第2話 事件


 ユリエは、チェスコスロヴィオ社会主義共和国の首都、プラゴで生まれた。

 東西冷戦の最中さなか、ソヴェティア連邦の衛星国の役割を担うこの国には、他の社会主義国と同じく、言論統制が敷かれていた。

 常に人間関係に怯え、発言に注意を払う。うっかりすると秘密警察「国家保安部」に捕まって、行方不明になってしまう。

 それ故に、プラゴの町には、いつも閉鎖的な空気が漂っていた。


 だが、この年は違った。


 新しくチェスコスロヴィオ共産党第一書記に就任したドゥーチという男が、思い切った改革を打ち出したのだ。

 その名も「人間らしい社会主義」。

 密告や盗聴、検閲などを撤廃して、人間として当たり前の権利や言論の自由を保証し、暮らしやすい社会主義国家を目指すというものだ。

 今のところ、ドゥーチの政策は概ねうまくいっている。チェスコスロヴィオ共産党の内部では、様々な揺れ動きがあったらしいが、それも憂慮するほどの事態ではなかった。


 当時まだ六歳だったユリエには、難しいことは分からなかったが、それでも町の人々が以前より活気付いていることは感じていた。みんな表情が明るく、お喋りも盛んだ。おまけに、辺りには国家保安部の人を見かけなくなった。

 ユリエの両親、テレサとマレクも、ドゥーチの政策を積極的に支持していた。二人とも何かあるたびに、いい時代になった、と口癖のように言っていた。


 そんな「人間らしい社会主義」政策が始まってから半年ほど経った、ある夏の日のこと。

 去年より格段に自由になったプラゴの町を歩きながら、ユリエはテレサの袖を引っ張って言った。


「ねえ母さん。ゴーレムをカバンの中から出してあげてよ」


 テレサは困った顔をして、買ったばかりの食糧の入った袋を抱え直した。


「だめよ。ゴーレムは人目につかないように隠しておかないと、みんなびっくりしちゃうでしょう。ホムシミュラ・ゴーレムなら別だけれどね」


 文句を言おうとしたユリエだったが、知らない単語を耳にして、出かかった言葉を引っ込めた。


「ほもしみら……って何?」

「人間そっくりの見た目をしたゴーレムのこと」

「それって、『人間らしい』?」


 ユリエは連日報道されているドゥーチの言葉を真似て言った。テレサは微笑んだ。


「そうよ」

「じゃあ母さん、それ作ってよ!」

「そうねえ。魔術師としては、一度は試してみたい気もするけれど。魔術書が無いからやり方が分からないのよねえ」

「ないの?」

「ええ、なくなってしまったの」


 テレサの話はこうだった。

 プラゴにはもう一家族、魔術師たちがいた。彼らは、ロエヴという高名な魔術師の記した、ホムシミュラ・ゴーレムに関する魔術書の写本を持っていた。だが彼らはジュード教を信仰していたため、戦争の際に迫害されて殺されてしまったのだ。彼らの財産は没収されたままで、行方は未だに分からないという。ひょっとすると本は燃やされてしまったかもしれない。


「母さんの先祖もジュード人だったけれど、何世代も前に改宗していたから、戦争では運良く無事だった。でももう、ホムシミュラ・ゴーレムは創れないわねえ」

「ふーん」


 ユリエはそれきり大人しくなった。ホムシミュラ・ゴーレムとは一体どのようなものなのか、想像するのに忙しかったのだ。

 テレサが創るゴーレムは、大きさは手のひらに載るくらいで、体は岩のように硬く、形も岩みたいにゴツゴツしている。頭も胴も手も足もあるし、喋ったり感情を表したりもできるけれど、人間とは程遠い姿をしていた。

 ユリエにとってゴーレムとはそういうものだったから、人間のような見た目のゴーレムがあるだなんて、考えたことも無かった。


(どんなゴーレムなんだろう。一緒に歩いたら、どんな気持ちがするだろう)


 ユリエは一人で考えごとをするのが好きで、その日は寝る時までゴーレムのことを考えていた。

 自分も、大きくなって、魔術書が読めるようになったら、ゴーレムを作れる。自分の創ったゴーレムに、色んなことを命令して、一緒に遊んでもらうのが、ユリエの夢だった。

 近所の子どもたちは、ユリエに意地悪なことばかりするけれど、ゴーレムならそんなことはしないだろう。ゴーレムは術者に忠実な生き物なのだ。

 絶対に術者のことを裏切らないゴーレム。それがもし人間の姿をしていたら、まるで仲良しのお友達ができたみたいに見えるだろうか。それとも、やっぱりゴーレムはゴーレムだから、本当のお友達にはなれないのだろうか。

 是非とも試したいところだ。


(早く母さんみたいに立派な魔術師になって、ゴーレムの研究をしたい)

