〇二


 春の温い風の中を、未来は今日もまた好きなバイクに乗り、走っている。

 彼は何の目的もない毎日から、突然充実した毎日を過ごすようになった。

 妙子との付き合いを始めた日から、充実した日々は続いていた。

 これまでの日々の生活、高校とアルバイトとの両立に加えて、新たに演劇部に入部した。

 彼に、入部のきっかけをつくったのは、北川瑞希だった。

「未来君、高校生活に何か思い出を残してみない?」

「…と、言いますと?」

「未来君、倶楽部どこにも入っていないので、どうかな?と思って」

「今のところ、どの倶楽部にも興味がなくて」

「じゃあ、一度、見学においでよ。わたしが受け持っている演劇部に」

「瑞希先生って、演劇部だったのですか?それって、面白そうですね」

「そうよ。じゃあ、君が来るのを待っているよ」

 未来は、その日のうちに、瑞希との約束通りに演劇部の見学に来た。見学した結果、理由はわからないが、入部を決意した。まるで、吸い寄せられるかのように入部したのである。彼自身が、その理由がわかるまでには少し時間がかかるようだ。

 新しく倶楽部活動を取り入れた日(つまりは演劇部に入部した今日)、自分の部屋に帰ってくると、そこには妙子が料理を作って待ってくれていた。まるで人妻が、仕事場から疲れて帰ってくる亭主を温かく待つように…。

 その時、未来は彼女から何の違和感もなかった。

 それは彼が少々(?)、鈍感だから…でも、鈍感でも彼は別の意味でおかしいと思った。

 どうして自分が帰ってくる前に妙子がここにいるのだろうか、未来は不思議でならなかった。

 いくら物事を簡単に考える彼でも、この時ばかりは納得がいかなかった。

「お前、どうやって入った?」

「だって鍵が開いてたんだもの。…悪いと思ったけどお邪魔したわ」

 ただ単に未来が出かける時に鍵を掛け忘れただけである。いかにも簡単なオチであった。

「川合君、ここのとこかなり無理してない?」

「いや、そんなことないさ。それに倶楽部にも入ったし」

「えっ?かなり無理してるわよ。学校やアルバイトだけでも充分忙しいのに、それに倶楽部まで加えるなんてどうかしてるわよ」

「暇だったからな。俺にとっては…」

「今だからそんなこと言えるのよ。これからが段々と応えてくるのよ。忙しい忙しいって」

「そんなの俺の勝手だろ」

「あたしは川合君のために言ってるのよ。そのうち学校だってヤバくなるわよ。単位とか…」

「うるさいなガキじゃあるまいし、ひょっとしたら人妻なんだろお前って」

 人妻なんだろお前って―未来はあくまで冗談のつもりでそう言っただけ。短気だから彼女の説教にイライラして思わずはずみで出た言葉なのである。うるさい口調があまりに母親に似ていた、ただそれだけのことである。が、彼の言ったその言葉にカチンと頭にきた妙子は、キッと睨みつけて手の平で彼の頬をぶつと、瞳に涙を溜めながら、無言で部屋を出て行った。

「なんだあいつは、人のこと勝手に決めつけて説教してんじゃねえよ!」

 その場に残った未来は、彼女のことを追いかけもせずに、ただ腹を立てていた。

 未来は妙子の心に傷をつけてしまったことに全く気がつかなかった。



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