第六話 六道の底

第6話 六道の底 その一



さやからぬかれた剣だ」

「ミカエルのシンボルそのものだな」

「アンドロマリウスが剣に魂を封じたことで、よりその質が高まったのかもしれんな」


 穂村とノーデンスが、のんきにそんな話をしているのが聞こえる。

 なんだか異様に場違いだ。

 だって、たったいま、龍郎は兄を滅した。ルシフェルだったものの魂は粉々にくだけ、光の粒となって龍郎のなかに吸収される。


(ルシフェル。おまえはおれの分身だよ。光と影。表と裏。これでもう一度、一つになれる)


 ルシフェルとすごした日々の記憶は皆無だ。それなのに、涙がこぼれた。


「ミカエル。ようやった。見事。見事」


 玉座から拍手とともに、ノーデンスの声がする。

 龍郎は涙をぬぐってから、ふりかえった。アスモデウスを——青蘭を救うのだ。泣いている時間はない。


「では、ゆりかごへ行かせてください! アスモデウスを助けに行きたいんだ!」

「うむ。行くがよい。マルコシアス。案内してやるがよいぞ」と言って、ノーデンスはマルコシアスの頭をぽんぽんとかるく叩く。いつのまにか、マルコシアスは翼ある狼の姿になっていた。


「では、おゆるしくださいますか? 神よ」

「ゆるす」

「ありがたき幸せ!」

「だが、そなたは知っておるな。まもなく、アスモデウスの使命が果たされるか、失敗するかのせとぎわだ。大事のときぞ」

「御意。急ぎ、参ります」


 マルコシアスは嬉しそうに尻尾をふって、龍郎のもとへかけてくる。


「神のおゆるしを得た。私は天使に返り咲いたぞ。さあ、アスモデウスのもとへ行こう」

「うん。行こう」


 マルコシアスの背にまたがると、穂村がこれまで見せたことないほど優しげな微笑を浮かべた。


「本柳くん。君ならできる。がんばれよ」

「最後の助言ですか?」

「うん。自分を信じることだ」

「わかりました」


 手をふるヒマもない。龍郎がとびのると同時に、マルコシアスは飛翔した。次元を翔ぶ力で建物をすりぬけて、ひたすらどこかへ向かっている。


 楽園を出ると、海上から、下位天使たちが暮らしているあの果てのない神殿が見えた。


「ゆりかごはどこだ?」

「あれだ。神殿の端に少しようすの違う場所があるだろう?」

「ああ。あれか」


 それは上空から見ると、神殿の中庭だ。庭木がどれもこれも妙に白っぽい。それにたくさんの実がぶらさがっている。

 マルコシアスが急降下し、近づくと、実ではないことがわかった。まゆだ。たくさんの繭が白い木の枝にかかっているのだ。それらをガラスのドームが覆い、温室風に見せている。


(アクアリウムみたいだな。キレイだけど、なんとなく不安になる)


 マルコシアスはドーム屋根をすりぬけて、ゆりかごの中心におりた。木々に実る繭の一つずつに赤ん坊が眠っている。背中に羽のある子どもたち。生まれたての天使だ。


「天使も卵から孵るときは赤ん坊なんだな」

「通常はな」

「でも、青蘭がアスモデウスに転生したときは大人だった。おれのときも」

「それは卵のもとになった心臓に充分、魔力がたまっていたからだ。卵のなかで成長するわけだ」

「なるほど」


 それはいいのだが、アスモデウスはどこだろうか?

 あたりは背の高い繭の木にかこまれ、どれも似たりよったりだ。繭の森である。これでは見分けがつかない。


「手前のほうは赤ん坊だけだろう。傷病者は赤ん坊とはわけが違うから、隔離されていると聞く」

「世話係の天使はいないのか?」

「いるだろうが、何しろ広い」


 さっきから胸さわぎがおさまらない。ゆりかごまで来れば、アスモデウスの香りでわかるだろうと思っていた。青蘭の花のような甘い体臭。あの香りがアスモデウスからもしていたからだ。


 だが、今、その香りを感じない。


(でも、なんだろう? 心臓の音が聞こえる)


 共鳴しているのだ。

 一度は失われたと思ったつながりが、龍郎も青蘭も天使になることで、また一対の心臓として呼応している。


 苦痛の玉と快楽の玉だ。

 今度はおたがいの心臓じたいが、その働きをしているのだ。


(青蘭。青蘭の鼓動だ)


 龍郎はその音にひかれるままに歩いていった。

 森の奥をめざしていくと、急に周囲が暗くなった。赤ん坊たちのいたエリアから仕切るためか、長いとばりが幾重にも天井からたれさがっていた。


 その暗室を覆うとばりをかこむように複数の天使が立っている。何やらヒソヒソと話しているのを小耳にはさんだ。


「もう手遅れ……」

「誰に報告すれば……」

「……とにかく、このままにしては……」


 イヤな予感がグンと高まる。

 龍郎は彼らを押しのけ、とばりのなかへふみこむ。


「これ、お待ちなさい。ここは誰でも入ることができるわけではありませんよ」

「ひきかえしなさい」

「あなたも汚染されますよ」


 ひきとめようとする天使たちをふりはらう。

 まちがいない。ここにアスモデウスがいるのだ。


 とばりのなかは光がまったくささない暗闇だった。

 繭の木はあるが、そのほとんどは枝に繭がついていない。

 奥に一つだけ、大きな繭がほの白く闇に浮かんでいる。大人も入れる大きさだ。


 心臓の共鳴がいっきに強くなる。


「アスモデウス?」


 近づくと、繭は純白ではなかった。赤ん坊たちが入っていたのは真っ白なフカフカのそれだったのに、目の前にあるのは灰をかぶったように薄汚れ、ところどころ赤いシミができている。そればかりか、底面からは黒いタール状の何かがポタポタとしみだしていた。


 繭のまわりを瘴気が包んでいる。なるほど。さきほどの低位の天使たちでは、そばによっただけで穢れてしまうだろう。


「そこにいるのか? アスモデウス」


 繭は何重にもなり、その内にあるを隠している。


 いったい、アスモデウスはどうなったのだろうか?

 汚染を除去することができたのか? それとも……?

 この繭のなかで、何が起こっているのだろう?


 龍郎は思いきって、繭に手をかけた。

 ふれた部分が輝き、ボロボロと繭がくずれていく……。

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