第5話 天使殺し その四



 ラファエルはうろたえて、あとずさる。


 いつのまにか、各々、立ちあがっていた。だが、ウリエルだけは両ひざを床についたままだ。神への崇拝が誰よりも強いというのは、ガブリエルから聞いている。


「待て! それを言うなら、マルコシアスはどうなんだ? アレは堕天使だ。神に刃向かうつもりで英雄を殺したのかもしれない」


 ラファエルはマルコシアスに指をつきつける。

 しかし、龍郎は首をふった。


「それはない。単純なことだが、マルコシアスが追放されたのは、いつだ?」


 それにはガブリエルが答える。

「アスモデウスが堕天したすぐあとだ」

「理由は?」

「私は知らない」


 皆の視線がマルコシアスに集まる。マルコシアスは低い声で告げる。


「アスモデウスの処遇に納得いかなかったので、神に直訴したからだ。しかし、神には私がリンボのあの場所で待っていれば、いつか、アスモデウスと再会できるとのご配慮であったのだろうと、今ならばわかる」


 龍郎はうなずいた。

「マルコシアスにとって大切なのは、アスモデウスが幸福かどうかだ。ミカエルが生きてさえいれば、アスモデウスが幸せだということを彼は知っていた。つまり、ミカエルを襲う動機が彼にはない」


「だからって、おれはミカエルを殺したりはしないぞ!」

 ラファエルはさらに激昂して反論した。

「そうだ! さっき、エアーベールがタルタロスへ降りていった。あれはおまえを殺すためではなかったのか?」

 そう問いつめる。


 龍郎はエアーベールに向きなおった。アスモデウスの副官。天使なので容姿は整っているが、あまり、これと言った特徴がない。なんとなく作られたマネキンっぽい。


「わたくしはアスモデウスさまの補佐として、上長の危機を救えるのが、ミカエルさましかいないと考えてのこと。つまり、ミカエルさまをお救いに参りました」


 エアーベールの位階は能天使。現在の龍郎はなんの位もないから、よくて最下位の天使エンジェルなのだろう。それでも、うやうやしい態度をとるのは、四大天使がそれほど特殊な天使だからだ。熾天使であったこと、御前天使であったことなど、また心臓の強さでも、新しく生まれた天使とは素地が異なる。


「おれたちを殺しにきた暗殺者だと思ったが、そうじゃなかったんだな?」

「違います」


 もう一方の能天使であるシャムシエルのほうが、何やらかすかに首をかしげた。しかし、何も言わない。


 かわりに、ラファエルが述べた。

「だからと言って、おれがミカエルを殺した理由にはならないだろう? おれはミカエルを殺してない」


 そろそろ種明かしをしてやらないと、かわいそうだ。

 龍郎はラファエルの主張を肯定する。


「まあ、そうだな。君の場合は動機があるという点では黒だ。でも、恋敵を殺したからって、相手の心が変わるわけではない。天使とはそういうものだ。心臓の色と能力値の高さだけで本能的に好きになる。それに、ラファエル。君が殺したわけではないと思うのは、君にはミカエルの心臓をえぐりだす必要がないからだ。君は今でも、充分に強い。位階もいずれ上がるだろう」


 ラファエルが今の龍郎と同ていどの力かそれ以上を持っていることは、彼の放つ波動で察知できた。仲間を殺してまで魔力を集めなければならないほど、ラファエルが切羽つまっているとは考えがたい。


 案の定、ラファエルは首をかしげている。


「心臓? ミカエルの心臓がなんだって?」

「あのころ、おれのほかにも何人もの天使が殺された。多くは戦死を装って。だが、それらは心臓が奪いとられていた。そういう事件が重ねて起こっていた」

「……そうだったかもな」


 どうやら、ラファエルはほんとに何も真相に気づいていないらしい。もしかしたら、主犯ではないものの、彼が共犯である可能性はいくらかあると考えていたのだが。


 今度は焦点をウリエルにしぼる。

「ところで、ウリエル。君は一度、堕天したらしいね。その原因を教えてもらえるだろうか?」


 ウリエルは黙っていた。

 言えないことなのだろうか?

 うつむいているので、穂村が代弁した。


「ウリエルはだね。アスモデウスの監視に遣わされていたんだ。内密に人間界に出向していた。周囲に知られぬよう、堕天したと偽っていたわけだ」

「なるほど」


 ほっとウリエルが大きく吐息をつく。神の密命を自ら明かすことは性格上できなかったのだろう。


「もうよい。ウリエル。大義だったのう。ご苦労。ご苦労」


 ノーデンスにねぎらわれて、ウリエルは少し嬉しそうになった。ほんとうに神への信仰が誰よりも深い。龍郎をタルタロスへ落としたのも、ただ職務に忠実だっただけということか。


「わかった。では、ほんとは堕天していなかったんだ。じゃあ、あと、おれが知りたいのは一つだけ。ルシフェルの今の名前は?」


 ラファエルは首ををふった。

「その名は秘されている。ご存じなのは我らが神だけだ」

「ほんとに?」

「おれは、そう聞いている」

「誰か知ってるんじゃないか?」


 ラファエルは考えこんだ。

「……ミカエルなら、双子のつながりでルシフェルの転生に出会ったときに見ぬいただろうな」

「そう。前世のおれなら。ほかには?」

「ほかには、誰も」


 すると、シャムシエルが口をひらいた。

「お恐れながら、よろしいでしょうか?」

「どうぞ」

「当時、四大天使のあるおかたが、卵の出生記録係をなさっておられたと記憶しております」

「出生記録係ならどの卵に前世の誰が入っているのか知っているな。そして、新しくその卵から生まれた者の名も……」

「はい」


 龍郎は悲しい答えに到達する。でも、それしか考えられない。ふりかえったときに見た天使は、だった。


「その四大天使は?」


 シャムシエルは厳かに告げる。

「ガブリエルさまでございます」


 衆目をあびて、ガブリエルが青ざめた。

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