堕ちた英雄

 「フォクス……!」


ニタリと笑う口元には、穴だらけの歯が顔を見せていた。どこまでも、俺を苛立たせる。

「あなた……もう終わりじゃありませんか?今なら一応ここに居させてあげますよ」

 そしてフォクスは崩れ落ちた俺に手をかざし、暗闇の奥へ消えていく。


 目の前には安全地帯があった。あそこに居れば、俺が人を殺した事は、隠蔽される。フォクスはそう言った。


 ――けど、行けなかった。行けない。あんな奴の言いなりにはなりたくなかった。もう今は早くここから奴らが去ることを願うばかりだった。しかし壁に空いた時空の歪みは消えることなく、次なる訪問者を呼んだ。それは、冷酷で、冷たい目をしている。どうしたんだ。そんな顔、見せたことないじゃないか。身に纏う黒装束は、見事に背景と同化しているようだ。

「ディスペア……。理由を、聞かせてくれ。無闇に殺した訳じゃ無いだろう?」

マルセイはあくまで冷静に物事を話しているが、その声の節々は震えていた。それが怒りか、哀しみか、又は怯えか、それは分からなかった。

「か……カレロナを、護る為で――。そう!俺がやったことは――」

「誰かを護る為、かい?」

どこまでも浅ましく、醜い餓鬼を見るかの如く、深い青色の瞳が俺を捉えた。

「……ありがとう、しかしすまないディスペア。僕は、どうする事も出来ない。理由が全うなだけでも感謝するよ」

……もう何を言っても無駄。終わりだ。

「ではさようなら。ここのくそったれた牢獄をお楽しみください」

俺は、もう何がなし得る?

「英雄様――いや、『堕ちた』英雄様」

俺は……まだ……。


 ――おい!何をしている貴様!」

気付いた頃にはもう目の前に歪みは無く、代わりに警官が数人立っていた。

「この家の主はあの男だが……。どうやらお前が殺したようだな。要注意指定人物だ。取り締まる。ついてこい」


 そこからの俺の記憶は曖昧だった。狭い部屋に連れ込まれ、俺と警官二人だけで話した。俺がしたこと、その理由。そして、英雄であった事も。気付かぬ内に話していたようだ。次の日に俺は独房に入れられ、看守も、他の囚人も、俺をまじまじと見ていた。そして顔を合わせると目を逸らすのだ。


 牢獄に入って少し経っても、朝食は来なかった、昼も同様に。看守によると、飯は夜のみらしい。空腹で考える事もままならず、俺はいつの間にか鏡を見ていた。――こんな顔を、何時からしていたのだろう。こんな顔じゃ、子供もきっと泣いてしまうだろうな。そう思っていると、看守が鍵を開け言った。

「おい、645261。仕事だ」

そう言い連れていかれたのは地下だった。

「このツルハシを持て、そしてここでただ堀り続けろ。質問があれば後で聞け」

多くの囚人が壁に向かってツルハシをたてている。強制労働と言うやつだろう。俺はその囚人の仲間に入った。


 そして休みも入れられず働かせられ、ほぼ意識はない状態だった。しかしそれが終わると今度は汚い飯が待っていた。そんな物でも囚人たちは奪い合い、争い、そしていつの間にか俺の分も無くなっていた。まるでこれがここの常識だと言わんばかりに。結局何も食べないまま牢に入れられ、消灯時間となった。辺りは一気に静かになる。一秒たりとも睡眠時間を減らすわけには行かないのだ。


 改めて一日を振り返った。こんな境遇でも平然としている自分を見て、もう自分の諦めがついている事を悟った。何をしても、どんな待遇でも、償いをし続ける。これしか俺には出来ない。


 『堕ちた英雄』フォクスはそう言った。しかし、違う。俺はまだ堕ち続けるのだ。永遠に来ない地の底を待ち続けるのだ。つまり明日も、明後日も人として終わっていく。まだだ……まだこれは序章に過ぎない。



 

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