第32話 白雪姫の勘違い



(あー、すげぇ緊張した…………)

 


 晴人が思い出すのは、先程までの冬木さんの母親である奈津美さんとの初対面。

 緊張がぶり返しながらも、自己紹介含め挨拶や謝罪を無事に終えた晴人は安堵していた。


 現在は畳が敷かれた休憩室にて一人である。



(……今更だが、どこか悪かった所とか無いよな? 自己紹介もしたし、冬木さんとの関係……同級生で友達ってことも伝えたし、いつもお世話になっていることも伝えた。お詫びというか謝罪もして、持ってきた菓子の包みも渡したし……うん、大丈夫大丈夫。大丈夫、な筈……)



 座布団に正座で座っている晴人だが、あの時の様子を思い返す度に溜息をついてしまう。上手く言えただろうか、変じゃなかっただろうかという不安が邪魔をして、どうにも感情が落ち着かない。


 先程から部屋を見渡してそわそわとしている訳だが、こればかりはきっとしょうがない事なのだろう。


 なにせ冬木さんの母親と初めて会話した上、これから冬木さんの自宅へと向かう予定なのだ。

 覚悟してきた事とはいえ、いざ目の前にすると晴人は心臓がはち切れそうだった。



「落ち着け、落ち着くんだ俺……」



 ふぅ、と一つ深呼吸。


 「由紀那に飲み物持って行かせるから、適当に寛いでてー!」と元気に言い放って厨房へと去っていった奈津美さん。


 これから出勤する為に制服に着替えると言う、頰を赤く腫らした海老原さんと行きすがら軽く話したのだが、どうやら元々は奈津美さんが副店長だったらしい。


 ばいば〜い、と言いながらひらひらと手を振った彼女とはすぐ別れてしまったので残念ながら詳しい聞けなかったのだが、冬木さんが高校生にして副店長という立場なのはなにやら事情があるようだ。



「……ま、暇な時にでも聞けば良いか」



 深く立ち入ってはいけない事であるのならば無理には訊かないが、もしそうでないのならば冬木さんの副店長になった経緯を聞いてみたい。


 これは決して、野次馬根性で訊ねたい訳ではないのだ。


 寧ろ好奇心というよりも、冬木さんのことをもっと知りたいという興味や関心と言い換えても良いだろう。


 冬木さん、もしくは彼女の家族のプライベートへの線引き。次第に冬木さんに惹かれつつある晴人としては、無遠慮にそのラインを踏み越えて彼女を悲しませる様な真似など、絶対にしたくなかった。



「冬木さんは今、何しているのかな」



 奈津美さんによると晴人へ飲み物を持ってこさせると言っていたが、ふと腕に付けた時計を見ると、そのやりとりがあってから約十五分ほど経過していた。


 やはりというべきか、大型連休中はとても忙しいようだ。きっとこちらに飲み物を持ってくる時間も無くあくせくと働いているのだろう。

 待っているだけの晴人としては逆に罪悪感というか、申し訳なさが目立つ。


 不安と緊張が入り混じりながら冬木さんへと思いを馳せていると、がちゃりと扉が開く音が聞こえた。



「こんにちは風宮くん。待たせてしまってごめんなさい」

「いや、大丈夫だ。こんにちは冬木さん」



 視線を向けながら挨拶を返すと、そこにはデ・ネーヴェで働く制服姿の冬木さんがこちらへ顔を覗かせていた。ポニーテールに結んだ、しっとりとした濡れ羽色の長髪が後ろでさらさらと揺れる。


 最後に会ったのはゴールデンウィーク前日。

 昨日メッセージや通話でのやりとりをしたばかりとはいえ、久しぶりに彼女の姿を見ると思わず安心してしまう。相変わらずの無表情であるが、一瞬だけこちらを見つめた瞳はとても優しげな光が込められていた。


 そのまま入室し、冬木さんは静かに扉を閉める。透き通った茶色の飲み物が入ったグラスが載っかったキッチントレーを器用に片手で持った彼女は、入り口付近で従業員用の黒い靴を脱ぐと、晴人のもとへ向かう。


 しかし何故だろうか。いつもより、何処となく冬木さんの挙動が固く見える。



「…………ど、どうぞ」

「あぁ、ありがとう……?」

「っ」

「あ、すまん」

「い、いえ……」



 飲み物を受け取る際に少しだけ指と指が触れてしまったのだが、途端に彼女はびくり、と身体を小さく震わせる。しまった、と思った晴人が咄嗟に謝るも、冬木さんは肩をすくめながらほんのりと頬を染めた。


 感謝の意を伝えた後に謝罪をするというのもなんだか変な感じだが、それはひとまず置いておこう。


 普段とは珍しく、先程からまったく視線を合わせない冬木さん。

 もしや肌に触れたのは不愉快だっただろうか、という不安が一瞬だけ頭を過ぎるも、彼女はぎゅっと唇に力を入れると意を決したかのようにこちらを見つめた。



「今日は、わざわざ来てくれてありがとう。ママが言い出した事とはいえ、突然風宮くんを私の家になんて誘って、迷惑じゃなかったかしら……?」

「いや、全然迷惑なんかじゃないぞ。最初こそ驚いたりはしたけど、ゴールデンウィーク中は予定が無かったからな。課題は全部終わったし、中間テストの復習もほぼほぼ完了してる。別に冬木さんが気に病む必要なんてないよ」

