りてくると鍵で手足の枷を外した。そして挨拶とばかりに腹に蹴りを入れる。

「おらっ、立て!」

 爪先が鳩尾に食い込み胃液が逆流してきたが、嘔吐すれば彼らを喜ばせるだけなので、必死で堪え立ち上がる。拘束で萎えていたうえ蹴られたことでふらつく脚を気合で支え、二人の監督官を正面から見据えた。

「っ。今度はこれ・・だ」

 キサラの強い視線に気圧されたことを隠すため虚勢を張ると、監督官は彼女の両足首に新しい枷を付けた。それぞれ十キロの鉄球がひとつずつ繋がれている。

「ついてこい」

 年上らしい監督官が入口へ顎をしゃくり歩き出したので、キサラも二人のあとを追った。

 早くも鉄球の重みで足首の枷が肉に食い込む。一週間ぶりの鉄球は以前より重く感じたが、監督官に弱みを見せたくないので平静を装って歩き続けた。

 しばらく歩いて建物から出る。一週間完全な闇に監禁されていたので外の光はあまりに眩しく、視界が一瞬で真っ白に塗り潰されさしもの気丈な少女もよろめいてしまった。

 背中で堅く冷たい感触がした。どうやら建物の壁によりかかっているらしい。

「くっ」

 数秒で視力が回復した。眼前の風景は少女のよく知っているものだ。

 荒れ果てた大地で何百人もの人族ヒューマンが働かされている。人間イノセントだけでなく、植物と水の豊かな星で生まれ人間より長寿で水中でもある程度活動できるアールヴ、高重力の火山惑星の出身で人間より背が低いが、頑健な肉体を持ち鍛冶に優れ炎に耐性のあるドヴェルグル、一メートルに満たない身長で非力だが高い知性と魔法への適性を持った――地球の栗鼠に似た種族――スクィーレルなど多くの種族がいた。

 彼らは大きな石を背負って運んだり、鶴嘴で地面や崖を彫ったり、何人かで集まって発電機の巨大な車輪を回したりしていた。笑顔の者は一人もおらず皆疲れ切った顔をしている。一日に一度の濁った水と腐りかけた粥か黴の生えたパンしか食事を与えられず、連日十五時間の重労働を強いられていれば当然のことだ。

 作業場で時折光が走りバチバチという音が響くと、次の瞬間悲鳴と苦悶が聞こえた。監督官が怠惰な奴隷を叱責するため、あるいは単に自分の苛立ちを紛らわせるため電磁鞭スタンウィップ電磁棒スタンステックを振るったのだ。

 作業場を睥睨するように薄汚れた三階建ての監督官の宿舎が建っており、そのさらに上空を監視ドローンと照明装置が飛び交っている。

 ここはアル・カートラス星の奴隷衛星スレイブサテライトだ。兵器や重機、家屋の材料になる鉄鉱石や金属を採取するための衛星で数百人の奴隷が働いている。資源採取のために小惑星帯から牽引されてきた直径十キロに満たない小惑星だが、重力制御装置で一Gの重力が保たれ人族が活動できる酸素も供給されている。人間の限界を超えた重労働に耐えられず奴隷は次々と死んでいくが、およそ二カ月に一度の割合で新しい奴隷が補充される。もちろん高度に科学の発達したアル・カートラス星では危険な採掘作業は通常はドロイドが行う。労働力が人族の奴隷なのは一部の役人と起業家が私服を肥やすため、そして独裁政府に反抗する者への懲罰ためだ。

 キサラはこの衛星に奴隷の子として産まれ、十五歳の今日まで他の世界をまったく知らず奴隷として生きてきた。「キサラ」という名前も勉強をしたことのない彼女には知識にない単語だがナンバリングらしい。

(一週間前とぜんぜん変わってない)

 奴隷(仲間)達が苦役を強いられている姿に、キサラが痛ましそうに表情を歪めた。

 ふいに背中が火を着けられたような激痛を発し、四肢の先端まで痺れが走る

 反射的に振り返ると監督官が電磁鞭をしならせていた。

「なにボサッとしてんだ! さっさと作業に戻れ!」

 無言でキサラは作業場へ進むと石を背負って運んでいる奴隷の列に加わった。彼らは息も絶え絶えで地下牢で横になっていたのが休んでいたようで――実際は彼女の方が過酷だったのだが――申し訳なくなった。

「手伝うよ」

 少しでも他の奴隷の負担を軽くするため、背負子で石を背負うだけでなく、両手でもひとつずつ鉄鉱石の詰まった袋を持つ。

「っ」

 重みで本調子でない膝が崩れそうになり袋も落としそうになったがなんとか踏み止まった。生きることさえ困難な栄養しか与えられていないが、生まれたときからの重労働で身体は鍛えられていて、気合を入れると手足の筋肉が隆起し、少女はふらつきながら歩き出した。