 ユリエはそう思いながら、眠る準備をした。

「おやすみなさい、母さん、父さん」

 両親はにこにこした。

「ああ、おやすみ」

「おやすみなさい」


 ──その夜に、事件は起きた。


 ソヴェティア社会主義共和国連邦の率いる軍事機構、マスクヴァル条約機構(MTO)の軍が、チェスコスロヴィオの国境を越えて攻め込んできたのだ。


 これには訳があった。

 ドゥーチの「人間らしい社会主義」政策は、ソヴェティアによる東側諸国の主導性を損ねるものだったし、その影響が他の東側諸国まで及んだ場合には政権を揺るがす事態になりかねなかった。だから、チェスコスロヴィオに対して強制的に制裁を加えて、この改革の動きを止めさせる必要があったのだ。多くの東側諸国の軍がソヴェティアの指揮のもとでチェスコスロヴィオ侵略に加担した。それは突発的な攻撃にも見えたが、実はソヴェティアによって周到に計画された作戦だった。


 これに対する、チェスコスロヴィオ側からの抵抗は、無かった。

 チェスコスロヴィオ軍は東側諸国の中でも特に強力だった。にも関わらず、MTOの戦車による陸路での侵攻が、阻害されることは無かったのだ。

 それは、チェスコスロヴィオがあくまで、力ではなく話し合いによる解決を望んでいたせいもあるし、下手に抵抗することで反撃され多大な被害が出ることを恐れていたせいもあった。

 とにかく、国境は容易く突破された。

 それと同時に空路も速やかに押さえられた。各地の空港が占拠され、MTO軍からの人員や戦車が次々と送り込まれてきた。チェスコスロヴィオの主要都市はあっという間にMTO軍の支配下に置かれた。

 内陸国であるチェスコスロヴィオの占領はこれにて完了した。


 一夜明け、プラゴの町の様子は一変していた。


 戦車が行き交う音が低く響き、MTO兵の脅し文句や市民の抗議の声があちこちで上がっている。

 テレビは、「絶対に抵抗はしないように」と繰り返し訴えるドゥーチ氏の姿を、切々と報道していた。


「嘘でしょ」

 テレサは青い顔で窓の外を窺った。

「こんなのあんまりだわ。私たちは何も、社会主義や共産党一党独裁をやめるだなんて、言ってはいないのに!」


 ユリエは、ただならぬ外の様子にひたすら怯えていた。テレサとマレクは、朝食を食べることもせず、深刻な顔で話し合っている。

 やがて、テレサはユリエに、ゴーレムを手渡した。


「ユリエ、家にいなさい。母さんたちは外の様子を見て来るから」

 ユリエは「いやだ」と首を振った。

「行かないで。おうちにいて」

「何かあったらゴーレムを寄越しなさい。すぐに帰って来るわ」

「いやだったら!」

「これもお前のためなんだよ、ユリエ」

 マレクが諭した。

「ユリエが将来もこの国で安心して暮らすためには、父さんたちが今立ち上がらなくちゃいけないんだ。なに、暴力を振るったりはしないよ。ただ兵隊さんたちとお話をしに行くだけだ」

「いや! だったら私も行く!」

「駄目だ、ユリエ。聞き分けなさい」

「……行きましょう、あなた」

 テレサは言って、ゴーレムを見下ろした。

「ゴーレム、ユリエを決して家から出さないで」

「了解しました」


 全長およそ三十センチメートルしかないような小さなゴーレムは、そう言ってユリエの手の中から飛び降りると、ユリエの足にしっかりとしがみついた。

「やめて!」

 ユリエは叫んだが、どうにもならなかった。小さくてもゴーレムはゴーレムだ。子どもの力ではとても太刀打ちできない。


「良い子にしていなさい、ユリエ」

「無事でいるのよ」

「いやだ! 父さん、母さん! 私も連れて行ってよ!」


 ゴーレムを振り払おうと踏ん張りながら悲鳴を上げるユリエを置いて、マレクとテレサは出て行ってしまった。

 ユリエはしばらくゴーレムと格闘していたが、じきに諦めて、床にへたりこんだ。

 しくしく泣き出したユリエを、ゴーレムは緑色に光る目で気遣わしそうに見上げた。


「ユリエ、泣かないでください」

「……ひっく」

「テレサは必ず戻ってきます。それまで良い子にしていましょう」

「……うん」


 だからユリエは、窓際に立って、戦車と人々が繰り広げる喧騒を眺めながら、じっと両親の帰りを待っていた。

 ──なのに、小一時間ほど経過した頃、小さなゴーレムは何も言わずに崩れて、ただの土くれに戻ってしまった。


 ユリエは息を飲んだ。


「術が解けちゃった……!?」


 慌てて屈み込み、土の山を触る。

 中に仕込んである、呪文の書かれた紙は、無惨にも破れていた。

 間違いなく、ゴーレムは壊れた。


 何故?


 考える間も無く、外から、悲鳴と銃声が迫ってきた。


「あ……」


 ユリエは恐ろしさのあまり、一瞬凍りついた。


「母さん……」


 ──ゴーレムは術者の言葉と魔力によって形作られる。ゴーレムが壊れる時は、術者がそう命じた時か、或いは──術者が死んだ時だ。


「嘘だっ」


 ユリエは立ち上がった。

 そして、家の外へと走り出た。

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