第19話 白雪姫との待ち合わせ


「ふぁ、ねむ……」



 欠伸あくび交じりにそう呟いた晴人は、自宅の洗面台の前で癖っ毛のある髪型を整えていた。普段であれば例え寝癖が付いていても気にしないのだが、なんといっても本日は冬木さんとのお出掛け当日である。


 美少女である彼女と一緒に出掛けるのだから迷惑は掛けたくない、そう思いつつ身支度をしていた晴人は昨日薬局店で初めて購入したワックスに手を伸ばした。



(……まさか、引き受けてくれるなんてな)



 ―――結論から言えば、数瞬間が空いた後「日曜日が良いわ」と無事了承のお返事を頂いた。


 一人で贈り物を選ぶのが不安だった晴人からしてみればとてもありがたいお言葉だったのだが、それと同時に不安がよぎる。


 冬木さんは高校生にして『デ・ネーヴェ』で副店長として働いている。いくら郊外から離れた立地だとしても休日の土・日曜日などは普段よりも客の出入りが激しくなる筈なので忙しいのは確実だろう。


 そんなどきに一緒に出掛ける提案などして大丈夫だろうか、と内心不安に思いつつ申し訳なく感じながらその旨を彼女に伝えると、瞳に優しい光を湛えながらこのような返事が返ってきた。



『心配しないで。その日は第三日曜日だからお店は休みよ』



 話を聞くと、飲食店にしては珍しいが、どうやら月に一度の日曜日は休みにしているらしい。冬木さんによると『デ・ネーヴェ』の定休日は火曜日のようなのだが、第三日曜日は冬木家が家族の団欒を過ごす日として敢えて休みにしているとの事。


 冬木さんの両親に会った事は無いが、そこには家族を大事にしたいという思い遣りが伺えた。



「冬木さんとの待ち合わせまであと約二時間……。もう、後には引けない」



 容器から十円玉ほどの量を掬い、両手で薄く伸ばす。掌と指の間、指先によく馴染ませるように広げると、晴人は癖っ毛のある自らの黒髪へ全体的に満遍まんべんなく揉み込むようにワックスを付けた。


 ベタベタとして慣れない感覚であったものの、それは既に前日の内に予習済みである。何度も手櫛で髪型を整え改めて鏡を確認すると、そこにはナチュラルな仕上がりとなった、いつもとは違う雰囲気を纏わせた晴人が映っていた。


 服装はベージュのカーディガンにシンプルな白いシャツ、黒のスラックスといった春らしい爽やかなコーディネートをチョイス。以前、余所行き用として母親の咲良と一緒に買い物に行った際に購入して貰ったカジュアルな代物だが、こうして改めて着てみるとまるで別人だ。


 未だ不安ではあるが頑張ろうと意気込んでいると、母が入り口からこちらを覗き込んでいることに気付く。



「あら、似合ってるじゃない。いつもの冴えない姿はどこに行ったのかしら?」

「別に、少しワックス付けて髪型を整えただけだろ」

「普段の晴人なら水で軽く髪を濡らすだけじゃない。気合い入れちゃって、今日はどこの誰と一緒にお出掛けするのかしらねー?」

「うっさい」



 母の表情と声音には隠し切れない好奇心と共に笑みが浮かんでいた。


 本日は日曜日という事もあり母の仕事は休みである。渡と遊びに行くときの格好とは明らかに気合の入れようが違うし、普段は無頓着なのに身嗜みだしなみにも気を付けているのでそのように声を掛けてきたのだろう。


 冬木さんと母は一度玄関の近くで会っている。母の言葉に揶揄からかいが含まれていることから察するに、どうやら晴人が誰と出掛けるのかはお察しのようだ。



「ま、失敗しないようにしなさい。折角格好良くなったんだから、しっかり楽しんでこないとね」

「……分かってるよ」

「ん、よろしい。じゃあ私はしばらくリビングでゆっくりしてるけど、まだ待ち合わせまで時間はある? 朝ご飯食べてく?」

「いや、いいや。だいぶ余裕はあるけど、一応もう少ししたら早く家出るよ」



 冬木さんとの待ち合わせは十時三十分頃となっている。移動時間を含めて九時辺りに自宅を出てもきっと間に合うのだろうが、初めての異性とのお出掛けともなるとどうしても緊張してしまうし落ち着かない。


 移動中何か不測の事態が起こるとも限らないし、早めに待ち合わせ場所に行こうと晴人は考えていた。



「そう、それじゃほどほどにして持ってく物準備してきなさいね」

「あー、うん」



 そう返事をして晴人はリビングへ向かう咲良を見送ると、改めて鏡に映り込んだ自分の姿を見る。

 清潔感のある格好や髪型を意識したので、きっとこの姿の晴人ならば冬木さんの隣に並んでいても見劣りはしないだろう。



「……ふぅ。頑張れ、俺」



 本日は冬木さんへの贈り物を購入するのが目的である、初めての女子とのお出掛け。不安や緊張は残るものの、それをなんとか吐き出すようにして短めに息を吐くと、目の前の自分へ励ましの言葉を投げ掛けたのだった。





 それから間もなくして財布や充電器などを入れたミニショルダーバッグを持って自宅を出た晴人は駅まで徒歩で移動した後、電車でさらに県内の駅を経由。待ち合わせ場所であるJR駅の連絡通路にようやく到着すると、駅を歩く通行人の邪魔にならないように壁際へ移動した。


 やはりというべきか、休日という事もあり周囲を見渡すと人の数は多い。


 そういえば今は何時だろうか、と腕に付けた時計を見てみると時刻は九時三十五分。冬木さんに指定した集合時間よりも約一時間も早く着いてしまったが、遅刻してしまうよりはマシだろう。


