第3話 親戚


「母さーん!」


 ユリエはその小さな足で、今まさにMTO軍に蹂躙されようとしている町の中へと、突っ込んでいった。

 抗議活動のために町に出ている人は他にもいた。ユリエを見かけた人々は「危ない!」と声を上げた。

 構わずに戦車の前に飛び出ようとするユリエだったが、勇気ある一人の学生が走り出てきて、すんでのところでユリエを抱きとめた。そのままユリエを小脇に抱えて、安全そうな角の方まで連れて行くと、険しい顔で叱りつけた。


「こら! 何やってる。親御さんのところへ戻りなさい!」

「だって母さんが……父さんも……」


 学生ははっと深刻そうな表情をした。


「……君のご両親は出かけているのかい?」


 ユリエは涙ながらに頷いた。学生は、しばし考えを巡らせた。


「家にいるように言われなかったのかな?」

「い、言われた……」

「それじゃあ、言いつけを守らなくちゃ駄目だ。ついていってあげるから、家まで戻ろう」

「だって母さんがどこかで、しっ、死んでる……」

「そんなことはない。きっと大丈夫だ」


 その時、パパァンと立て続けに銃声がしたので、ユリエは怯えて縮こまった。学生はユリエの頭の上にそっと手を置いた。


「俺が、君の代わりに、ご両親の無事を確認してこよう。君、名前は?」

「……ユリエ・シュタストニヤ……。母さんはテレサで、父さんはマレク」

「分かった。テレサ・シュタストニヤさんと、マレク・シュタストニーさんだね(註:チェスコスロヴィオでは男女で苗字が変化する)。必ず二人を探してあげよう。だから君は家へお帰り。ほら」


 学生が差し出した手を、ユリエは渋々握った。

 母はほぼ間違いなく無事ではないと、ユリエには分かっていた。だが、ゴーレムの存在を知らない人に対して、事情を説明する術は持ち合わせていない。

 父はもしかしたら無事かもしれないし、母の遺体だって見つかることだろう。そして、小さなユリエが飛び出して行ったところで、邪魔になるのが関の山で、できることなど限られている。


 ユリエはぼろぼろに泣きながら家まで帰った。学生にお礼を言ってさよならをした。さっきまでいた窓際まで戻ると、そこにはまだ土の塊があった。


「母さぁん……」


 涙は止めどなく溢れてきてきりがなかった。


 そして、一日がゆっくりと確実に過ぎていった。


 その日のうちにドゥーチはMTO軍に捕縛され、ソヴェティアに連れて行かれた。テレビの放送も乗っ取られてしまい、報道陣は密かに仮設基地を作って地下放送を行なっていた。それをユリエは聞くともなしに聞きながら、ひたすら両親の帰りを待ち続けた。


 夜になって、あの学生は、約束通りマレクとテレサを家まで連れてきてくれた。

 二人とも、事切れた状態だった。


「ソヴェティアの兵に撃たれたんだ。病院に運ぼうとしたんだが、二人とも手遅れだったそうだよ」


 学生は沈痛な面持ちでそう報告したが、ユリエは聞いてなどいなかった。


「うあああ! 父さん! 母さん!」


 ユリエは血だらけの両親の遺体に縋って泣き崩れた。


「帰って来るって言ったのに! うああああん!」


 心優しい学生は、その声のあまりの痛々しさに、耐えられないような気持ちになった。せめてこの子のために何かできることをしたいと思った。そこで彼は、ユリエの近所の人にことの次第を報告して、葬式などの手続きを代行してくれるよう頼んだ。

 ユリエを気の毒がった近所の人は、後片付けをみんなやってくれた。食事の面倒も見てもらえることになった。

 だからユリエは何もやることがなくて、一人で悲しみに暮れるしかなかった。


 数日後、チェスコスロヴィオとドゥーチは、ソヴェティアの圧力の前に屈した。ドゥーチは、これまでの改革を白紙に戻すという約束を結ばされ、意気消沈してプラゴに戻ってきた。

 この時までにチェスコスロヴィオ内での死者数は百を超えていたという。怪我人はもっと沢山いた。「人間らしい社会主義」を諦めないと、これ以上の犠牲を出すことになってしまう。ドゥーチとしても断腸の思いでの決断だったのだろう。


 ユリエはというと、保護者をなくして路頭に迷っていた。お葬式などの手続きを近所の大人がやってくれており、そこにはユリエの親戚たちがぞろぞろと集まっていたのだが、どの親族も、六歳の女の子を一人養うのを嫌がった。

 ユリエを誰が預かるかの会議は揉めに揉めた。ユリエはその間、話が聞こえないところで、じっと考え事をして過ごしていた。

 結局、白羽の矢が立ったのは、ユリエの遠い親戚のおじさん。厳密には、ユリエの父の母の兄の息子さん。スロヴィオ人の独身男性。彼なら工場を経営しているから、少しは金銭的な余裕があるだろうというのが決め手だった。


