第5話 天使殺し その七



 エアーベールは静かな動作で、ウリエルの心臓をひろいあげる。マネキンめいた顔に暗いかげがさす。


「……あーあ。使えないなぁ。ウリエル。僕のためになんでもするって言うから、つがいになる約束をしてやったのに」


 ムッとして、龍郎は何事か言ってやろうとした。

 ウリエルは必死だったはずだ。神の教えを忠実に守ることを至福としていたウリエルが、その神に背いてまで、愛のために献身をつくしたというのに。


 天使殺しを言いあてられて、弁明一つなく自らの命を捧げたのは、やはり罪の意識があったからだ。ほんとうは同胞を殺すことが苦痛だったのだ。


「おまえ、それでも——」


 ウリエルのつがいか?——と問いつめようとした。


 だが、しかし、そのいとまはなかった。

 ルシフェルがふところをさぐり、何かをつかみだす。手をひらくと、赤や青の玉がザラザラ載っている。賢者の石だ。十以上もある。


 ルシフェルはそれを皆の見ている前で口中にほうりこんだ。ガラスをくだくような音が響く。のだ。まるで飴玉をかみくだくように、賢者の石を喰っている。

 最後にウリエルの心臓を丸呑みにする。


 みるみるうちに、ルシフェルの姿が大きくふくらんでいく。背が倍にも三倍にも伸び、いたるところから触手がとびだしてきた。


(この姿は……)


 以前、幻影のなかで見た、ミカエルの記憶。堕天したルシフェルと戦っていた。そのときの堕天使としてのルシフェルだ。邪神の汚染を受け、異質な存在になりはてている。


 ルシフェルはゲラゲラ笑いながら、触手を四方八方に這わせ、そこにいる一同を捕まえようとする。


「我らが神をお守りしろ!」


 あれほど嘆いていたくせに、ガブリエルは敏捷に触手の雨をかわし、ノーデンスのもとへ飛んでいく。ラファエルとマルコシアスも続く。


「すまんのう。わしはほれ、戦いはさっぱりの神ゆえ」

「我らがお守りいたします」

「うむ。頼んだぞ」


 ノーデンスと穂村は心配なさそうだ。

 龍郎は青ざめて立ちつくしているシャムシエルを叱咤した。


「シャムシエル! 能天使なら悪魔と戦ったことくらいあるんだろ? ないなら、君もガブリエルたちのところへ行け」


 シャムシエルはあわてて、神の玉座へ走りだそうとした。が、くるりと背をむけた瞬間に、背後からルシフェルの触手が胸をつきやぶった。ダラダラと出血し、くの字になって触手につりあげられる。


 触手はいやらしい動きでシャムシエルの胸から心臓をぬきだした。それもまたすぐに結晶化する。今度は青い。

 けたたましい笑い声をあげながら、ルシフェルはも喰った。


「まだだ。まだ足りない。もっと……もっと心臓が……力が欲しい! かつてのあの力が!」


 醜悪な姿をさらしていることにも気づかず、ただ力のみを欲して暴走する。その姿を見て、龍郎は物悲しくなった。ルシフェルのこの狂乱は、自分が彼の力を奪ったせいなのだ。そのつもりもなくではあった。だが、それは龍郎の罪と言っていい。


(前世の記憶はない。でも、おまえはおれの兄だという。ならば、おれが浄化してやるのが、せめてものたむけだ)


 龍郎は退魔の剣を両手でにぎりしめる。


 転生したばかりで、心臓に魔力はたまっていない。マルコシアスは座天使なみの力を持っていると言ったが、たったいま複数の天使の心臓を食べたルシフェルにくらべて、力はずいぶん劣ると、自分でも感じる。


 だから、長丁場で争ってはいられない。以前は青蘭の補助があった。苦痛の玉と快楽の玉の共鳴力が。今はそれもなく、ほんとの龍郎の実力で戦わなければならない。短期戦でなければ、確実に負ける。


(一太刀で勝負だ)


 おれは負けるわけにはいかない。青蘭を助けに行く。青蘭は今、邪神の汚染にさらされてる。青蘭をこんな異形の醜い姿にさせるわけにはいかないんだ!


 ルシフェルの触手が縦横無尽に襲ってくる。何度も打たれた。皮膚が裂け、血が流れる。ひときわ巨大な触手が目の前に素早く上下にゆれながら迫る。


 だが、龍郎は直立不動のまま動じない。心を無にした。


(おれは剣。一本の剣だ)


 不思議とすべての音が消えた。

 触手の攻撃で床は振動し、天井は崩れる。

 しかし、それらも無音の世界。


 その瞬間、時間が停止した。雨のように降る瓦礫も動きを止める。


 龍郎はその合間を縫って、飛んだ。一直線にルシフェルに肉薄する。

 自身の身体が矢になったかのごとく感じた。いや、むしろ剣だ。まさに一本の等身大の剣になっていた。


 敵の急所は見えていた。胸のどまんなか。天使の心臓の位置だ。そこに真っ黒く淀んだ玉がある。汚染されきったルシフェルの心臓だ。


(やはり、一度でも汚染されると、もはや転生しても穢れを祓えないんだな)


 壊すしかないのだ。


 龍郎は無数の触手をかわしつつ、まっすぐに飛ぶ。あの黒い心臓へと、吸われるようにそこを目指す。両者のあいだに重力のような引力が働いていた。


 全身で、龍郎はルシフェルの心臓をつらぬく。

 黒き獣が咆哮ほうこうする。




 了

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る