 ゆっくりと顔を上げた晴人は小さく溜息をつく。



「緊張してたとはいえ、流石に家出るの早かったか……?」



 雑踏の音に掻き消されながらも、気まずそうにそう独り言ちる。


 端的に言えば現在の晴人は暇を持て余した状態だ。決して精神的に余裕がある訳ではないのだが、冬木さんとの待ち合わせの時間までだいぶ時間がある以上、どうやって気を紛らわすか悩ましい。


 一先ずゆっくりと待つか、と晴人は壁際に寄り掛かる。再度溜息をつきながらぼんやりと改めて周囲の構内を見ると、ふとその人間模様は実に様々なことに気付く。


 自動券売機の前で慣れた手つきで切符を購入する中年男性に友だち同士待ち合わせをしていたのか明るい表情を浮かべながら談笑する女子たち、日帰りで県外へ出掛けるのかキャリーバッグを引く家族連れやモップを持って駅構内の床を綺麗に磨いている清掃員、そして恋人繋ぎをしながら仲良さげに歩くカップルなど。


 そんな知りもしない他人同士などが構内を賑わせて、いや、いろどっているという光景はこうして改めて見ると中々に面白い。

 

 人通りが多い場所はあまり好きではないが、普段何気なく通り過ぎる場所でこうして人間観察のような真似をするのは意外に新鮮である。


 たまには良いかな、とスマホを取り出してその行き交う様子や構内を次々に写真に収めていると、いきなりすぐ隣で晴人を呼ぶ声が聞こえた。



「―――風宮、くん?」

「うおっ」



 その声音は何故か少し不安げで何処かよそよそしい感じに聞こえるも、もはや晴人が日常的に聞いているものだったのでその声の主はすぐに誰だかわかった。しかし急に声を掛けられて驚いたのも事実。


 肩をビクリと震わせながらスマホの画面から目を離してそちらへ向くも―――晴人はしばらく言葉を失う。



「――――――」



 何故なら、そこには私服を身に纏った魅力的な冬木さんが居たから。


 彼女の私服姿を初めて見たのは当然と言えば当然である。これまでは高校生活を過ごす冬木さんの制服姿や体操着を着た服装しか見慣れていないし、唯一晴人が見た違う服装といえば『デ・ネーヴェ』の水色のワイシャツに焦げ茶色のエプロンといった制服姿程度だ。

 

 なので晴人が初めて見る冬木さんの私服姿に目を奪われてしまうのは、到底無理もない話だろう。



「よ、かった。やっぱり風宮くんだったのね。いつもと服装が違う上に、とても雰囲気が……お、大人びているから、声を掛けるか正直迷ったけれど、勇気を出して良かったわ」

「……あ、お、おう」

「風宮くん?」



 何故か話している途中で不自然に言葉が途切れる冬木さんだが、当の晴人はそれどころではない。


 彼女の服装は春らしい色合いである薄緑色のマジョリカプリーツワンピースと、そのワンピースから覗く乳白色のすらりとした脚の先には華奢きゃしゃなシルバーパンプスがおさまっている。そして両手にはベージュのハンドバッグが握られており、現在の冬木さんの服装と非常に色合いがマッチしていた。


 雰囲気がいつにも増して大人びている上、うっすらと香水を振りかけているのか、彼女からはほんのりと良い匂いがした。


 この優美さ漂うフェミニンで爽やかな格好は、美少女である冬木さんの魅力を見事引き出していると言っても過言ではないだろう。


 いずれにせよ、そんな彼女を晴人はどうにも直視することが出来ず視線があらぬ方向へと向いてしまう。



「い、いや、まだ待ち合わせの時間までだいぶ時間があるのに、到着するのが早いなって思って……!」

「……それを言うなら、風宮くんだってそうじゃない」

「俺はその……あれだよ。冬木さんを休日に誘った手前、遅れちゃ悪いって思っただけ」



 晴人の言葉は勿論嘘ではないが、その本心は別のところにある。


 冬木さんと一緒に出掛けることに対し不安や緊張があったのは確かだが、楽しみだという感情に比べれば些細なことなのだ。現に私服姿の綺麗な冬木さんを見たら、家を出る前にも増してこんなにもドキドキして期待に胸を弾ませているではないか。


 つまるところ、晴人は私服姿の冬木さんを前にして照れていた。



「そう……。私は、この日を楽しみにしていたわ」

「…………ごめん、実は俺も」

「! そ、そうなの」

「あぁ、そうだ」

「…………」

「…………」



 どちらからともなく互いに顔を赤く染めて再度視線を逸らす。彼女を前に改めて本心を口にするのは、思ったよりも恥ずかしい。


 ここで晴人は、冬木さんに言わなければいけない言葉を伝えていないことにふと気付く。再び恥ずかしさが再燃する晴人だったが、勇気を出して口を開いた。



「その、今更だが……その服装、とても良く似合っている」

「あ、りがとう。風宮くんも、とても格好良くて……とても、素敵よ」

「お、おう。ありがとう」



 なんともむず痒い、甘酸っぱい雰囲気が漂うも、集合したというのにこのまま駅構内に居ても埒が明かない。心なしか綺麗な格好をした冬木さんを注目する周囲の好奇な視線も増えてきた気がした。


 そんな彼女を、余計な人目に触れさせたくなくて。



「……じゃあ、行くか」

「……えぇ」



 晴人と冬木さんの二人は、隣同士に並びながらもゆっくりとした歩みで入口へと向かったのだった。











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更新まで結構な間が空いてしまいましたが、大変長らくお待たせ致しました!(/・ω・)/


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