第17話 白雪姫との帰り道
「帰るか」
それから放課後に突入し、帰宅する支度を終えた晴人はゆっくりと席を立った。
ホームルーム終了から余り時間が経っていないせいか、教室は一日を終えた開放感で談笑する生徒の声で騒がしい。どうやら二年生に進級したと云えど、そういったクラスの日常は普段通り変わらないみたいだ。
鞄を手に取った晴人は教室の入口へと向かう。
(……ったく渡のやつ、あれから俺を見るたびニヤニヤしやがって)
そのまま廊下に出た晴人は昇降口を目指して歩みを進めながらも、現在は教室にいない級友の姿を思い出す。
結局、渡は体育以降特に冬木さんとの関係を言及することはなかった。
ニヤついた表情と視線には若干の揶揄いと興味が伺えど、何も言ってこなかったのはきっと渡なりの配慮なのだろう。
なんとなくこちらの心情を見透かされているような気がする晴人だったが、正直あれ以上冬木さんのことを聞かれても返答に困るだけ。
当の本人は急遽練習前に陸上部のミーティングがあるとの事でホームルームが終わり次第すぐに教室を出て行ったが、明らかに楽しんでいるようにしか見えないので晴人としては複雑な心境である。
「はぁ、だいたい誰がうぶだっつの―――」
「風宮くんも今帰りかしら?」
「うおっ」
昇降口に到着し、シューズに履き替えようと鍵付きロッカーの扉に手を掛けたその瞬間、突然背後からもはや聞き慣れた感情の籠らない声が聞こえた。
晴人は素っ頓狂な声を上げながら咄嗟に振り向くと、制服姿の白雪姫―――冬木さんの後ろ姿が目に入る。
屈んでいるところを見るに、高校指定のローファーに履き替えているみたいだ。艶やかな黒髪がさらりと枝垂れるように揺れ動いている。
どうやら冬木さんと下校するタイミングが丁度良く重なってしまったらしい。
「ごめんなさい、驚かせてしまったかしら?」
「あ、あぁいや別に。気にすんな。今から帰るところだ」
「?」
こちらを振り向いて無表情のままこてん、と首を傾げた冬木さんに対し、晴人は取り繕いながらも咄嗟に顔を背けた。
先程情けない声を上げたというのも勿論あるが、何より昨日の顔を赤らめた冬木さんの姿を思い出した事実を悟られたくなかった。
それにしても、と波立つ感情を抑えながら晴人はちらりと彼女を盗み見る。
切れ長の瞳でこちらを不思議そうにじっと見つめている冬木さんだが、今は周囲に誰もいないとはいえ人見知りと自負する彼女が日常的に生徒の往来の多い昇降口で話し掛けてくるのは珍しい。
「でも急にどうしたんだ? こんな場所で話しかけるなんて冬木さんにしては無用心過ぎるだろう」
「今は誰もいないから大丈夫よ」
冬木さんは呆気なくそう言うと、淡々と言葉を続ける。
「帰ろうと教室を出たら偶然風宮くんを見かけたの。人通りの多い廊下で話しかけるわけにも行かなかったから、声を掛ける機会を伺いながら一定の距離を開けてここまで来たわ」
「左様で」
「……決して風宮くんに迷惑は掛けないから安心して頂戴?」
「いや、別に迷惑だなんて思わないけどさ」
恐る恐る晴人を窺うような冬木さんの言葉に思わず苦笑する。
迷惑は掛けない、と口にしたところを見ると、どうやら冬木さんは自分の白雪姫としての価値や影響力を把握しているらしい。
一応彼女なりに周囲へ細心の注意を払いながら晴人を追いかけてきたのだろう。そして昇降口まで辿り着き、偶然他の生徒がこの場に居合わせなかったので晴人に声を掛けたというわけだ。
そんな冬木さんの姿をまるで周囲に警戒を払う猫のようでもあり、人懐っこい犬のようだと思ったのは秘密である。
「じゃ、帰るか」
「えぇ。それじゃあ私は少し距離を開けて風宮くんの後ろをついて行くわね」
「ちょっと待て」
当たり前かのようにさらりと言い放つ冬木さんに対し、晴人は無意識に固い声が出た。
冬木さんが何故そう言うのかは大体理解しているつもりだ。恐らく彼女としては晴人と一緒に帰ることで必要以上に周囲から注目を浴びてしまうことは避けたいのだろう。
極度の人見知りという性格的な事もあるのだろうが、そこにはきっと晴人に余計な憂慮を与えたくないという思惑、つまり冬木さんの配慮も含まれているに違いない。
そんな晴人の胸の内を余所に、冬木さんは切れ長の瞳をきょとんと瞬かせていた。
「……一応、理由を聞かせてくれ」
