第13話 行方
その日のユリエも、浮き足立っていたと思う。
『ゴーレム奥義書』の解読がうまくいき、とうとうホムシミュラ・ゴーレム創りのコツを掴めたのだ。
やり方が分かった気がする。
多分、試したらうまくいく。
今なら失敗することも無い。
奇妙な生き物が生まれる心配も恐らくなくなった。
早速、明日の晩にでも試してみようか。
──そう思って、翌日、わくわくしながら仕事から帰ると、……家がめちゃくちゃに荒らされていた。
恐ろしさにユリエは息を呑んだ。
本や書類や衣服が散らばり、椅子は倒れ、そこら中に埃が舞っている。絨毯は皺が寄っていて、床には傷が入っていて、窓ガラスにはひびが入っていた。
明らかに異常事態だ。一体何が。
ユリエは慌ててフェドルの姿を探した。フェドルは──台所に立っていた。ただし、国家保安部の男たちに拘束された状態で。
「フェドル!?」
その手にかけられた手錠が、無情に冷たい光を放つ。その意味が一瞬遅れて、ユリエの頭に入ってきた。
「嘘」
フェドルがこんな扱いを受けるなんておかしい。絶対におかしい。この人は良い人だ。無愛想だけれど優しい人だ。ユリエを引き取ってくれた。フェドルに酷い扱いをするなんて許せない。許されない。絶対に駄目だ。フェドルに手錠なんて野蛮なものは似合わない。
ユリエは勇気を振り絞って、国家保安部の男たちに抗議した。
「やめてください! フェドルは何も悪くありません! これは何かの間違いです!」
一人の男がジロリとユリエを睨んだ。そして機械的な口調で説明を吐き出した。
「貴様らの提供する衣服の数に誤りがあった。国の管轄下でこのような事態が発生するのはありえない。あるとすればそれは反逆者が邪魔をしたからだ。よって工場主のフェドル・ホルプを反逆者であるとみなし、拘束する」
「何言ってるの!? それは違う! 全然違います! もっとちゃんと調べてください!!」
「ユリエ」
フェドルはぶっきらぼうに言った。
「反論はやめなさい」
「でも、フェドルは絶対に悪くないのに!」
「これなら俺一人の犠牲でことが済む。分かるな」
「……!」
ユリエは呆然として、目の前でフェドルが連れていかれるのを、ただ見ているしかなかった。
「待ってください……行かないで、フェドル」
「俺は大丈夫だから、自分のことだけを考えなさい」
「そんな。私は……」
「悪いな」
その言葉を最後に、フェドルは車に乗せられてしまった。ブーンとエンジン音を響かせて走り去って以降、ユリエはフェドルの行方を知らない。
どこにいるのか、無事でいるのか、再び会うことは叶うのか。何も分からない。
生きているのかどうかさえ分からない。
ユリエの世界から、フェドルは忽然と姿を消してしまったのだ。
本当にあっという間の出来事だった。
ユリエはあまりのショックに、泣きながら吐いた。
両親を失った時の感情も鮮明に思い出してしまって、一層気分が悪くなった。
ユリエを守る人が、どんどんいなくなっていく。それがユリエには耐えられない。どれほど泣いても足りない。心の中の空虚な穴が塞がってくれない。
可哀想なフェドル。今頃どんな目に遭っているのだろう。どうか生きていて欲しい。元気でいて欲しい。健やかでいて欲しい。
そう願いながら、ユリエは夜通し泣いていた。
さて、こうしてフェドルは反逆者の烙印を押された。
それと同時に、フェドルの養子のユリエに対しても、風当たりは強くなった。
工場ではやたらめったら仕事の量が増えたし、理不尽なことでギャアギャア怒られる回数もうんと増えたし、あからさまないじめも横行した。
ユリエは目に見えて憔悴してきた。目の下の隈はいよいよ無視できないほどに濃くなり、発言内容もあやふやで、歩き方もふらふらしていた。
ただでさえ恩人を目の前で連れて行かれたのに、仕事でまで人間関係に悩まされる日々は、非常につらかったのだ。
他にも次々と不調が出始めた。
