終焉の時
「……え……ねえ……ねえってば!」
微かに声が聞こえる。体を揺らされてるような感覚が僅かにして、うっすらと目を開けた。視界はぼやけ、はっきりと見る事は出来なかったが、目の前に映る人が誰かは容易く分かった。
「カレ…ロ…ナか……?」
「……!」
彼女はさらに顔を近付け、さっきより強く俺を揺らす。
「止してくれ、もう動ける体じゃないんだ」そう伝える事も出来ない。もう呼吸をすることで精一杯だった。よくここまで生きることが出来ていた物だ。
「やめておいた方が良い。もうディスペアは動ける体じゃないんだ。そして恐らく……もう助かる事もない」
ああ、マルセイの声も聞こえる。
「…うそ……うそよ」
畜生……頼むから泣かないでくれ。俺に対して流す涙は無い筈だろう。今更この状態に後悔なんてしてないから、だから――。
「……約束。あっただろ……?」
口の中に血の味が広がった。
「話したいこと……言ってくれよ……。お願いだ」
カレロナは涙を拭き、こちらに向かい合った。とは言っても、もう顔なんてほぼ見えないものだが。
「……ねえ。私ね、ディスペアがこうなっちゃったのは、私にも責任があるんじゃないかって思ってて……」
幾つもの話の中からそんな話になった。そんな事はない。と言いたかったが、そう声に出す暇もなくカレロナは絶えず話を続ける。――ああ、駄目だ。もう目は見えない。
「……だから、遠い所で…貴方と…一緒に暮らすのも良いかなって……」
その後、泣き声だけが聞こえる。目の前は暗い。もう何も見えない。頼りになるのは耳だけか……。
「……残念だ」
何と力無く、端的な応答なのだろう。ようやく出せた声がこれだった。
「ごめん。泣いちゃ駄目だよね。……あのさ、いつか言った、英雄君……だったっけ?今思うと恥ずかしいけど、結局使う時無かったね」
懐かしい事を言ってくれる物だ。自然に笑みを溢す。同時に彼女の照れ臭そうな顔も浮かんだが、その顔も定かではない。思い出すことすら出来なくなっているのかも知れない。
「あ、それとマルセイから貰ったあの指輪も大事にしてるの。着けてあげるわよ」
彼女の冷たい手の感覚がする。いつもよりずっとそれは感じやすかった。自然に手が動く。その手を、もっと感じていたかった。
「……」
彼女は黙って両手で俺の手を握った。これで目が見えていたらどれ程良かっただろうか。――いや、後悔しない。これも選んだ道だ。
「……ねえ、こうしてると恋人見たいね」
いつもだったらからかいのように感じるこの言葉も、今では彼女の後悔にも聞こえた。
「そう言えば……結局私の事ってディスペアはどう思ってたの?聞かせてよ」
そんな事も伝えていなかったか。何と馬鹿だったのだろう。答えは決まっている。決まっているのだが、どうしても声が出しにくい。
「……ま、冗談よ。それに……もう聞こえてないかも知れないしね」
違う。しっかり聞こえている。なのに…ああくそ。声帯の怪我がこんなにも辛いとは。無理にでも絞り出して声をつくる。
「あ……いしてた、愛してたよ……。もちろん……」
これ以上は咳き込んでしまって、話せそうにもない。話すことも出来なくなってしまった俺は、もう、只の死体か……。
「……ねえ、ディスペア。最後にお願いしても良い?」
少しの間を開け、そう言った。答えることは出来ない。だが、勿論叶えれるものなら叶えてやりたい物だ。
「最後に、泣いても良い……?」
なんだ。そんな事なら、勿論。
彼女は今まで一番大きな声で泣いた。謝罪と、感謝を述べながら、震えた声で泣き続けた。謝らなくてもいい……のにな。その時、頬から何かがつうっと伝わる感覚がする。――何だよ。これじゃ、やっぱり後悔してしまう。しないって決めたばっかりなのに。
「……本当に、ありがとう」
カレロナは、今度は落ち着いた声でそう言った。そして、さっきまで聞こえていた風の音も聞こえなくなる。ああ、良かった。それが最後に聞けただけでも充分だ。じゃあ、俺はもう終わるときが来た。終焉。おしまいだ。
――いや、最後に、感謝の意だけでも、述べさせて……くれ。
「……ありがとう」
肌に和やかな風の感触が伝わる…。手の冷たい感触はいつの間にか暖かな物へと変わっていく……。遂にはその感触もいつか感じなくなっていって――。
俺は、死んだ。
堕ちた英雄 はんぺん @nerimono_2
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