第10話 見送りと帰宅

 それから後は、特に村のことも過去の話も話題に上がらなかった。


 それは事の本質に蓋をしているようにも思えたけど、夕方から今まで目まぐるしい時間を過ごした身としては、正直言ってありがたい。


 色んな事が起きすぎて、普段極力低刺激な生活を心がけている精神には、少々負荷がかかりすぎていたから。


 ルイボスティーを一杯お代わりして、『白いバルーン』というお菓子を一つだけ口に入れた。ふわっと溶ける白い煎餅の間に、ミルククリームの入ったやつ。


 お互いに再開できたこと、知り合えたことを喜び合い、三人と連絡先を交換した後。お茶とお茶菓子のお礼を言って部屋を後にした。


 ミキヒロさんが「家まで送っていこうか」と提案してくださったけど、僕は「今はカスミさんと一緒にいてあげて下さい」と、頑なに断った。


 言ったことはもちろん本心ではあるが、僕自身誰かに何かしてもらうことに抵抗がある。しかもそれが今後も付き合っていく関係にある相手の保護者となれば、序盤から距離感を間違えるわけには行かないと思ったからだ。


「わざわざ下まで見送らなくてよかったのに。……ありがとう」


「こんな夜遅くまで付き合わせといて送迎も断られたら、せめてこのくらいはさせてよ。──信彦くん」


 唐突に下の名前を呼ばれ、思わず胸がドキリとした。


「家についたら無事着いたってこと、メールしてね」


「……うん、分かった」


 ガラケーを入れた制服のポケットへそっと手を差し込むと、指先にプラスチックの硬い感触が当たる。


 「そうだ」と言って、僕はふと思いついたことを口にした。


「今週の土曜日、またあの喫茶店へ行くのはどうだろう。次はランチタイムに。──あまり知られてないけどあの店、ランチ限定のオムライスが美味しいんだ。デミグラスソースかかったやつ」


「あの小さなお店、そんな洒落たメニュー出してるの?」


「意外だよね」


 そんな些細なことで笑いあっていると、呼んでおいたタクシーがエントランス前に停車した。


「……じゃあ、また後でメールするよ」


「うん。気をつけて」


 ハザードランプに急かされるように乗り込み、行き先を伝えて間もなく、景色がゆっくりと動き出す。

 僕達は互いの姿が見えなくなるまで、窓越しに手を振り合っていた。


─────────


 家に到着して、僕はいつも通り自分用の鍵で玄関を開けた。

 住宅街の中ほどに建つ、特に変哲もない黒い外壁の一軒家。


 鍵を挿して回す。いつもならば『ガチャリ』と言う手応えがあるのに、今日の鍵穴はすんなりと回った。

 ──まさか。


 腕時計を見ると、まだ時刻は九時十九前。まだ親が帰ってくるには早い時間のはずだった。


「……ただいま」


 玄関に入ると、既にリビングの明かりが点いている。遮光カーテンで気づかなかったが、揃えられたパンプスを見るに、帰っているのは母らしかった。


「おかえり。どこ、行ってたの」

 リビングのドア越しに声がした。表情は見えないが、こころなしか怒っているように聞こえなくもない。

 

 ──いつもなら家にいない時間帯なのに、どうして今日に限って。


 僕は輪郭の見えない苛立ちを覚えながら、どう答えたものか迷った。今日あったことを母に話すのは、色んな意味でハードルが高い。


 適当に誤魔化すべきだろう。……そう考えていた矢先。


「チョコ、食べる?」


「……へ?」


 足音が近づいてきて、中央にりガラスの嵌ったドアが目の前で開いた。


「丁度通りすがったパティスリーで、美味しそうだったから買ってみたの。私は肌荒れとか心配だから、明日食べるけど、信彦は男の子だし。大丈夫よね」


 そう言って手渡されたのは、シンプルな白い小皿に乗せられた黒い三角形。……十中八九、チョコレートケーキ。


「……普段こういうの買わないのに、急にどうしたの」


「別に? なんか気になっただけ」


 それだけ言うと、母はまたリビングへ戻っていった。

 外出先について追求されなかったのはこれ幸いと、僕も早足で二階の自室へ入る。


 ──グー、ギュルルル。


 部屋に入って荷物を下ろした途端、胃袋の辺りからものすごい音がした。


「……ケーキはデザートにしよう」


 制服から部屋着に着替えた僕は、手洗いと晩御飯の準備のため、再び一階へと舞い戻──ろうとしたが、一旦足を止めた。


「あ、そうそう」


 思い出して制服のポケットからガラケーを取ると、メール作成画面を開く。


 何を打っていいか分からず、とりあえず一言だけ。


『さっき帰った。』


 送信して間もなく、メールの着信通知が来た。


『今日はありがとう。ゆっくり休んでください。おやすみなさい』


 最後に『おやすみなさい』と送り、僕は今度こそ、腹を満たす旅路へ出かけるのだった。

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