 前方の目的地を毅然と睨む少女の顔は強敵に挑む戦乙女のようだった。




 渾身の力で振り下ろした鶴嘴が硬い岩盤に突き刺さり、その反動で汗が目に入ったのでキサラは右手で額を拭った。

 彼女が地下牢から解放されて数日が経過していた。もちろんその間一日の休みもなく残飯同然の僅かな食事で、一日十五時間の重労働を強いられている。監督官の殴打と鞭打も一日の休みもないので、身体には無数の鞭痕や擦過傷、痣が刻まれ、右の瞼と左頬は腫れ上がり、左目の周囲は痣で真っ黒になっていた。

 呼吸を整えながら作業場を見渡す。監督官に見つかれば確実に鞭打ちだが、幼いころから奴隷生活で彼らの目を盗むコツを身に付けていた。

「あっ」

 少女の瞳が見開かれる。

 鉄鉱石を運んでいた六、七歳の奴隷が転び抱えていた物が、渇いた地面にばら撒かれていた。

「こらーっ!」

 運悪く子供の傍には監督官がいたので鞭が振り上げられた。

「その鉄鉱石は本星の工場で精錬され、オレ達銀河共和国市民を蛮族アスヴァロスから守る戦線を維持するための兵器になるんだぞ! おめぇなんかよりずっと大事なんだ!」

 ヒステリックな怒声と共に鞭が小さな背中に降り注ぎ、か細い悲鳴が零れる。

 奴隷衛星では子供の奴隷も珍しくなくこんなものは日常の風景だ。同じ人族なのに、銀河共和国憲法で禁止されているのに、一般人は奴隷をドロイド以下に扱う。

 そして周囲の大人の奴隷達はとばっちりを恐れて誰も彼女を助けようとせず、むしろ監督官の目が子供に集中しているのをチャンスとばかりに休んでいる者までいた。

 彼らを取り巻く宇宙そらは自然は美しいのに、人族と彼らの構成する社会は汚くて醜い。人族というのは卑劣で醜悪な生き物だ。

(あたしが助けないと!)

 気が付いたときには走り出していた。普通の少女なら引きずるのも困難な鉄球も子供のときから付けられていたキサラには然程苦にならず、二個を引きずって駆け寄ると子供に覆い被さった。

「またてめぇか!」

 身体中で鋭利な激痛が連続し渇いた音が響く。

 それでも全身で子供を庇い続ける。

「このあまぁ!」

 その態度が怒りに油を注いだらしく監督官がさらに激しく鞭を振るう。

 しなやかな凶器が少女の皮膚を引き裂き鮮血が荒れた大地に飛び散っていく。

 いまは鞭打から護られているとはいえ、すでに受けた傷の痛みと恐怖で子供は腕の中でかたかたと震えている。

 キサラが子供を励ますため必死で微笑む。

(いま治してあげる)

 激痛に耐え懸命に意識を集中させると子供をいっそう強く抱きしめた。奴隷少女の右の掌が鞭打っている監督官も気づかないほどかすかな光を放ち、それは子供に吸い込まれ身体の傷を癒した。

 幼い子供は急に痛みがなくなった理由がわからないようで、腕の中でキョトンととしている。

 キサラが「もう大丈夫だよ」というように再び微笑む。

 この行為は体力と気力を消耗するようでキサラの五体からがくんと力が抜けたが、それでも子供を庇い続ける。

「ハアッ、ハアッ、……仕事に戻れ!」

 散々鞭打ってようやく気が済んだ監督官が、最後に唾を吐き背中を蹴り離れていく。

 だが、少女は鞭打の傷と力を行使した疲労で立ち上がれず、子供にもたれかかるようにうずくまっている。ボロ服は無残に引き裂かれ乳房と腰回りをわずかに覆うだけになっていた。

 それなのに仲間である奴隷達は誰も彼女を助けようとせず、護ってもらった子供までがキサラの腕を邪魔そうに払うと一瞥も与えず、さっさっと鉄鉱石を拾って仕事へと戻っていく。

 それなのに彼らを見やる少女の目には批難と怨嗟の欠片もない。

(みんな悪い人だから助けてくれないんじゃない。助ける余裕がないだけなんだよ。……余裕があれば絶対助けてくれる)

 痛みと疲労でかすむ視界で子供が元気なのを確認したキサラはかすかに唇を綻ばせた。

(あたしも負けてらんないな)

 別に暴力は怖くないが倒れたままなのは監督官に屈しているようで癪なので、両腕に力を込め上体を起こそうとするが、果たせず形の良い顎を地面に打ちつけた。

「くっ……」

 傍にあった壁を支えになんとか立ち上がったものの、長い髪は血と泥に塗れ黒く変色していた。

 身体から鮮血が滴り渇いた大地に赤い染みを作る。少女は痛みに耐えふらつく足取りでもといた場所に戻ると再び鶴嘴を振り下ろした。

 

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