第38話 白雪姫と名前の呼び方




「………………」

「………………」



 うっすらと陽が落ちてきた時間。晴人と冬木さんは無言でアスファルトの続く道を歩いていた。二人とも私服姿なので、登下校時とは異なり今回は一緒に並んでである。


 晴人は歩幅が大きくならないように気を受けながら、ゆっくりと歩みを続ける。


 あれから無事(?)泣き止んだ奈津美さんは、冷蔵庫から取り出した全員分のティラミスをテーブルに用意してコーヒーを淹れ直すと、幾分か平静を取り戻したようだった。丁度その時に知ったのだが、どうやら冬木さんの父親が持たせた物の正体とはこのティラミスだったらしい。


 その後は甘くもほろ苦い、マスカルポーネチーズとコーヒーの美味しい風味に舌鼓を打ちつつ奈津美さんと何の変哲のない雑談……、



(……だと、良かったんだけどなぁ)



 つい先程まで冬木さんと何処までいったのか根掘り葉掘り聞かれた。しかもニッコニコの満面の笑みで。ついでに有無を言わさぬ声音で。


 何処で出会ったのか、何処へ出掛けたのかなど思い出すだけでも形容し難い恥ずかしさが込み上げるというのに、それを冬木さんとちらちらと顔を見合わせて奈津美さんに改めて説明するのは勇気が必要だった。きっと二人して顔が真っ赤だったに違いない。


 暫く奈津美さんの猛攻を耐えていた晴人と冬木さんだったが、良い加減痺れを切らしたのか彼女はいきなり立ち上がると「風宮くんと、散歩、行ってきます……!」と突然口にしてこちらの手を引いて自宅を出た。そして途中でずっと手を繋いだままという事実に気付き、羞恥心を覚えた冬木さんが先にパッと手を離して今に至るという訳だ。



(奈津美さんは笑顔で見送ってたが、そのまま放置で大丈夫なんだろうか……?)



 ぼんやりと考え込んでいた晴人だったが、ふと隣から視線を感じる。ちらりと横を向いて見ると、頬を染めた冬木さんがこちらを伺うように顔を向けていた。


 その瞳の奥の感情は、どことなく申し訳なさそうである。



「あの、ね……、急に手を掴んでしまってごめんなさい」

「え? あぁいや、驚いたけど全然気にしてないぞ。ただ、奈津美さんをそのままにしちゃって良かったのかって思うけど」

「別に良いのよ、ママとはいえ流石に強引過ぎだったし……。何より、私も風宮くんも限界だったでしょう?」

「それは確かに」



 奈津美さんの少々強引な質問攻めに、冬木さんは表情に出さずともご立腹のようだった。僅かに頬を膨らませている冬木さんの姿に思わず笑みが溢れる。


 因みにいきなり手を掴まれてドキドキしたのは内緒だ。



「むっ、どうして笑うのよ」

「いや可愛いなと思って」

「…………そんな言葉じゃ誤魔化されないわ」



 そっと顔を背ける冬木さんだが、さらさらとした長髪から覗く耳が赤くなっている辺り相当恥ずかしいのだろう。斯く言う晴人も咄嗟に口を衝いて出てしまった褒め言葉に口元を手で押さえる。一瞬思考が停止したのち、内心とても動揺しつつも心臓がばくばくと高鳴っていた。


 普段の晴人ならば相手を褒める言葉を伝えるにはワンクッション必要なのだが……先程冬木さんと手を繋いだ高揚感が後を引いていたのだろうか?


 他意はないとはいえ、自らの発言でどぎまぎしていると再び隣から声が上がった。



「そ、そういえばなのだけれど風宮くん」

「ん、え!? ど、どうした……!?」

「私、ちょっとだけ怒ってるわ」

「なんで!?」



 冬木さんの唐突な申し出に、思わず晴人は戸惑ってしまう。


 二人きりの状況で冬木さんが晴人にそのように話すという事は、その怒りの矛先をこちらに向けているのはもはや明白。雰囲気から見るに、彼女の言う通り怒りはほんの少しだけなのだろうが、しかし問題はその怒りの原因である。



(えぇ……、もしかしてあのとき、俺が冬木さんをほったらかしにしたから怒ってるのか……?)