「もし私が特定の誰かと一緒にいるところを学校の誰かに見られたら、結構な注目を浴びてしまうわ」
「まぁ、確かにな」
「目立つような行為は極力避けたいし、生徒から受ける好奇の視線は正直苦手よ。……それに私の所為で風宮くんに嫌われるのは嫌だし、何より風宮くんを巻き込んで不快な思いをさせてしまうのは、もっと嫌」
「冬木さん……」
「だから私は後ろを歩くわ。―――いくら風宮くんでも、これだけは譲れない」
こちらを見る真剣な瞳を覗く限り、どうやら晴人の後ろを歩くという冬木さんの意志は固そうである。
卑屈さが垣間見える理由だったのなら多少強引にでも説得して一緒に並んで帰る所なのだが、先程の理由は思い遣りに満ち溢れた、なんとも冬木さんらしい優しい言葉だ。
冬木さんの口からそんな真摯な思いを聞いた晴人には、それ以上何も言えない。
「……矛盾、してるわよね。風宮くんに迷惑を掛けたくないのなら別々に帰れば良いのに、一緒に帰りたいんだもの」
「別に矛盾でもどうだって良いだろ。……それに、俺も同じだ」
「え?」
「そもそも冬木さんと一緒に帰るのが嫌だったら、帰るかなんて言わないって事」
「……そ、う」
次の瞬間にはほんのりと頬を赤く染めながら俯いて返事する冬木さんに対し、それを直視した晴人も思わず彼女から視線を逸らした。
気恥ずかしくなってしまい途中で直接的な言い方は避けてしまったが、先程晴人が言った同じだという言葉は紛うことなき本心である。
言い方を誤魔化したことへの罪悪感はちょっぴりと残るが、晴人がこのような思いを抱くようになったのは、ここ最近の高校生活と看病の中で冬木さんの誠実な人柄や優しさに触れたからに違いない。
「あー、じゃあ、今度こそ帰るか」
「…………」
こくん、と冬木さんが小さく頷くのを見届けると、頬を掻いた晴人は帰宅する為に先を行くべく外へ歩き出した。
「そういえば、今日の体育凄かったな」
校門の外へ足を踏み出した晴人は、通学路として利用している道を暫く歩くと周囲に誰もいないタイミングを見計らって冬木さんに声を掛ける。
コツコツと背後の小さな足音に耳を澄ませつつ上を見上げると、うっすらと茜色の夕焼けが空を染めていた。
「凄かったって、何が?」
「いやバドミントンの話。冬木さん一度もシャトルを落とさなかったし、得点も大差で引き離して勝ったろ?」
「風宮くんも見てたのね。……ありがとう。でもあれはペアの那月さんが一生懸命頑張ってくれた結果よ」
自らの運動神経を誇っても良いのに、なんともまぁ謙虚な白雪姫である。
これまでを通じて彼女が自分の美貌と実力などをひけらかすような性格ではないのは分かりきっているので、当然と言えば当然の返事なのだが。
「風宮くんも、シュートを決めてたわね」
「まぐれだけどな」
「それでも点数を入れた事実は変わらないし、その割にはフォームがしっかりしていたわ。バスケ、やってたの?」
「いいや、中学の頃バスケやってた奴にコツを教えて貰っただけだ」
基本中の基本であるレイアップシュート。走りながらリングへジャンプしつつ、片手で持ったボールを下から持ち上げて放り投げるようにリングへ入れるシュートである。
中学の頃、体育で同じチームになったバスケ部のクラスメイトに軽く教えて貰ったが、極論このシュートとドリブルさえ覚えていれば何とかなる、と朗らかに笑いながらそう言っていた。
しかし、教えて貰ったとはいえ何度も得点を入れられるほど実際にバスケが上達する訳ではない。なので今回晴人は気楽にバスケをしようと思っていたが、たまたまリング近くで渉からボールを受け取ったのでレイアップシュートをしたら奇跡的に入ったという具合だ。
「そうなの」
「あぁ」
「かっこ良かったわ」
「……そ、うか」
不意に紡がれた冬木さんの称賛の言葉。一定の距離が保たれたまま晴人の後ろを歩く彼女だったが、この時ばかりは隣にいなくて良かったと晴人は心底思う。
きっと、彼女に見せられない程顔を真っ赤に染めているだろうから。
「……ありがとうな」
「……どういたしまして」
たった一言の言葉に心を乱されながらも、その戸惑いを隠すように片手で口元を押さえたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます