第1話 誕生
ユリエがゾラと初めて会ったのは、半年ほど前の話だ。
会ったというより、創ったと表現する方が正しい。
ゾラは人間ではない。世にも珍しい人造人間、ゴーレム。その中でも特に珍らかな、人間の姿をしたゴーレム──
ゴーレムを創るには魔術を使う。そしてユリエは魔術師の末裔である。病を治したり天候を操ったりといった、御伽噺のようなことはできないが、ゴーレムを創ることだけはできる。
さて、独りで首都のプラゴに越してきた翌日の早朝に、ユリエは一人でこっそりホムシミュラ・ゴーレムを作ることにした。
それは造作もないことだった。材料さえあれば可能だ。一般人に見つかったりしない限り、いつどこで作業を行なっても構わない。そこでユリエは、集合住宅の中にある借りたてのアパートの裏道で、ゴーレム作りを始めた。
屋外での作業は、なかなかに寒くて厳しいものがある。
「天地の黎明、生命の奇跡、神の
ユリエは詠唱をしながら、多量の泥を捏ねた。プラゴ郊外の森の中で採取した土に、ブルタべ川の水を混ぜて作った、上質の泥だ。そうして出来上がった泥団子の中に、呪文を記した紙を埋め込んでから、形を整えていく。
かじかむ手に息を吹きかけながら、ユリエは泥を捏ね続けた。
やがて人の形を模した土人形ができあがった。
次いで、その人形に命を与える。ユリエは手を洗ってタオルで拭くと、持参した特別な魔術書『ゴーレム奥義書』のページを開いた。
これは偶然手に入れることができた年代物の本で、行方不明になっていたのをユリエがたまたま見つけたものだった。世の中には他にも魔術書が人知れず存在しているのだが、現存するものの中で、ホムシミュラ・ゴーレムの作り方が記されているのは、この『ゴーレム奥義書』ただ一つであった。
この本にある呪文と、ユリエが考案した名前とで、命の形を創る。
ユリエは本を見ながら長々と呪文を唱え、最後にこう言った。
「我、汝に命の道を示さん。我、汝を我が似姿にて
途端に、土人形がボコボコと膨らみ、変形を始めた。ユリエは固唾を飲んでその様子を見守っていた。
やがて、泥だったものはすっかりその姿を変えて、人間の少女へと変貌した。
「おはようございます、御主人様!!」
彼女はハキハキと大きな声で挨拶をした。これがゾラの第一声だった。
ユリエは驚いてのけぞり、それから慌てて、持ってきた服をゾラに被せた。ゆったりしたワンピースはゾラには大きくて、裾が地面に付いてしまう。後ほどちゃんとした衣服を買い与えねばなるまい。
それからユリエは、いくらかぼそぼそとした声で、ばつが悪そうに挨拶を返した。
「お、おはよう……」
「はい! 私を創ってくださり感謝します、御主人様!」
「御主人様はやめて……。ユリエでいいわ」
「分かりました。ありがとうございます、ユリエ!!」
「……ええ。どういたしまして。誕生おめでとう、ゾラ」
「はい!!」
ニカッと笑うその顔を、ユリエはじっと観察した。
浅黒い肌をしている。短めの黒髪は
そして表情が明るい。目をきらきらさせている。これは予想外だった。てっきりユリエは、自分のように陰気で根暗なゴーレムができあがると思っていた。だがこれでは真逆だ。
「何をしますか、ユリエ?」
ゾラが無邪気に尋ねた。
ゴーレムは術者の命令を聞いて動くもので、創ったからには術者の方に何かしら目的があるはずだった。
だがユリエにそんなものはなかった。単に、独り暮らしの寂しさを紛らわしたかっただけだ。
「何も。何となく創っただけだし……ただ一緒にいてくれれば」
「分かりました。ユリエと共に行動します」
ゾラはそれきり黙ってしまった。
ユリエが裏道を出てアパートの入り口に回り、エレベーターに乗って自室に戻るまでの間、ゾラは始終にこにこしながら、一言も発することなく後をついてきた。
部屋に帰ったら、まずは軽めの朝食を摂る。ゴーレムは食事を必要としないので、食べるのはユリエ一人だ。
ユリエは戸棚からパンを、冷蔵庫からチーズとハムを、それぞれ一切れずつ出した。いずれも、集団農場で生産された粗悪な品だが、苦労して行列に並んで手に入れたものだ。
因みにこの町の食べ物は、ユリエが昨日まで住んでいた地域でよく売られている品々よりも、やや酸味が強いのが特徴だ。ユリエにとっては、ひどく懐かしい気持ちになる味付けだった。
ゾラは、ユリエが朝食の支度をしている間も、ぴったりとついて回った。ユリエが、食べ物の載った皿をテーブルに置いて席につくと、ゾラは椅子の斜め後ろに佇んだ。
「……ゾラ」
「何ですか、ユリエ?」
「そんなに四六時中そばにいなくてもいいのよ……。向かいの椅子にでも座って頂戴」
「分かりました。ユリエの向かいの椅子に座ります」
ゾラは言葉通りにすると、パンを口に運ぶユリエのことをじっと見つめた。
ユリエは非常に落ち着かない気持ちになった。
「あの……私のことを見張ってなくていいから、何かあなたの好きなことでもしていて……」
「すみません、よく分かりません。私の好きなこととは、具体的に何ですか?」
「ああ……」
ユリエは嘆息した。
生まれたてほやほやのゴーレムに、抽象的な指示を出すのはまずかったかもしれない。
「今のは失敗だったわ。なかなかうまく行かないものね……」
ユリエが思わずそう呟くと、ゾラは申し訳なさそうな顔をした。
「すみません。私はユリエの御命令を遂行できません。私は失敗作のようです。ユリエには、私を壊して、その土で別のゴーレムを創り直すことをお勧めします」
ユリエは幾分ぎょっとしてゾラを見つめた。
「そんなことは、しないけれど……」
「何故ですか? 術者には自由にゴーレムを創り、そして壊す権利があります」
それは本当だった。術者はゴーレムの全てを握っている。
ユリエとて、用が済んだゴーレムを壊して、ただの土くれに還したことは、何度もある。
ただ、ゾラにそのことを指摘されると、何とも不気味な違和感があった。人の形をしたものを易々と壊すことは躊躇われる。
ところが彼女は、壊されることに何の疑問も恐怖も抱いていない。モノとしてこの世に生まれたのだから、生きていたいという意志や願いすら持たない。
見た目だけ精度が高くとも、中身は他のゴーレムと同じく空っぽだった。
「……あなたって思ったより、人間らしくないのね」
ユリエの言葉に、ゾラは首を傾げた。
「私はホムシミュラ・ゴーレムです」
「知ってるわ」
「お望みとあらば、より人間らしくなれるよう、努力いたします」
「ええ、そうして頂戴」
大して期待も込めずにそう言って、ユリエはパンを口に詰め込んだ。
所詮はただのお遊び。ただのモノ。玩具に家族ごっこを強いたところで、寂しさや虚しさが消える訳ではない。人間が人間を創ろうだなんて、そもそもが大それた話だったのだ。
そんなことよりも、さっさと引っ越しの片付けを進めなくては。
ユリエはコーヒーを飲み干すと、まだカーテンがかかっていない窓に歩み寄って、外を見下ろした。白み始めた空の下に、赤い屋根の家々が並んでいる。その向こうに微かに光るのは、悠然と流れるブルタベ川の
百塔の町、プラゴ。
その美しい佇まい。
幾多の苦難の歴史を辿った、由緒のある地。
まさか再びこの町に来ることになろうとは、ユリエは思っていなかった。
「さあ」
ユリエは振り返って、波打つ長い茶髪を結い直した。
「早く作業をしなくちゃ、いつまで経っても終わらないわ。ゾラ、今から指示を出すから、物を運ぶのを手伝って」
「分かりました!」
ゾラは嬉しそうに返事をし、ユリエの言う通りに、家電製品などの重い物を運び始めた。ゴーレムは力持ちなので、仕事は捗る。
「ユリエ」
大きな本棚を部屋の隅にドスンと設置してから、ゾラは尋ねた。
「今の私は、人間らしいですか?」
「……そうね」
ユリエは本を整理しながら気のない声で言って、再び窓の外を見た。
これから、新しい生活が始まる。
別に、好きで始めるのではなく、成り行きで仕方なくこうなっただけなのだが。
何にせよ、プラゴという地はユリエにとって、懐かしさと忌まわしさが同居しているような、不思議な気持ちになる場所だった。
こうしてぼんやり町を眺めていると、遥か昔の記憶が呼び覚まされる。
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