 思い出すのは泣きじゃくる奈津美さんが冬木さんを抱擁した出来事。ほんわかした光景だったため敢えて冬木さんの訴えかけをスルーしたのだが、確かにあのとき彼女は恨めしげな瞳をこちらに向けていた。


 ひょっとして、それが理由で未だ怒りの微熱が燻っていたのだろうか。


 とはいえ、その考えが合っているかどうかは冬木さんにしかわからない。なので晴人は勇気を出して聞いてみる事にした。



「その、俺なにか冬木さんにしたか……?」

「風宮くんの事だから、わざとじゃないのは知ってるわ。……ただ、ほんの少しだけもやもやしちゃっただけよ」

「もやもや?」

「端的にいえば、面白くない、わね」

「えぇ……」



 冬木さんがそういった所感をはっきりと述べる辺り、本当に面白くないのだろう。これまでの自身の行動を振り返りつつ疑心暗鬼になりながら恐る恐る候補を思い浮かべていく晴人だが、やはりというべきかその都度不安感は増していく。


 そんな憂慮を払拭するべく、まず晴人は先程の可能性を口に出してみる事にした。



「もしかして、さっき奈津美さんに抱きしめられている冬木さんの事を、スルーしたからか……?」

「ううん。確かに最初はムッとしてしまったけれど、それじゃないわ」

「じゃあ、一緒に買い物に付き添わなかったから……?」

「いいえ。そもそも風宮くんはお客様なのだから、ママの頼み事に付き合って貰うのは流石に申し訳ないわ」

「もしかして、俺の存在自体が…………?」

「決してそんなことはないし、むしろ一気に正解から遠退いたわね」



 冬木さんのこちらを見つめる視線に、何処となく呆れが含まれているのは気のせいか。悉く正解を外しまくった晴人は悩みながらも思考を続ける一方、冬木さんの気持ちを汲み取れずに内心落ち込んでしまう。


 ともあれ、これらの可能性でないとすれば冬木さんが怒っている理由はいったいなんなのだろう。



「……ふふ、風宮くんのそんな表情を見れるなんて新鮮ね」

「誰のせいでこうなってると思うんだ……」

「強いて云えば、貴方の言動がきっかけかしら」

「……そうでした」



 晴人は肩を竦めつつ、そっと息を吐く。



「……降参だ。冬木さんがどうして怒っているのか、その理由を教えてくれないか?」

「……うん、そうね。風宮くんの苦悶する顔も見れた事だし、これ以上意地悪しちゃうと逆に仕返しされそうだから、これで良しとしましょうか」

「おい」



 どうやら冬木さんは最初から晴人が答えに辿り着けないと踏んで、意趣返しのつもりでこちらの言葉を促していたようだった。晴人の抱える罪悪感を利用して揶揄うなんて非常に強かというか、今となってはあの母あってこの娘ありだな、と思わず舌を巻く。


 すると白雪姫様は少し離れた場所へ小さく指を指すと、こちらに伺うような視線を寄せた。



「あの公園で、少しお話ししましょうか」

「あ、あぁ……」



 二人はそのまま歩みを進めると、公園の敷地に入って行ったのだった。







「風宮くん、ここ座って」

「い、いやでも……」

「素直に座らないと、パパに風宮くんがママを泣かせたって言うわよ?」

「座ります……」



 公園といっても、砂利が敷き詰められた小さな敷地にブランコや滑り台といった簡単な遊具、砂場、公衆トイレやベンチがあるのみの小さな公園だった。

 それらの遊具を一望出来る、入り口に近い小さなベンチに座った冬木さんは、手で隣をぽんぽんと軽く叩くと晴人に座るように促した。


 最初は座ってしまえば互いの肩が触れるか触れないかという距離だった為に冬木さんの真隣に座る事へ難色を示した晴人だったが、奈津美さんを泣かせてしまったことを引き合いに出されてしまってはこちらとしては何も言えない。


