第4話 あったこと、会ったこと

「ハアッ、ハ……。どうして、バスで帰ったんじゃ、なかったの……」


 息が苦しい。僕は荒い呼吸の合間を縫って声を絞り出した。

 運動はあまり得意ではない。それにしては良く走った方だろう。

 両膝に手を着いて、なんとか動悸を鎮めようとする。しかしこの運動音痴の心臓は、一度酸素を求めるとなかなか満足してくれない。


 彼女においては、アスファルトの上に座り込んでしまっていた。しかしあまり苦しそうな様子はない。実際走る速さも彼女のほうが早かった。


「……何で、止まったんですか。僕みたいな鈍足、カスミさんならまけたんじゃないですか」


「……まさか、笹井くんがここまで執念深いとは思ってなかったな」


「はぁっ、……僕自身も、びっくりですよ」


 カスミさんの手を引いて起こすと、僕らは公園のベンチに腰掛けることにした。


 近くに自販機が会ったので、温かいお茶を二本買って彼女に渡す。

 僕がしばらく呼吸を整えていると、彼女がぽつりぽつりと話し始めた。


「……家にね、帰りたくなかったの」


 バスで帰ったんじゃなかったのか、という問いに対しての答えだった。僕は何も言わず、ただ無言で応えた。

 夜の静寂に、どこからかせせらぎの音が溶け出していた。

 都会にも川なんかあったのかと、初めて訪れる公園をぼんやり眺めていると、隣で感情の溢れる音がした。


「私はね、生きていちゃいけなかったの。私が今生きていられるのは、兄……お兄ちゃんのお陰」


「お兄さんが、いたのか」


「うん。双子だから私がお姉ちゃんの可能性もあったけど、私よりもずっとしっかりしてて、年が離れてるみたいに頼もしかった」


「……それが、どうしてカスミさんの生きていちゃいけない理由になるの」


「いずれ村を離れることが決まっていた笹井くんは、知らされなかったかもしれないけど。……あの村で双子は、災厄を呼ぶ存在として忌み嫌われていた。もっと正確に言えば──人権が、無かったの」


「──ッ!?」


 そんな馬鹿な。思わず声に出そうなのを、すんでのところで飲み込んだ。

 ……まさかそんな前時代的な風潮が、自分の生きるこの時代にも存在していたなんて。


「信じられないでしょう?」


 思ったことを見透かすように、カスミさんは自嘲気味にこちらを見た。


「双子だった場合、選択肢は二つ。一つは三歳になるまでのところでどちらか片方を亡き者とし、双子であった事実を消し去ること。……それができればまだ良かった。幼くて自我も朧なうちに『一人』になれてれば、生き残った方は真っ当な生活に戻れたはずだもの」


「じゃあ、もう一つの選択肢って?」


 それから彼女が語ったことは、自分と同じ高校生が背負うにはあまりにも暗く、重苦しい過去だった。


 カスミさんが言うことには、あの田舎──双撫ふたなで村には、一つの言い伝えがあるらしい。


 『──昔々、この村には二つの種族が共存していた。一つはヒト、もう一つはヒトならざるもの〈霊妖〉の種族だった。


 ヒトは霊妖達に守って貰う代わりに食料を。霊妖達は超常的な技を以て獣、外敵からヒトを守り、その礼として祀ってもらうことで存在を保っていた。


 しかしある日。邪な霊妖にたぶらかされた一人の女が、ヒトと霊妖の子を孕んでしまった。

 

 半人半妖の子は双子で生まれ、それはそれは見るもおぞましいかたちをしていたそうな。


 ヒトと交わるということは、霊妖にとって穢れ以外の何物でもなく。


 霊妖達の長達は、ヒト共へ向かってこう言った。

「このままでは一族もろとも消滅するか、もしくはこの土地を離れねばなるまい」


 それだけは何としても避けたかったヒトの一族。

 霊妖達に何とかならないかと掛け合ったところ、彼らはこう命じた。


 『関わった者たちをみなごろしにしろ』。


 女を孕ませた霊妖は、その場で仲間の手によって斬り捨てられた。

 女は子を生む直後までは息があったものの、生み終えた瞬間事切れた。

 

 そして間もなく。生まれたばかりの双子もせめてもの情けと、二人は両親の亡骸と共に、遠く離れた土地へ埋められたそうな』


 話し終えるとカスミさんは、ふぅ、と深く息を吐き、虚ろな目でこちらを見た。


「母に教えてもらったのはここまで。村の人達はこの話を代々言い伝えて、信奉していたみたい。『──双子が生まれたら殺せ』という決まりとともに、ね」


 僕は、すぐには言葉が出てこなかった。ただカスミさんが、幼い頃から理不尽な状況に立たされていたということだけは、頭でのみだが理解できる。


「『もう一つの選択肢』って、何だったの」


 恐らくそれが、実際にカスミさんが取らざるを得なかった選択肢なのだろう。


 もう一度、ふぅッと深呼吸をした彼女は、今度こそ核心を打ち明けた。


「もう一つの選択。『仮に双子が既に三歳以上だった場合。それ以上穢れが広がらぬよう、家族諸共皆殺せ』」


 その文言に僕は、例え難い気持ち悪さと嫌悪感を抱いた。全身の肌が一斉に総毛立ったことくらい、見なくても分かる。

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