第3話 気づいた事

 会社帰りのサラリーマンがちらつく土産物エリアを通り、僕らは出会ったバス停へと向かった。

 

 途中でチョコレートを扱う店の横を通り過ぎようとした時、カスミさんが「待って」と声を上げた。


「今日、何の日か知ってる?」


「今日は二月十四日……何かあったっけ」


「え、笹井くん知らないの? バレンタインデー」


 言われて思い出した。そうだ、今日は学校でもやけに教室がざわついていたと思ったら、そういうことだったのか。


「笹井くん真面目そうだし、常識人かと思ったら意外と世捨て人なのね。そういえば小さい頃、いつも一人で川の傍に座ってたっけ」


「他人に興味がないんだ。バレンタインなんて僕が渡したい人もいないのに、くだらないイベントに思考を割く時間がもったいない」


「貰うことは考えないの」


「……考えたこともなかった」


「ちょっと待ってて」


 彼女は小走りで店へ向かう。しばらくして、赤い小さな包を抱えて戻ってきた。


「はい、これ」


「それは……?」


「私から、笹井くんへバレンタインのプレゼント」


「そんな、受け取れない」


「私のこと、嫌い?」


「……そうじゃ、ないけど」


 目がいくのは、店の上部に掲げられたメニュー表。そのどれもが学生にしては少々高い、言ってみれば『奮発した』くらいの値が提示されている。

 

「懐かしい再会だったとはいえ、君にお金を使わせるなんて……」


「じゃあ、次に会った時は笹井くんがごちそうしてよ」

 

「次……」

 

 期待しても、良いのだろうか。心が浮き立つ反面、もし仮にそれが嘘だった場合の傷心を想像して、咄嗟とっさに声が出ない。


 僕が返答しあぐねていると、彼女はバスの時間が来るからと半ば強引に包を押し付け、足早に立ち去ってしまった。

 ……こころなしか彼女の耳が赤かった気がするのは、目の錯覚なのだろう。


 呆然と立ち尽くす僕。チョコレート色の包装紙に赤いリボンの施された箱には、紐の裏に小さなメモ帳が挟まっていた。


 手に取って見ると、書かれているのはどうやら電話番号らしい。


 既に腕時計は十九時半を回ろうとしている。次のバスが来るまであと十分弱。

 僕はさっきの彼女みたく駆け出して、バス停へと向かった。


 着いたバス停には、既に彼女の姿はない。

 胸に抱いていた四角い包みをリュックの中へしまい、残りの数分をぼんやりとやりすごそうとした。


 雨はもう上がっている。イヤホンを付ける気にはならなかった。

 もう皆帰ってしまったのか、僕がいるバス停には人がいない。夜の静けさが心地良い。


「……待てよ」


 思わず、そう呟いていた。一つ、不可解な点に気がついてしまったからだ。

 

 確かあの村では、設備の関係で外部へ連絡する手段が限られていた。少なくともカスミさんの実家がある辺りは、電話ができるような環境にはなかったはず。


 ──本当に彼女は『親戚の家に預けられた』のだろうか?


 彼らが例え孤児になったからとはいえ、子供を学校へ通わせないような人達だ。わざわざ外の人間に連絡して預けるような世話を、果たして彼らがするだろうか。


「電話番号……っ」


 半分折りの携帯を開いて、貰ったメモに書かれた数字を打ち込んでいく。 

 彼女はもう、バスに乗ってしまっただろうか。

 発信ボタンを押す。……タイミングを見計らうように、背後から着信音が鳴り響いた。


 バスはもう発車しようとしているが、心はもうとっくの前に決まっている。

 音のした方角から、一人華奢な影が駅の構内へ駆け込むのが見えた。

 僕も追いかけて建物の中へ駆け込む。


 夜が更けてきて、さっきまでまばらにいた人々はもうほとんどいなくなっていた。

 夜の空気は張り詰めて冷たい。人気がない通路の両側には、もうとっくに店じまいしたシャッターが並んでいる。

 

 僕が彼女に追いついたのは、駅から出てしばらく行った先。昼間は子供が遊んでいるような小さな公園へ続く曲がり角の、ちょうど手前辺りだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る