第8話 午後の恐怖へようこそ


「青柳逸美から連絡があった?どういうことだ」


 俺は大声を上げた後、慌てて小声で問い質した。『監獄』に直接、ほのかが連絡して来ることはまれだった。


「スナックで話を聞いた時、名刺を渡してあったの。さすがに睡眠薬を盛ったとは言わなかったけど、話が中途だったからあらためて会いましょうって……どう思う?」


「よし、会ってくれ。俺が君をマークする」


 俺はほのかに逸美と会うよう指示すると、場所と日時を聞いた。


「明日の午後三時に、自宅マンションに来てほしいそうよ」


「自宅だって?主婦が探偵をかい。……ふむ、興味深いな」


「女性だってことで警戒を緩めてくれたのかもね。親しくなったら『コーディネイター』や『顔なし女』のことも聞き出せるかもしれないわ」


「彼女に心当たりがあればな。まだ『標的』だと決まったわけじゃない」


「でもビンゴなら悲劇を食い止めることができるわ。行ってみる」


「焦らない方がいい。警戒されて行方をくらまされたりしたら、努力が水の泡だ」


「気をつけるわ。当日の警護、よろしくね」


「そいつは任せておけ」


 通話を終えた俺は、逆に胸騒ぎめいた物を感じていた。どうも話がうまく行きすぎる。


                 ※


 青柳逸美の住居は、低層だが瀟洒で小奇麗な物件だった。俺は逸美の部屋の窓を確認すると、斜向かいの路肩に車を停めた。やがて、シンプルな装いに身を包んだほのかが通りをやって来るのが見え、俺は「頼むぜ相棒」と運転席で呟いた。


 ほのかは俺の車を横目で一瞥すると、そのまま逸美のマンションへと姿を消した。俺は昼間に招待するくらいだから、危険はないだろうと高をくくりながら張り込みを始めた。


 玄関前の風景に変化が現れたのは、張り込みを開始してから三十分後のことだった。


 いきなり窓のカーテンが閉められ、それからほどなくエントランスから不審な細身の女が現れたのだ。女は往来に出たところで立ち止まり、顔をわずかに動かした。女の風貌を見た瞬間、俺は思わず声を上げそうになった。


 女の顔には目が一つしかなく、あとは真っ白な『顔なし』だったのだ。


 ――なぜ連続殺人鬼がここに?


 俺は混乱する思考を宥めると、カーテンの閉まった窓を見上げた。


 ――青柳逸美はどこに行った?まだほのかと一緒に部屋にいるのか?


 俺は意を決すると、車から飛びだしてマンションへと向かった。幸い、セキュリティは甘く、玄関から逸美の部屋までは難なく行き着くことができた。


 まさか監禁されているんじゃないだろうな、そう思いつつドアの取っ手に手をかけると、驚いたことに施錠がなされておらず、俺は簡単に中に入ることができた。


「なんだこれは……」


 俺はリビングのソファーにもたれるようにして意識を失っているほのかに駆け寄ると、肩を揺さぶった。微かに意識があるらしく、ほのかは俺の呼びかけにうっすらと目を開くと「吸血鬼」……と呻いた。


「吸血鬼?」


 俺はほのかの首筋を見て、はっとした。フォークの先で突かれた程度の小さな穴が二つあり、うっすら血が滲んでいたのだった。


「どうしたんだこれは。まさか吸血鬼に噛みつかれたなんて言いだすんじゃないだろうな」


「わからない……逸美さんはいなくて、おかしいなと思ったら突然『顔なし女』が現れて羽交い絞めにされたの。首に痛みを感じた途端、意識が薄れて……」


「一体何が目的なんだ。脅しにしてもでたらめすぎる……とにかくいったん、出よう」


 俺はほのかを抱き起こすと、歩けるようになるのを待って部屋を出た。俺は捜査を中断して車でほのかを病院へ運ぶと、一人で逸美のマンションに引き返した。


 ――ふざけた真似をしてくれる。これじゃあ誰が標的だかわかったもんじゃない。


 俺が車内で憤っていると、やがてほのかから電話があった。


「首の傷は、特に何でもないみたい。一応、血液検査はしてもらってるけど、体調にはちょっとだるい以外、変わったところはないわ」


「そうか。でも一応、大事をとって今日は帰宅してくれ。俺はもう少し逸美の張り込みを続けてみる」


「そう……気をつけてね」


 ほのかとの通話を終え、車内に差し込む日差しがやや陰り始めたころ、マンションの前に逸美が姿を現した。俺は車を降りると、身を隠すことなく逸美に近づいていった。


「すみません、青柳逸美さんですね?」


 突然、見知らぬ男に声をかけられても、逸美は一向に動じる風もなく「はい」と言った。


「私の助手のことでちょっとお話をうかがいたいんですが。……よろしいでしょうか」


 俺が携帯の画面に映ったほのかの画像を見せると、逸美は「わかりました」と応じた。


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