第7話 さよならのグリコ
『──グーリーコ!』
カスミさんの声にしては、少し高く幼くなった口調。……ヒナトの掛け声で始まったこのゲームは、ついに終盤戦に差し掛かろうとしていた。
幼い頃のカスミさん相手の時は大体僕が勝っていたけど、どうも今回は一筋縄では行かない様子。
本当に五歳児なのかと思うほど、ヒナトは頭が切れた。
じゃんけんみたいな読み合いは比較的得意だと思っていたが、それでも半々の割合で出し抜かれる。……正直、悔しい。
『はーい、またボクの勝ち! 笹井クン意外とじゃんけん弱いね。それとも……ボクが五歳で死んだから、手加減してくれてる?』
「……その冗談、笑えないから」
『アハハ、ゴメンゴメン』
〈己の死を何とも無いことのように言う〉という点においてはぶっ飛んでいる彼だが、無邪気に笑うその表情は心底楽しそうで、まるで本当に子供と遊んでいるようだった。
『グーリーコッ!』
僕がグーでヒナトはチョキ。三歩大股に進む。
『おいおい、ボク相手だからって性急だなぁ。カスミと遊んでた時は蟻の一歩かと思うくらいに小さかったのに』
「……あの頃から、見てたのか」
『もちろん。大きくなったねぇ、笹井クン?』
ヒナトの雰囲気が大人びて見える理由がわかった。彼はカスミの中でカスミと同じ時間を過ごし、彼女の目で様々なものを見てきている。
加えて村の外の人間、人ならざるもの。その他凡人には知覚不能な情報を彼は取り込むことができるのだ。
敵わない。そう、笹井は歯噛みした。そして、同時に思う。──負けるわけにはいかない。
間違いなく、ヒナトにとって最期の時間はこの勝負だ。だからせめて本気で楽しませて、悔いなく逝かせてやりたい。そう、思ったのだ。
「……僕は次、チョキを出す」
『読み合い勝負か、楽しそうだ。でも……ソろそロ、ボクの限カイが近い。こちらも勝負を決めさせテもらう!』
ヒナトの声の所々に、ダブるような雑音が混じり始める。一瞬表情を曇らせたのも束の間、僕の
『じゃあボクは、グーを出すことにする。……せーの』
「「グーリーコ!!」」
ゴール地点である道の終わりまで、二人共全力の大股で残り十歩足らず。多少体格に差はあれど、カスミさんの方が身体能力は高いので一歩で進む距離はほぼ同じだった。
僕がパーで一度勝ち、その後チョキを出したヒナトに追いつかれる。──次に勝ったほうが、勝者で間違いない。
『『グーリーコッ!!』』
グーとグー、あいこ。
パーとパー、あいこ。
再びグーとグーで……これまで殆ど無かったあいこが、立て続けに起こる。
しかし
『悪いな、笹井クン』
そう言ってヒナトは、カスミさんの柔らかな黒髪をなびかせながら、道の終わりに置かれた石製の置物に手を触れる。
「くっっそぉー!!」
制服が汚れるのも構わず、地面に膝をついて砂利を殴りつけた。そのくらいの衝動──敗北による悔しさが、途端に僕の全身を埋めつくす。
カスミさんの兄に、彼女の側にいることを認めてもらえないんじゃないか。……それが怖かった。もちろん全力でやった敗北感、というのもある。
常に争い事を忌み嫌ってきた僕にとって、本気の勝負事なんて。ましてやそれでここまで悔しがるなんてことは、今までに起こり得ないことだった。
『はぁー、タノしかったッ!!』
カスミさんの体で大きく伸びをして、ヒナトが言う。
『ココまでハラハラしたの、ハジめてだ。……っていッテも五サイでシんデルから、タイしてアそんでナイけど』
「だからそれ、笑えないって」
ツッコみつつ、僕は自分の左の頬が引き攣ったのが分かった。焦燥で、だ。
刻限をを如実に表すように、ヒナトの声はもうその
『──カスミのこと、頼んだぞ』
「……え」
負けた自分に対して何か言われるかと身構えていたのに、飛んできた言葉は予想に反して兄貴らしかった。
『カスミは……イマでもボクを犠牲にしたことを悔いている。何度でも伝えてやってくれ。──カスミの生きていることが、兄にとっての。ボクにとっての希望なんだって。これからもズット、それはカワラナイから』
「……自分も、同じ気持ちです」
僕があのゴミ溜めみたいな社会にかろうじて呼吸できていたのは、カスミさんとの思い出があったからだ。
あの田舎での──双撫村での記憶を思い起こす間だけ、まるでそれが酸素ボンベであるかのように、僕を生かしてくれていた。
──違う。僕は、過去に思いを馳せていたんじゃない。過去を糸口に、彼女との再開を願っていたんだ。
「僕にとってカスミさんも、……未来への、希望です」
『えー! ちょっと笹井クン? 兄であるボクのほうが長く見守ってるんだからね、真似しないでよ』
そう言いつつヒナト(実際頬を膨らませている顔はカスミさんだけど)は、何だかんだ言って嬉しそうだ。
『……分かってるよ、カスミ。それじゃ、君ともサヨナラだ』下を向いて話す素振り。そして彼が一言呟く。『愛してる。いつまでも』
そして再びこちらへ向き直り、ヒナトと真っ直ぐに視線をあわせる。彼もまた、こちらへ視線を向けた。
『それじゃ、あとは頼むよ。こんな長時間体を借りたのは初めてだから、もしかしたらカスミがふらつくかも。その時はここからすぐそこにあるマンションの7階の……』
「ここに来て、心配性? ……安心しなよ。僕はもう二度と、カスミさんの手を離さない」
『ハハッ、言うようになったね。クラスで常にボッチのくせに』
「なっ、そんなことまで──」
『見てるさ。これまでも、これからもずっと見てる。だから──カスミを泣かせた時。それが、キミの命日だと思え? でも……僕が消える前に、キミを見つけられてよかった。カスミを独りにするんじゃないかって、それだけが心配だったから』
唐突に、木々がざわつくほどの突風が走る。目に見えなくとも肌で解る。……風はヒナトを取り囲むように渦巻き、小さな
──さようなら、ヒナト。
『おやすみ。カスミ、笹井クン』
僕の耳元で、彼がそう囁いた気がした。
ヒナトの気配が消えた後。カスミは呆然と、その場へ立ち尽くしていた。
「……大丈夫? 体調とか、どこか痛いとか」
尋ねると、彼女は首を横に振って答える。
「もう夜が遅い。……家、送るから」
「……うん」
それだけ言うと、どちらからともなく歩き始める。
カスミさんの自宅へ着くまで、僕達は一言も喋らなかった。
二月の風はまだ冷たい。彼女の耳と頬は、リンゴのように赤く染まっていた。
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