食欲がなくなった。睡眠が浅くなった。不安や絶望に襲われてうずくまることが増えた。元々無口だったが、更に喋らなくなった。表情の変化にも乏しくなった。
そんなユリエを心配してくれた一人の同僚が、転職先を紹介してくれた。
それは今の工場と同じ系列の縫製工場であるために、人事には融通を利かせることができるのだという。
その工場は、プラゴにあった。
ユリエの生まれた町だ。
「プラゴ……」
ユリエは両親の無残な死に様を思い出してしまい、身震いした。
「プラゴなのね……」
「うん。君はブラツァから離れた方がいい」
同僚は言った。
「ここじゃあ町のみんなから責められて、君はそのうち参っちまうよ」
「……そうね」
「一度しっかりと休むがいい。それから新しい環境に入れば、体調もきっと良くなるさ」
「……」
正直なところユリエは、自分の体調などどうでもよかった。フェドルの安否だけが気がかりだった。だがそんな機密情報は、どこへ行っても手に入らない。どんなに足掻いても無駄だ。フェドルは消えた。消された。それでもうおしまいなのだ。どんなに嘆こうが情報は得られない。
「うん、プラゴに行きます」
ユリエは言った。
少しでも人間関係に煩わされずに済むのなら、その方が幾らかましに違いなかった。新しい環境に行けば気分も少しは晴れるかも知れない。少しは。
「分かった。……元気を出しておくれよ」
「どうも……」
この親切な同僚は、必要な書類を揃えてユリエのもとに持ってきてくれた。そして、ユリエがブラツァを発つまでの間、頻繁に慰めの言葉をかけてくれた。
お陰でユリエは、いくらか体力を回復した状態で、引っ越し作業を行うことができた。
(……さようなら、ブラツァ)
かつてはユリエを迎え入れてくれた町。
ユリエの育った町。
ダヌベ川のきらめきが美しい、チェスコスロヴィオ第二の都市。
今はユリエを排斥する町。
鉄道に乗っている間も、ユリエは『ゴーレム奥義書』をしっかりカバンに入れて持っていた。
プラゴに着いたら、今度こそゴーレムを作ろうと思っていた。
テレサもマレクもフェドルもいない、何にもなくなったユリエには、紛い物でも何でもいいから、寂しさを紛らわしてくれる存在が必要だった。
本の内容を頭の中で何度も反芻する。
魔術はうまく使えそうだという確信があった。それは感覚的なもので、理屈でうまく説明はできないのだけれど、きっと成功するとユリエは信じていた。魔術師の勘というやつだ。
どんな子が生まれるだろうか。どんな子だっていい、この心が何度も受けた傷の痕を、癒やしてくれる存在であれば、それでいい。
もううんざりだった。親しい人を失うのはもう御免だ。静かに幸せに過ごせたら、それが一番いいのだ。
ホムシミュラ・ゴーレムならば、そばに置けるし、滅多なことでは壊れないし、国家保安部に連れて行かれる心配もない。ユリエの願いを叶えてくれる、それどころかユリエの命令に忠実に従ってくれる、とても便利な玩具だ。
……早く創りたい。この喪失感を早く忘れてしまいたいから。そうでなければ、心の傷からいつまでもジクジクと血が滲み出て、一向に止まってくれなくなる。
(鉄道よ、速く速く速く。もっともっともっと。悲しみが追いつけないくらいの速さで、走って連れて行って欲しい)
そしてユリエはおよそ二十年ぶりに、自身の生まれた地、プラゴに舞い戻ってきた。
降り立った駅は記憶にある姿からがらりと変わってしまっていて、ユリエは目的の場所に着くのに多少苦労した。
何とか新しい住居に入って、最低限の荷解きをした後、彼女が真っ先に行なったことは、もちろん、ホムシミュラ・ゴーレムを創ることだった。
紙切れに「真実」の文字を書いた。郊外の森で土をたっぷり採取した。ブルタベ川からバケツいっぱいの水を汲んできた。
それらの材料を、建物の裏に運び込む。
そして、儀式を始めた。
こうして、ゾラが生まれた。
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