 渋々冬木さんの真隣に座った晴人だが、すぐに後悔する事になる。



(めっちゃ良い匂いがする……)



 女の子特有の甘い匂いと表現したら良いのだろうか。奈津美さんからの頼み事から急いで帰ってきてくれたという事もあり、どうやら僅かに汗を掻いていたのもこの甘い香りを引き立てている要因の一つらしい。


 必死に平常心を保ちつつ悶々とした煩悩を押し殺していると、隣にいる冬木さんが口を開いた。



「風宮くん、今日はありがとう」

「へ?」

「流石に休日はお店の事もあるから、ゴールデンウィーク中に風宮くんと会う時間を作るのは難しいかなって思っていたの。でも、突然のお誘いだったのに貴方は来てくれた。少し緊張しちゃったけれど……風宮くんが視界に入ると、思わず嬉しくなって、安心した私がいる事に気が付いたわ」

「冬木さん……」

「こう見えて、今回のきっかけをくれたママには感謝しているのよ?」



 冬木さんは近い距離から晴人を見つめ、こてんと小さく首を傾げる。

 視界の端でうっすらとポニーテールが揺れるが、改めて近くで見る彼女の端正な顔は、日に焼けていない肌は、おちゃらけつつも真っ直ぐにこちらを見つめる瞳は———とても綺麗で。


 刹那、少しでも目を離したくないという激情が唐突に去来した。



「でも、一つだけどうしても気になる事があるの」

「……気になること?」

「風宮くん、どうしてママは『奈津美さん』って呼ぶのに、私は『冬木さん』なのかしら?」

「…………えっ?」

「私の方が先に風宮くんと出会って何度も言葉を交わしているのに、今日初めて会ったママを名前で呼ぶなんて辻褄が合わないわ。なにより……」

「なに、より?」

「その…………………………ずるい、わ」



 頬をうっすらと染めながら蚊の鳴くような声でそのように口にする冬木さんだったが、近距離なのではっきりと晴人の耳に届いた。


 怒っている、というのはつまるところ『呼び方』なのだろう。


 普段の理知的な冬木さんらしからぬ言葉に晴人は一瞬だけ思考が固まってしまうも、なにせ破壊力が凄まじい。冬木さんを苗字で呼んでいたのは唯の慣れの所為であったのだが、それを彼女に説明するよりも早く、なんだこの可愛い生き物は、と反射的に思ってしまうのも無理なかった。


 とはいえ、折角冬木さんが自分の気持ちを曝け出してくれたのだ。ここで彼女の思いに応えなければ男が廃れてしまうし、きっと後悔する。


 なので、



「じゃあ…………由紀那、さん?」

「! 由紀那でいいわ」

「ハードルたっか……。ていうか、辻褄が合わないって言うんだったら由紀那……さんも俺のこと下の名前で呼ぶべきじゃないか?」

「そ、それもそうね……。晴人……晴人くん…………は、はるくん?」

「っ!」



 そんな至近距離かつ純真な瞳ではるくん、と呼ばれてしまったら、正直まいってしまう。もし今後そういう呼び方が定着してしまうと考えると心が酷く乱されるので、晴人は高鳴る胸の鼓動をなんとか抑えつつ声を絞り出した。



「……互いの呼び方、考えるか」

「そ、そうね……っ」



 隠しようもない、二人だけの甘酸っぱい雰囲気。


 そうして顔を赤くしながらも視線を交わして頷いた二人は、暫くの間公園のベンチに座りながら互いの呼び方の案を出し合ったのだった。














————————————————

いかがだったでしょうか?

これにてゴールデンウィーク編は終了です!

次回も楽しみにして頂けると、とっても嬉しいです〜( ´ ▽ ` )ノ


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