「風宮くん……」

「それに、俺個人としても冬木さんのご両親には挨拶しなきゃって思ってたからなぁ。寧ろ冬木さんの自宅に行けるなんて嬉しいよ」

「ふぇ」



 どうやら先程の考えは晴人の思い過ごしだったようだ。

 冬木さんの肌に触れてしまった事で彼女が気分を害していないか少々不安だったが、取り越し苦労のようである。


 嬉しい、という言葉は嘘ではない。今も尚、緊張や不安が晴人の中を渦巻いているとはいえ、冬木さんの友達として初めて自宅へ招待して貰えるだなんて嬉しくない筈が無かった。


 それに、冬木さんのご両親にもこれまで間接的に様々な迷惑を掛けてしまったのでお詫びがしたかった。なので今回のお誘いは丁度良い機会なのである。



(あ、そういえば冬木さんのお父さんに挨拶してない。失礼な奴だなんて思われたくはないし、出来れば後で挨拶しときたいな)



 頭の片隅でそのように考えながらグラスを手に取って口に含む。どうやら色合いの通りウーロン茶のようだ。冬木さんは晴人が飲んでいた飲み物の種類を覚えていたらしい。


 冷たくて、とても清涼感があった。グラスをテーブルに置くと、からんと氷の音がした。


 

「ふぅ、美味しいよ」

「ま、まだ気が早いわ……っ!」

「え?」



 無表情なのだが、何故か先程よりも冬木さんの顔が真っ赤である。動揺とまではいかないが、明らかに目がぐるぐると揺れていた。


 そもそも気が早い、とはいったい何のことなのだろうか。

 これだけ顔が真っ赤なので一瞬だけ疲労からくる体調不良を疑う晴人だったが、そもそもそうであれば奈津美さんがいの一番に気付くだろう。なのでその考えは除外。


 晴人は冬木さんが発した言葉の意味に頭を悩ませるが、彼女は構わずに言葉を続けた。



「用意周到なのはとても良いことだと思うけれど、私たちはまだ高校生。何かが起こった場合何の責任もとれないただの子供よ。私と風宮くんは今でこそこうして頻繁に顔を合わせたり会話したりしているけれど、実際は出会ってからまだ日は浅いし、お互いのことも少しずつ知りつつあるとはいえまだ深くは知らないわ。勿論外堀を埋めてから一気に関係を深めていくというのも選択肢として考えられるけれど、私たちは私たちの距離感というか……そう、歩幅があると思うの。だから、風宮くんの気持ちはすごく、すごく嬉しいけれど、順序を飛ばしてお付き合いする前に挨拶する・・・・・・・・・・・・・というのは、流石に私も恥ずかし―――」

「冬木さんちょっと待った。ごめん、俺が悪かった。ストップ。頼むからストップ」



 早口で淡々と言う冬木さんに待ったを掛けながら晴人は顔を手で覆う。きっと今の晴人の顔は真っ赤になっているに違いない。


 普段から冷静なのにどうしてそこだけ、とか飛躍しすぎ、とか色々と勘違いしている彼女に物申したい気持ちで山々だったが、ひとまず先程の言葉をちゃんと補う必要があるだろう。



「冬木さん……あの、俺が言ったのはそういう・・・・意味じゃなくて、これまで色々冬木さんに迷惑を掛けてきた事を謝る為にご両親に挨拶をしたいっていう意味だからな?」

「…………へ」

「だから、その…………うん。勘違いさせて、ごめんな?」

「勘、違い………………」



 ちらりと冬木さんへ視線を向けると、こちらを向いて無表情のまま呆然とした様子で固まっていた。きっと今頃、頭の中では晴人が伝えた言葉の意味と自ら発言した言葉を噛み砕きつつ整理している筈である。


 弁明というか、説明が出来てひとまず晴人はほっと胸を撫で下ろす。しかし同時に新たなる疑問も生まれた。


 言葉が足りず、ややこしい言い方になってしまった晴人に当然非はあるのだが、あの冬木さんが額面通りの意味として捉えてしまうのも珍しい。


 実は人見知りで可愛げのある彼女であるが、普段から落ち着いて物事を俯瞰的な視点で見る事の出来るクールな美少女である。そんな冬木さんがどうして今回に限ってそんな誤解……飛躍した思い違いをしてしまったのかと不思議に思う晴人だったが、説明不足だったのは変えようもない事実。


 とどのつまり、冬木さんは悪くない。

 反省するべきは誤解されかねない発言にもかかわらず、言葉を省いてしまった晴人の方であろう。



「そう、私の……勘違い……」

「あぁ、本当にごめん」

「気が早かったのは、私の方……」

「ん……まぁ、そうなるか……? いやでも……」

「…………。――――――、~~~っっ!」



 暫く固まっていたが、恥ずかしさが爆発したのか身体を震わせながら顔を両手で覆う冬木さん。辛うじて指の隙間から見える顔色はほんのりと赤く染まっており、言わずもがな両耳も真っ赤である。


 これまで冬木さんと関わってきたが、こんなに狼狽した姿は初めてだ。思わず動揺してぎょっとしてしまう晴人だったが、なんとか落ち着けと自分に言い聞かせる。


 とにかくこのまま羞恥心を抱かせたままでは彼女に申し訳が無い。すぐさまこちらの方に非があったという旨を伝えようとする晴人だったが―――、


 その瞬間、がちゃりと扉が開いた。



「二人ともお待た~! 行く準備が出来たから、さっそ、く…………」

「「………………」」

「……いやどういう状況?」



 姿を見せたのは、制服を脱いでカジュアル且つラフな格好をした奈津美さんだった。


 目を泳がせている晴人と、テーブルを挟んだ向こう側で一見泣いているような仕草にも見える冬木さん。こうして考えると、晴人が冬木さんを泣かせた構図に見えなくもない。


 そしてそんな二人の様子を奈津美さんに見られている。



(今日は、厄日だろうか…………)



 冬木さんの自宅に向かう前に、早くも頭を抱えたくなった晴人だった。









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