第2話 見ないふり
駅の構内へ入り、通いつけている喫茶店へ彼女を案内した。そこは一番人の多いショッピングエリアの正反対に位置し、普段から若者があまり来ない。
同年代に鉢合わせたくない僕にとって都合がいい店だ。
店に入ると、静かなジャズ音楽と、木目調が醸し出す仄かな温かみが心を落ち着ける。店内にはカウンターの向こうにグラスを磨いているマスターと、客は僕らの他に白ひげをたたえたご老人のみ。
一番奥の席に着いて、僕はいつもと同じホットミルクティ。彼女はメニュー表を一通り眺めた後、僕と同じものを頼んだ。そして、互いに初めて名を名乗った。
「笹井信彦です」
八年間知らなかった彼女の名前は『
僕は、すぐにその響きを気に入った。
彼女も懐かしそうに僕を見る。
四年間も会えなかったのに今日たまたま再開できたことにも驚きだが、一番驚いたのは彼女の大人びた雰囲気だった。
子供の頃のあどけなさも残しつつ、その眼差しは十六歳の女性がもつ張りと活力に満ちている。
女性と接することに耐性のない僕が、時々見惚れながらもこうして自我を保っていられるのは、ただ、カスミさんが『あの子』であるという事実。それと、相手を安心させるような雰囲気を彼女が醸し出しているからかもしれない。
「気持ち悪いかもしれないけど。……ずっと、名も知らないあなたのことを忘れられずにいた」
自分はあまり感情を表に出さないほうだと思っていたが、意外にも声が震える。僕も僕なりにちゃんと、人間だったらしい。
「私も、どこかで君に会えないかと願っていたの」
彼女がそう応えてから話が弾むのに、そう時間は掛からなかった。
都会はあそこに比べて騒がしいだとか、人が多すぎるだとかそんな些細な話題から、次第にお互いの話になった。
「四年前に父が亡くなって、今は父の遠縁の叔母夫婦の所でお世話になっているわ」
「そうだったのか。……大変だったね」
そういえば、僕はカスミさんの家族のことを何も知らない。あの村に住んでいたときも、一度として互いの家を行き来したことがなかったからだ。
「あれだけ毎日遊んでいたのに、思ったら一度もお互いの家へ行ったことがなかったね。僕の両親は単身赴任だったから婆ちゃん家には住んでなかったけど、一度くらい紹介しておけばよかった」
「無理よ」
「……え?」
これまでの彼女とは一変して、酷く冷めた声色だった。
唐突な変化に戸惑う僕。彼女はゆっくりと元の柔和な表情を取り戻すと、ふぅ、と深く息を吐いた。
「……笹井くんには、話してもいいかな」
『何を』とは聞かなかった。ただコクリと頷いて、続きの言葉を待つ。
「村八分って、知ってる?」
言葉として知ってはいるが、具体的なことまでは分からない。
首を横に振ると、彼女はようよう意を決したように、目の奥へ力を込めた。
「私達家族はね、あの村にとって──存在しないものだったのよ」
「存在しないって、どういうこと?」
咄嗟に言葉が出てこない。……いや、『頭が理解を拒否している』と言ったほうが正しい。
村というコミュニティから『存在を否定される』。これがあの閉鎖的な世界でどれだけ酷なことか、大して他人の悪意を浴びたことのない僕でも、頭でだけは容易に想像ができる。
──思い返してみると、いくつか辻褄の合う状況が思い浮かんだ。
村に唯一ある小学校に通っていた僕は、校内で彼女に出会ったことがない。カスミさんは小学校に通っていなかったのではないか。
そして、病に伏した婆ちゃんが言った『そんな者は知らんなぁ』。あれは『この村に認められた者の中に、そんな奴は存在しない』という意味。つまり僕の婆ちゃんは樋高家の置かれた状況を知った上で、村の規則として放置していたのではないか。
「……いつから、そんなことになったの」
「物心ついた時には既に、私たちは住居のある決められた地区から出てはいけないことになっていた。家族以外で親しくお喋りしたのは笹井くんだけよ」
「何がきっかけだ? ……他者をそんな扱いしていい理由なんか許されるわけないけど、あの村は何て言ってきたんだ」
「何がきっかけだったのかは、私も知らないの。ただ、父は知ってるみたいだった。でも何度も教えてほしいとせがんでも、絶対教えてくれなかった。で、そのまま死んじゃった。だからもう、私には知る術がない。……もう良いの。今は叔母さんと叔父さんと、それなりにうまくやっていけてるし、今日はこうして笹井くんにも出会えた。──兄も、喜んでるわ」
「……兄?」
「ううん、何でもない。そろそろ出ましょうか。あまり遅くなると、あなたの家族が心配するでしょ」
「……そうだね」
カスミさんは心配してそういったのだろう。しかしどうにも僕にとってその言葉は、他人事のように聞こえて仕方がなかった。
自分の眉間に皺が寄るのが分かる。
……あの人達が、僕を心配なんてするわけない。
僕が遅く帰ろうが早く帰ろうが、彼らにとってそんなことは知りようがないことだ。仕事が恋人同士、二人は自分の子供なんて、死にさえしなければいいと思っている。
両親にとって僕の存在は、あくまで義務感でしかないのだ。
『結婚したなら子供を設けるべき』という大衆の価値観に流されるまま、二人はそれを実行した。僕は彼らが『普通』でいるための認定証であり、親であるためのトロフィー。
大事にしまわれた
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