第七話 次元回廊

第7話 次元回廊 その一



 接触と言っていいのかどうかはわからない。ただ単に内偵であったのか、それともマルコシアスの言うとおり、贄だったのか。


 しかし、なんらかの意図を持って、アザトースの宮殿に忍びこむこと——それだけは間違いない。


「教えてくれ。マルコシアス。アスモデウスは何をするために、ここへ来たんだ? そのことがアスモデウスに何かしらの劇的な変化をもたらした。決して好ましい意味ではなく。そのためにアスモデウスは堕天し、青蘭は呪われた生をくりかえすこととなった。そうじゃないか? 青蘭の存在に深くかかわる重大なことが、ここで起こったんだ」


 マルコシアスはまだ、ためらっている。

 すると、急に周辺がさわがしくなった。犬の吠える声が多数、こっちに向かってきている。


「犬? こんなところに?」

「龍郎。ここは邪神の王の宮殿ではあるが、その外郭にすぎない。本殿へ続く次元の回廊だ。ここでは引き裂かれた二つの時が複雑にからみあっている」

「引き裂かれた二つの時って? なんのことだか、さっぱり」

「とがった時間と、まがった時間だ!」


 言われて、ギクリとする。


 まがった時間は龍郎たちの属する世界のことだ。生命が生まれ死に、転生をくりかえす世界。


 とがった時間は、それとは正反対の世界。つまり、不死者の世界。死なないが、その時間は終わることなく続く。生まれた者たちは生き続け、生きながら腐りはてていく。


「バリ島であった、あの事件だな。とがった時間は、まがった時間とは相いれない外宇宙のはず」

「そうだ。だが、ここでだけは同時に存在しうるんだ。裂かれる前、二つの時間は一つだったからだ」


 マルコシアスの言っている意味はわからなかったものの、危険が迫っていることは理解した。

 ここが、とがった世界でもあるのなら、あの犬の鳴き声はあることを示唆している。とがった世界の番犬であるティンダロスの猟犬が存在している、ということを。


「あの遠吠え、ティンダロスの猟犬か!」

「来るぞ!」


 ティンダロスの猟犬は一頭ずつなら、さほどの敵ではない。せいぜい上級悪魔ていどの戦闘力だ。ただし、とても、しつこい。どこまででも、とにかく追い続けてくる。


「青蘭はどこへ行ったんだろう?」

「おそらく……アザトースのいる本殿最奥」

「そこへ行こう!」


 しかし、そういう間にも、廊下の端からティンダロスの猟犬が現れた。

 全身のすべてが直線で構成された異質な化け物だ。カマキリのような頭部と、長ヤリに似た足を持つ四つ足の生き物。全身からトゲが生え、ドロドロした粘液に包まれている。


「すごい数だな」


 十や二十ではなかった。次々と現れる。数えきれない。


 以前の人間の体だったころは、猟犬は見あげるほど大きかった。が、今の天使の体ならば、体高で言えば互角以上に龍郎が有利だ。


「マルコ。逃げるわけには行かないんだろ?」

「ああ。ヤツら、宮殿の奥からやってくる。倒すしかあるまい」


 青蘭に会いに行くためには、猟犬の群れのなかをつっきっていくしかないということだ。


 龍郎はマルコシアスにまたがり、退魔の剣をにぎる。人間のころにくらべて、剣は倍の長さがある。長さだけではなく、全体に大きい。基本的な破壊力があがっていた。


「行くぞ!」


 龍郎のかけ声とともに、マルコシアスは疾駆しっくする。猟犬たちのあいだをかけぬける。

 すれ違いざまに、龍郎は猟犬を剣で切りさいた。甲殻類のように硬質な皮膚も、以前より容易に切断できる。手ごたえはビニールだ。


「楽勝だな」

「油断するな。まだまだ来るぞ」


 たしかに奥から、切っても切ってもやってくる。突き、切りすて、両断するたびに光の粒が龍郎の内に吸収される。心臓に力が宿る。


 龍郎たちをとびこえ、腹を見せる猟犬には下から刺し、口をあけて食いつこうとするヤツにはその口へ刃をつっこむ。


 やはり、腕力も以前より高い。人間のころ戦ったときより、はるかにたやすく倒せる。


 みるみるうちに通りすぎてきた道に、粘液の汚物が血痕のごとく残る。腐臭が鼻についた。


 それにしても、千か二千はやっつけたはずだ。が、いっこうに減るようすがない。いったい、猟犬は全部で何匹いるというのか。


「くそッ。これじゃ進めない」


 試しに右手をあげ、浄化の光を放つ。ティンダロスの猟犬たちはまぶしそうに菱形ひしがたの目を細め、立ちどまった。足止めにはなる。が、消滅はできない。体を覆う粘液が防御になっているようだ。浄化の光を浴びると表面の粘りは消える。が、猟犬の体内から、いくらでも湧いてくる。


(ティンダロスの混血種だな)


 あのネバネバした物体は、かつてティンダロスで生まれた生命体だ。以前は猟犬たちのようなふつうの生物だったもののなれのはて。体が腐乱しきっても、なお、生き続ける者たちが、まだ形を保っている猟犬にまとわりつくことで移動している。共生体というわけだ。


 ただの浄化の光では効かない。では、ここは浄化の弾だ。右手は剣をにぎったまま、左手で輪を作り、浄化の弾を発射する。五本の指で一度に五個ずつ。


 これには効果があった。ティンダロスの猟犬は悲しげな鳴き声をあげ、光の粒になる。


 剣と飛び道具で、いっきに数を減らす。


「よし。龍郎。これなら、ふりきれる」

「うん。頼む」


 マルコシアスが足を速める。

 しかし、そのときだった。

 前方でひときわ太い咆哮ほうこうが響きわたる。


「なんだッ、あれ?」

「ティンダロスの王だ!」


 巨大な影が行手をふさぐ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る