第40話 白雪姫との愛称
「っていう話になったんだけどさ」
「中間テストに向けての勉強会、ね……」
その日の放課後、晴人と由紀那は一定の距離をあけながら下校していた。背後にいる彼女に話し掛けるのは、今朝に渡と会話した内容の
心なしか晴人には困ったような声に聴こえたが、その理由にはだいたい察しがつく。
「その、貴方のお友達は本当に私も参加して良いって言ってくれたの?」
「あぁ。頭が良い子なら勉強が捗るってさ」
「同じ学校なら、私が周りからどういう認識をされているのかも知っているのでしょう?」
「クールで近寄り難いけど、実は人見知りで可愛らしい白雪姫だろ?」
「………………ばか」
晴人がおどけたようにそう言葉を投げ掛けると、背後にいる彼女はたっぷりと間をあけてそのように可愛らしく呟く。
やはりというべきか、自分が参加することで相手を怖がらせないか、気まずい空気にさせてしまわないか不安になっていたようである。ましてやその勉強会に参加する相手の一人は渡。以前のお見舞いの際、そういった感情を伺わせる渡を目の当たりにした手前、素直に参加しますとは言いにくいのだろう。
今週中の土曜日に勉強会を行う予定だが、彼女の場合だとデ・ネーヴェで働く都合もある。ここしばらく彼女の貴重な時間を奪ってしまっているような気がするが、大丈夫だろうか。
ちょっぴりの罪悪感と緊張を滲ませながら息を呑むと、晴人は意を決して次の言葉を紡いだ。
「えーっと、その……、由紀那は、勉強会参加出来そうか?」
「え、えぇ……。いつもはお店の方を手伝っているけれど、事前に伝えておけば大丈夫、だと思うわ……………………はる、くん」
二人の間には沈黙が流れるが、その気恥ずかしくも甘い雰囲気は決して苦ではなかった。こんな空気になった理由は互いの呼び方にある。
結局あれから色々話し合った結果、二人きりの場合はそのように呼び捨て及び愛称で呼び、それ以外では名字で呼び合う事に決まった。当初、晴人としてはさん付けで通すつもりだったのだが、何故か彼女自身が頑なに拒否。理由を訊くと由紀那曰く「名前呼びだと特別感を感じるから」らしい。
おそらく奈津美さんと比較してのことだろうが、瞳を輝かせてそのように言われてしまったら、その意思を無碍には出来なかった。
さて、一方由紀那が愛称で呼ぶ晴人の名前。勿論『はるくん』以外にも提案はあったし、そういった愛称がもしこれから自然に白雪姫の口から発せられるのは流石に危ういと考えた晴人は、当然ながら強く反対した。
(……でも、そう呼ぶのがしっくりくる、だなんて甘えるような視線を向けられたらなぁ)
普段の理知的でクールな彼女らしからぬ、ふわっとした理由。
はるくんという愛称で呼ばれた上、そんな可愛らしい視線を向けられてしまい情緒がどうにかなりそうだった晴人だったが、二人きりの時だけという条件付きで渋々折れるしかなかった。
とはいえ、はるくん、と呼ばれる事がいつか慣れる日が来るのだろうかと考えると決して嫌ではなかった。気恥ずかしいのは間違いないが。
程なくしてこの沈黙を先に打ち破ったのは、背後にいる由紀那だった。
「……なんだか、今までは名字だったのにいきなり貴方を愛称で呼ぶのは慣れないわね」
「俺だってそうだよ。そもそも女の子を呼び捨てで呼ぶのなんてハードル高いんだぞ。俺みたいな陰キャなんて特に、だ」
「いっそのこと、私を愛称で呼ぶっていうのはどうかしら?」
「勘弁してください……」
おそらく揶揄っているのか、楽しげな視線が晴人の背中に突き刺さる。
由紀那からはるくんと呼ばれるだけでもひどく心が乱されるというのに、もしこちらが彼女を愛称で呼ぶ事になったらメンタルが耐えられない自信がある。死因、羞恥死である。
売り言葉に買い言葉という訳ではないが、晴人はなんとか持ち直そうと言葉を続けた。
「ゆ、由紀那こそ、慣れないのなら普通に呼び捨てで———」
「嫌よ」
「否定が早いな……」
「晴人くんって呼ぶのも勿論良いけれど……貴方の事をそう呼びたいと思うのは、私の我儘かしら?」
「うっ」
声音が淡々としており顔こそ見えないが、晴人へ信頼を寄せる言葉を言われてはこれ以上何も言えない。由紀那による思わぬ反撃に呻いてしまうも、さらに心情の吐露は続く。
「それにはるくんから由紀那って呼ばれると、今までよりも距離が縮まった気がしてとても嬉しいわ」
「さいですか」
「はるくんは……その、どうかしら?」
「どうって、な、何が?」
「…………私に全部言わせるつもり?」
どこか拗ねたような物言いに、晴人は思わず振り返る。視線の先には立ち止まった由紀那がこちらをじとーっとした瞳で見つめており、頬を可愛らしく膨らませていた。
「……わかって訊いてるだろ」
「直接言葉にしなければわからない事もあるわ」
こう見えても、晴人は人の感情には過敏な方で決して鈍感ではない。なので彼女が何を訊きたいのかは薄々見当がついていた。とどのつまり、折角勇気を出して心情を打ち明けたのだからそちらの本音も聞きたいわ、という内容で
これから彼女に伝える言葉を思うと、身体中を駆け巡る羞恥心と緊張感で心臓がばくばくとしてしまう。じわりと嫌な汗が額に浮かぶも、意を決した晴人はややあって言葉を紡いだ。
「……あー、だからさ。最初から名前呼びはハードルが高いって言ってるだろ、俺」
「そうね」
「女子を下の名前で、ましてや呼び捨てにするなんて……その…………」
「?」
「———ゆ、由紀那が初めてなんだから、そりゃ当然現在進行形でどきどきしてるに決まってる」
「! そ、そう……。私が、初めて……!」
一瞬だけ目を丸くした彼女だったが、すぐさま瞳を嬉しそうに輝かす。表情は変わらないが、心なしか犬の尻尾が元気よくふりふりしているように見えたのは気の所為か。
顔を真っ赤にさせた晴人はそのまま言葉を続ける。
「それに、さ」
「なにかしら?」
「由紀那からその、はるくんって言われると照れてむず痒くなるけど、胸が暖かくなって、嬉しくなる俺もいて……〜〜って、あぁもう! つまり、俺も由紀那と同じ気持ちって事だ! ……あんまり言わせないでくれ」
「—————」
僅かに目を見開いて口元をぱくぱくと動かす由紀那。一方の晴人といえば、あまり慣れない心情の吐露に精神的に我慢の限界がきていた。なので羞恥で真っ赤になった顔を彼女に見せたくなくて咄嗟に身体を反転させる。
そして晴人はそのまま背中を見せた状態で声を上げた。
「は、話を戻すけど! 由紀那も勉強会に参加出来るって事で良いよな!? むしろ俺のために参加してくれ!」
「え、あ………………はい」
「それじゃあ決定!」
半ば勢いだったが、無事由紀那を勉強会の約束に取り付ける事に成功した。心も視界も乱れっぱなしの晴人だったが、耳に届いた彼女の声は心なしか戸惑いつつも恥ずかしがっている様に聞こえた。
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