「私はフェドル・ホルプだ。今日から君の面倒を見ることになった」

 おじさんはぶっきらぼうに言った。歳の頃は、ユリエの父マレクより少し上であるように見受けられた。

「は、初めまして。よろしくお願いします……。私は、ユリエ・シュタストニヤです」

「ふん」


 それきりフェドルは黙っていた。ユリエは少し警戒しながら、フェドルのことを観察した。

 気難しそうだ。どことなく威圧感も感じられる。


「あの、おじさん」


 ユリエが恐る恐る話しかけると、フェドルはじろりとユリエを睨んできた。


「……フェドルでいい」

「あっ……。フェドル、フェドルはどこに住んでいるんですか?」

「ブラツァ」


 フェドルはそれだけ言った。

 ユリエは懸命に頭を捻った。そして、ブラツァというのは、スロヴィオの地にある、この国で二番目に大きな都市だということを思い出した。

 今後はユリエもそこで暮らすということだから、どんな場所なのか聞いておきたかったけれど、フェドルに話しかけるのは何となく憚られた。フェドルはまるで、静寂の邪魔をするな、とでも言いたそうな雰囲気をまとっていたのだ。だからユリエは、黙っていた。


 次の日、ユリエは近所の人に手伝ってもらって、荷造りをした。ユリエは大切な魔術書を何冊か、丁寧に段ボールの中に仕舞った。ユリエの能力ではこの難しい本はまだ読めはしないけれど、いずれ必要になるものだ。

 近所の人は、フェドルの悪口を言っていた。


「無愛想な人だよ。手伝いに来もしない」

「ちゃんと女の子の世話なんてできるのかしら?」

「不親切な人にユリエちゃんを預けるなんて、心配だわ」

「ブルジョワの工場主なんてろくなやつじゃない」


 ユリエは俯いた。心配してくれるのは嬉しいが、自分には頼れる人はそのフェドルしかいないのだ。あまり悪し様に言われると不安になる。ただでさえ、その悪口が的を射ているような気がしてならないのだから。

 ……果たしてフェドルは、小さい女の子の扱いなど、てんで分かっていない男だった。


 いよいよプラゴの町を去ることになったユリエは、一人で両親の墓前に行った。


「父さん、母さん。私はブラツァに行きます。……さようなら。ありがとう」


 それから一人で、空っぽに片付いた家まで戻った。フェドルはそこで、煙草を吸いながら待っていた。


「用は済んだか」

「はい」

「行くぞ」


 フェドルは歩き出した。

 その歩調の速いこと。

 ユリエの足では、小走りにならないととても追いつけなかった。

 フェドルはそんなことを気にも留めないで、どんどん駅へと歩いて行ってしまう。

 このままでははぐれてしまいそうだ。ユリエは必死になって、重い荷物を抱えながら、息を切らして走った。

「待って」

 とは言わなかった。ユリエは引っ込み思案な上に人見知りで、大抵のことは言わずに我慢してしまう癖があった。


 やっとの思いで駅まで着いた。プラゴ発ブラツァ行の列車に乗る。

 列車の中では運良く、二人並んで席に座ることができたのだが、二人とも終始無言だった。

 ユリエは背筋をぴんと伸ばしたまま、気まずさを噛み締めていた。やはり、フェドルに無闇に話しかけるのは気が引けていた。

 フェドルといると緊張してしまうのだ。

 きっと、急に子どもを引き取ることになって、迷惑だと思っているのだろう。だからユリエは、極力わがままを言わず、良い子でいなければならないに違いない。

 そんな生活を想像すると息が詰まった。だがきっとうまくやらなければ。良い子にしている、というのは、両親との最期の約束だったのだから。


 やがて列車は駅に到着した。そこから更にバスに乗っていくと、工場に隣接したフェドルの家に到着する。

 ユリエは、長旅の疲れに加えて、またしても懸命にフェドルを追いかけたので、もうくたくただった。

 良い子でいなければいけないから、着いたらさっさと荷物を片付けなければならない。分かっていたのに、少しだけ休むつもりでソファをお借りしてから、ユリエの意識は途切れてしまった。

 心身の疲れが限界に達し、気絶するように眠りに落ちたのだ。


 そんな小さなユリエを見て、フェドルは微かに表情を動かした。それから、ごそごそと毛布を引っ張り出してきて、熟睡しているユリエの上にそっと被せた。


「疲れたのか? ……いかんせん、子どものことは分からんな……」


 こうして、傷心の少女と不器用な男の、ちぐはぐな共同生活が始まったのだった。

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