第9話 カスミさんの保護者(2)

 言ってから、『あの村』とぼかしたことで変な空気になるんじゃないか、と懸念したが、それは杞憂に終わった。


「えぇ、カスミちゃんから話は聞いているわ。笹井……信彦くん。あなたがいてくれたお陰で、短い間だったけどとても楽しかったって。──本当に、ありがとう」


「ぼくからも、お礼を言わせてほしい。カスミさんはいつも言っていたから。『あの男の子との楽しい記憶がなければ、私は今まで希望を持つことはできなかった』って」


 たまき夫妻に深々と頭を下げられ、僕はどう反応していいか分からなかった。

 ちらりと隣を見る。カスミさんはまだ湯気の立つマグカップを両手に持ちながら、うつむき加減で場を見守っていた。


「……一つ、訊きたいことがあるんです」


 幼い頃に交流があったとは言え、あまりにプライベートなことを尋ねるのは躊躇いがある。

 それでもこの疑問を始めとしてカスミさんを追いかけたのだから、これは今後の僕にとっても重要なことのはずだ。


「どうやってカスミさんを……あの村。双撫ふたなで村から連れ出したんですか」


 束の間の沈黙。破ったのはやはり、コズエさんだった。


「その前に一つ、訊いても良い? ──ヒナトくんはどうしたの」


「……さっき、お別れしてきた。コズエさんは特に、影響受けるかと思って。それと──家の中だと狭くて、思い切り遊べないから」


 カスミさんが淡々と、少しだけ申し訳無さそうに答える。

 

 『影響を受ける』という言葉が少し引っかかったが、その言葉に対してコズエさんは「そっか。……気を遣ってくれて、ありがとう」と応え、再び僕の方を向く。 


 平気なふりをしているが、夫妻はヒナトと既に知り合いだったのかもしれない。こちらへ向いた視線が、何だか寂しそうに思えた。


「私達はね、ヒナトくんのお陰で出会えたのよ」

 その当時を思い出すように、コズエさんが微笑みながら話を続ける。


「私達夫婦には、ずっと子供ができなかった。どちらが原因というわけでもないんだけど、そのことですごく悩んでいた時期があったの。もう諦めようかって、暗い気持ちでいた時……声が聞こえた」

 

『ボクの妹を……まだ幼い妹を、助けてくれ』


「そんなメッセージと一緒に、土地のイメージ……山のふもとにある小さな村の景色が見えた。不思議だけどそれだけのことで、何となくの場所が分かったの」


 僕はヒナトと別れる少し前、頭に触れた手から記憶を流し込まれたことを思い出した。

 あれと似たような方法で、ヒナトはコズエさんに助けを求めたのかもしれない。


「……ぼくは妻からその話を聞いた時、彼女の言うことをすぐには信じられませんでした。でも昔から、コズエさんはぼくには見えないような──木々の声や、誰のものかも分からない想いを受信してしまうことがあって。ぼくとしても、子供を望む人間が子供を見捨てることはできないなって。それで、行動に移したんです」


「……村の人間は、どうやって説得したんですか」


 投げられた問いに、夫妻の顔へかげが落ちる。


「『そいつは孤児で、何より呪われた兄の妹だ、好きにしろ』。……そう、聞こえたわね」


 答えたのはカスミさんだった。平然と、あたかも他人事のように言うその口調は、過去のことだと割り切っているのか、それとも平気なふりをしているのか判別がつかない。


 「でも」と、彼女は続ける。


「そのお陰で、私は環夫妻に。そして偶然だけど笹井くんにも再開できた。これって……すごく、奇跡的なことじゃない」


 その口ぶりは強がりでも虚勢でもなく、本心からの言葉に聞こえた。


「もちろんこれからもまた、一緒にいてくれるんでしょ?」


「──うん」


 こちらを見つめる真っ直ぐな視線。僕はカスミさんに、躊躇ためらいなくそう、はっきり頷いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る