第四話 ゆりかごの悪夢
第4話 ゆりかごの悪夢 その一
眠っている。
夢……を見ている?
ほら、おいでよ。こっちだよ。
そう言って、黒髪の子どもが手をひいていく。どこかで見たような子だ。黒い瞳が陽光のなかでは瑠璃色に透ける。
なんだか自分に似ていると、彼は思った。
そう。ゆりかごのなかにいるはずの年齢だが、髪と瞳の色さえ違えば、自分にそっくりだ。
子どもに手をひかれて歩いていく。大きな屋敷のようだ。外から潮騒が聞こえる。
(ここは……楽園? 神殿のなか?)
上位天使だけが神にお仕えできる海にかこまれた島。その神殿のなかだろうかと思うが、どことなく違う。神殿はすべて白大理石でできていた。ここは壁や床に模様がある。花のような形の照明器具とおぼしきものが天井からぶらさがっていた。
そうだ。ここは僕が育った屋敷だ。五歳まで、ここでお父さまやお母さまと、なんの苦しみもなく暮らしていた。
子ども部屋に入ると、たくさんのぬいぐるみが飾ってあった。星の模様の壁紙。カーテンは水色。天井には夜になるとプラネタリウムの星がクルクルまわる。
でも、なぜだろうか?
彼には奇妙にその部屋が恐ろしく思えた。ここには秘密があった。誰にも知られてはいけない秘密だ。
彼が窓辺の小さな椅子にすわると、それはやってきた。彼の最初の友達だ。物心ついたときには、いつもそれは彼のそばにいた。とくに夜、一人でベッドに入っているときや、大人にナイショで外に出て遊んでいるときなど。それは彼を守っているのだと言った。彼を一人にしておくと、邪悪なものたちがよってくるから。
——や、く、そ、く。
(約束?)
——約束したね。おまえは私。私はおまえ。
(約束。なんの?)
それは黙って彼を見つめるだけ。
——私がここに来ることは誰にも言ってはいけないよ?
(どうして?)
——みんなが怖がるから。
(ふうん)
——おまえはずっと前、天使だったんだよ。今のおまえのおばあさまが、生まれ変わる前のおまえだ。
(そうなの? おばあさまはすごくキレイなんだよ。ほんとに、ぼくがおばあさまだったの? スゴイ!)
——でも、おまえは追放されたんだ。楽園を。
(どうして?)
——なぜだった? 思いだしてごらん。
(わからない)
——じゃあ、この唄を歌うんだ。きっと、いつか、思いだす。
それは唄を教えてくれた。なんだか、なつかしい。でも、とても不安になる唄。
——あの入江を思いだしてごらん。または、もっと以前のことを。
(何も思いだせないよ)
——そう? じゃあ、これをおまえにあげようね。
(何?)
すると、それはとつぜん——
ハッとして、彼はその夢から逃れた。ここにいてはいけない。きっと恐ろしい事実を知ることになる。かつて、神の密命に行って負った、あの深い穢れに通じることを。
そうか。あれが来ていたのか。
僕が幼いときから、ずっとあれは見張っていたんだ。
あれは僕だ。
もう一人の僕。
長い黒髪の死者の顔をした僕。
ずっと友達だと思っていたものが、あれだったなんて。
息を切らしていると、足元が泡立つゼリーのようなものに変じる。彼は背筋が凍りついた。逃げようとして、かえって近づいていた。
ここからこそ逃げだそうとしていたのに。
ふりはらって翔ぶ。
やっと、落ちつく場所に来た。平家建ての日本家屋だ。
「おかえり。青蘭」
「龍郎さん!」
青蘭は恋人の姿を見てとびついた。なぜか、涙があふれてくる。会いたいのに、ずっと会えなかったような気がする。
「龍郎さん。どこに行ってたの?」
「おれはどこへも行かないよ。青蘭がいなくなったんだ」
「そうだった?」
「ほら、こっちにおいでよ。みんな青蘭の帰りを待ってたんだ」
「うん」
座敷へ行くと、清美や穂村やマルコシアス、ガマ仙人もいた。みんな笑っている。座椅子にはユニもいて、抱きあげるとつぶらな黒い瞳をうるませる。
「ここが、僕の居場所」
「そうだよ。おまえが一番、安心できる場所だろ?」
「うん」
愛する人がいて、仲間がいて、美味しいスイーツが食べられて、みんなが青蘭を大切にしてくれる。
ずっと、ずっと、ここにいたい。ずっと……。
でも、歌声が聞こえる。
トルネンブラの音楽だ。
胸をかきむしるように切なく、悲しげな。それでいて、聞く者を狂気に誘う。
(やめて。歌わないで!)
ひきずられてしまう。
心が叫びだす。
ああ、もうダメだ。つれていかれる。
「龍郎さんッ!」
「青蘭!」
必死にすがりつくものの、それ以上の力が青蘭をひきちぎるように別世界へさらっていく。
また、子どものころの屋敷だ。今度はベッドによこたわっている。深夜だ。月明かりが窓からさしこむ。
真夜中に目覚めたときには、いつも勇気が必要だった。まぶたをあげると、それを見てしまう。
でも、今夜はなぜかもう目をあけてしまっている。だから、月光に照らされる室内が見えるのだ。
怖い。けど、つい見てしまう。
屋敷のなかに子どもは青蘭しかいなくて、ほかに同年代はいない。お父さまの知りあいのセオがときどき遊びにきてくれるけど、でも、セオはお父さまの友達だ。青蘭の友達じゃない。
青蘭の友達は、それだけだ。
チロリと目玉を動かすと、やっぱり、それはいた。ベッドの下から片手をのせて、顔を半分だけ出している。皮膚が青白くて、紫色の模様がある。
「歌ってたの?」
「そうだよ。大切な唄だから」
「……この前、夜中に遊んじゃいけませんって、お父さまにしかられたよ。もう寝る」
「でも、青蘭。おまえは思いださないと」
「何を?」
「おまえが………………だってことをさ」
そう言って、それはとつぜん、自分の右目をくりぬいた。かすかに赤みを残した黒い血が、ドロリと
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