エピローグ その五 龍郎2
兄嫁はやっぱり、ふつうの女になっていた。姿形は以前どおりだ。でも、わかる。悪魔の匂いがしない。
(前の世界でクトゥルフを倒したことが関係してるのかもな)
龍郎は兄嫁に体裁どおりのあいさつをすますと、座敷に布団を敷いてもらって、早々に寝たふりをした。しかし、落ちつかない。
青蘭がいない。
どうやったら会えるのだろう?
こんなとき以前なら、清美に相談したのだが……。
(そうだ! 電話番号が以前と同じかもしれないぞ)
もちろん、今の龍郎のスマホには、清美の名前も、青蘭の名前も登録してない。しかし、二人の電話番号は記憶している。
清美に相談しようとしたあと、ふと思いなおした。何よりも、青蘭にちょくせつ、かけてみればいい。
青蘭はなんと言うだろうか?
ちゃんと龍郎のことを覚えていてくれるだろうか?
それとも、忘れてしまっただろうか?
しばらくスマホの画面を見つめたあと、龍郎は思いきって青蘭の番号へかけてみた。数瞬の沈黙のあと、やっと回線のつながる接続音がある。いっきに期待が高まる。が、無情にも電子音声が、この番号は現在使用されていないことを告げた。
(青蘭……)
もしや、やはり青蘭は今生では人間じゃないのかもしれない?
不安が脳裏をよぎる。
それをふりはらい、龍郎はあらためて清美の番号へかけなおした。今度はすんなりコール音がして通じる。
龍郎はゴクリと息を呑んだ。
「……清美さん?」
「ギャー! やっぱり夢のイケメンからかかってきたー! さすがキヨミン、スゴイ。予知夢的中ですねぇ」
「…………」
一瞬、電話をかけたことを後悔する。しかし、つながってはいるし、どうやら龍郎のことを認識しているようだ。
「おれが誰かわかりますか?」
「いつも、わたしの夢のなかに出てくるイケメンですよね? 名前はおぼえてないんですが」
「
「龍郎さんですか。前世ではお世話になりました」
「えーと、あの、清美さんは前の世界が終わったことを知ってるんですか?」
「わたしは夢で、なんとなく。でも、誰もそのことを知ってる人はいません。少なくとも人間では。ちゃんとした記憶があるのは龍郎さんだけです」
「そうなんだ……」
「穂村先生なら大丈夫かもですね。あの人は人間じゃないから」
「なるほど」
でも、今、知りたいのは穂村のことではない。
「あの、清美さん。青蘭のことはおぼえてますか?」
「おぼえてるというか、夢のなかでは、いつも龍郎さんといっしょに誰かがいますね。ただ、目が覚めるとその姿を思いだせないんですよね。なんとなく、夢のなかだけの存在みたいなっていうか」
清美が不吉なことを言うので心配になった。
ほんとにこの世界では、青蘭は存在していないのかも……いや、そんなはずはない。
必ず探しだすと約束したのだ。たとえ、外見は変わっていても、人でなくても、絶対にこの世界のどこかには存在しているはずだ。
(青蘭。君に会いたい)
龍郎は肝心のことをたずねた。
「どうやったら青蘭と出会えるか、清美さんは知りませんか? ほんとなら今日、おれは青蘭と出会うはずだった。でも、会えなかった。前の世界とはいろいろ違ってることが多くて」
「お役に立てず、すいません。ちょっとそのへんは、わたしにもわかりません」
「そうですか……」
「元気だしてください。わたしとはいつでも会えますから」
「…………」
「ガマちゃんつれて遊びに行きます。じゃあ、おやすみなさーい」
龍郎はあきらめて、それを枕元に置くと、布団にもぐりこんだ。
翌日からは青蘭探しだ。
そう言えば、以前は兄が殺されたあと、実家へ通夜に帰った席で、青蘭に再会した。実家の古時計は今もあるはずだ。バスを使って山道を三十分もゆられ行ってみたが、青蘭の姿はなかった。時計はあったものの、禍々しい力は感じられない。それどころか、寝たきりだったはずの叔父は大阪で働いていると言う。
(ダメだ。もうどうしたらいいのかわからない……)
青蘭の姿を探し求め、さまよう日々。
黒いスーツを着た細身のうしろ姿を見つけると、思わず追いかける。やっと見つけた、ここにいたんだと期待に胸はずむのもつかのま、腕をつかんでふりむかせると、似ても似つかない見知らぬ人。そんなことが何度あっただろう。
まもなく大学を卒業したので、春休みを利用して、九州へ行った。親や兄には卒業旅行と言ったが、ほんとの目的は青蘭の育った孤島の屋敷へ行ってみることだ。ことによると、まだあの島にいるのではないかと思った。
でも、結果的にはそこにもいなかった。
以前、龍郎を船で案内してくれた冨樫を見つけたものの、彼は娘の鈴子や孫娘とともに平穏に暮らしていた。孤島の屋敷なんて知らないし、聞いたこともないと言う。
ムリを言って、船を出してもらった。が、たしかに以前、屋敷のあった場所には島じたいがなかった。
龍郎の説明があいまいだったから、大海原のなかで正確な位置へ行くことができなかっただけなのか、それとも、この世界にはあの島は存在しないのか……。
(青蘭が、いない……)
日々はすぎていくのに、愛しい人の痕跡を見つけることができない。
本当に青蘭は生まれているのだろうか?
それとも、この宇宙のすべてがアザトースの見る夢だから、世界そのものが彼なのだろうか?
(君はいなくても、そこにいる。この世界のすべてが君だ。この海も風も、大気も、海中を泳ぐ魚も、岸辺の木々も……みんな、君。君だけど……)
でも、できることなら言葉をかわしたい。愛をささやきあい、手をにぎり、抱きしめたい。
(青蘭。青蘭。どこにいるの?)
ほんとにどこにもいないのか。人としての青蘭は、どこにも……。
黒川温泉によったのは、そこが思い出の場所だからだ。
青蘭と初めて心が通じあい、夢のような数日をすごした。
この世界のなかでは、それはもう失われた幻影にすぎない。しかし、龍郎にとっては大事な記憶。
黒川温泉の宿に一泊し、翌朝、青蘭に告白した鍋ヶ滝へ行ってみた。あのときは青蘭と二人で歩き、目に見えるすべてが妖精の国のように美しく感じられた。でも、今はその景色すら物悲しい。
(青蘭。君はもうどこにもいないの? お願いだ。帰ってきてくれよ)
必死に涙をこらえながら滝のほうへ向かう。
滝は奇跡的に無人だった。朝早いので、まだ観光客もいない。
「青蘭……」
つぶやきながら滝の裏側へ入った龍郎は、ハッとした。先客がいる。てっきり無人だと思っていたのに。
黒い革靴をはいた足先が視界に入った。シンデレラのガラスの靴だって、こんなに華奢ではなかったんじゃないだろうか。
龍郎は顔をあげた。
磨きあげた白大理石を丁寧に刻みこみ、神が命を吹きこんだ。その完璧な美貌。神秘的な瞳は光をうけて瑠璃色に透ける。
「青蘭……」
「誰?」
青蘭はおぼえてないのか。
それでもいい。
やっと、見つけた。
おれの天使。
おれのもう一つの心臓。
「ずっと君を探していたよ」
「どうして?」
「さあ。どうしてかな。君ははなぜ、ここに来たの?」
「わからない。でも、なんとなく、なつかしくて」
見つめあう瞳の奥が、宇宙の宝石のようにきらめく。
この場所で、また物語は始まる。
八重咲探偵の怪奇譚
〜アザトースと賢者の石編〜
完
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