第8話 カスミさんの保護者(1)
駅から数十分歩いた先にある住宅街。僕たちはその一角にある高いマンションの、大理石が敷き詰められたエントランスへ足を踏み入れた。
キーロックの自動ドアを抜け、エレベーターへ入るとカスミさんが七階のボタンを押す。
背後に鏡の設置された箱の中は、白を基調として、とてもシンプルな作りだ。
目的の階へ到着し、五番目のドアの前でカスミさんが足を止めた。
「……ただいま、帰りました」
インターフォンを押して話しかけると、すぐに返事が帰ってくる。
『カスミちゃん!? ……あぁ、良かった』
スピーカー越しに聞こえてくる声からは、心配と安堵の色が伺えた。
間もなくドアが開き、出てきたのは人の良さそうな、茶色がかった長髪の女性だった。
肩下まで伸ばした癖っ毛を緩い三編みにして、左肩から前へ掛けている。ライトブラウンのカーディガンは、彼女の持つ柔らかな雰囲気と調和が取れているように思えた。
「カスミちゃん! ……無事、帰ってきてくれてよかった」
次に出てきたのは長身の男性。彼もカスミさんを心配していたのだろう。
紺のセーターに、下はベージュのパンツ姿。厚手の上着を着ているところを見るに、あと少し帰りが遅かったら、周辺を探しに出るつもりだったのかもしれない。
一重の瞳は涼しげだが、その奥に宿る光は優しそうだった。
彼の頭髪も、先の女性ほどではないが茶髪に近い。髪が傷んでない辺り、二人共生来そういう体質なのかもしれない。
夫婦なのだろう。左手の薬指に二人共、似たデザインの銀色の指輪が見えた。
「帰りが遅くなって……ごめんなさい」
カスミさんは出てきた二人に対し、素直に謝った。
「いいのよ、あなたが無事だったのなら。……あら、彼は?」
そういって、彼女の横にいる男子高校生の存在に気付いた女性が、こちらに視線を向ける。
僕は何と自己紹介するべきか考えながら、とりあえず軽く会釈をすると、カスミさんが代弁してくれた。
「彼はあの……例の『グリコの男の子』です。私をここまで、送ってきてくれました」
横で聞いていた僕は咄嗟に意味がわからなかったが、保護者二人はすぐに合点がいったらしい。「あぁ……やっと、会えたのね」だの「まさかそんなことがあるとは」と、やや驚き成分強めの感嘆を漏らしている。
「まあまあ、ひとまず二人共、うちに入りなさい。寒さで顔が真っ赤になってる」
男性がドアを大きく開けて、招き入れるようにして言う。せっかくなので、お言葉に甘えることにした。
「それでは……お邪魔します」
室内へ足を踏み入れると、どこか懐かしい匂いがした。
廊下の両側に一つずつ部屋があり、案内されたのは一番奥の木製のドア。ここが応接間兼リビングらしい。
椅子や食卓など、家具は基本木製のもので揃えられていた。遮光カーテンも若葉を彷彿とさせる、濃淡のある深緑色。部屋なのにまるで、森の中にいるような錯覚さえ覚える。
ふと部屋の隅の……背の低い、これまた木製の収納タンスの上。玄関で感じた、懐かしいような匂いの原因が分かった。
丸いプラスチックの装置が、シューシューと水蒸気を上げている。たまに通りすがる雑貨屋の店頭に並べてあるから、商品名は頭に残っていた。
「アロマディフューザー、ですか」
「えぇ、よく知ってるわね。お家でも使っていらっしゃるの?」
「いいえ、うちは──」
『無駄なものは買わない主義なので』とは、言えなかった。
別に無駄だと思っているわけではない。ただ、自分の親は香りなどで安らぐような性質を持ち合わせていない。きっとそんな話をしたところで、興味なさげに適当な相槌を打たれるだけだ。
「うちには、無いですね」
「そうなのね。私、匂いに敏感だから。何か好きな匂いで部屋を満たしていないと、落ち着かないのよ」
促されるままに椅子に着くと、より部屋の匂いが濃くなった。匂いの根源は、あれで間違いないだろう。
「飲み物は何が良いかしら。ちょっと時間も遅めだから、ルイボスティーなんてどう?」
言われてふと壁時計を見ると、時刻は既に夜の八時半を回っていた。
両親の仕事が終わるのが大体、早くても九時半。ここから自宅まではだいたい車で二十分前後だろうから、タクシーでも呼べば間に合うだろう。
「僕は頂けるのなら何でも」
少し待つと、机の上に四人分のマグカップが揃った。中身は皆同じ色をしている。
「……いただきます」
一口飲むと、冷えた体の中に熱い液体が流れ込んできた。芯からぽかぽかと温まっていく。
「じゃあ、まずは自己紹介ね。私は
「ミキヒロです、よろしく」
丁寧なお辞儀をお辞儀で返し、こちらも名を名乗る。
「笹井信彦です。高校二年生。……あの村ではよく、カスミさんと遊んでいました」
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