第2話 黒き森の山羊 その四



 しばらく進むと、つきあたりに扉が一つあった。

 なんだかイヤな匂いがする。

 悪魔だ。そこそこ強い。


「アスモデウス」


 注意をうながすものの、アスモデウスもすでにその匂いに気づいていた。うなずきながら、扉に手をかける。

 龍郎も右手に意識を集中し、いつでも応戦できるよう身がまえた。


 あけるぞ、とアスモデウスの目が訴えている。龍郎が首肯すると、アスモデウスは扉をひらいた。ギギギと激しくきしむ。もう何世紀ものあいだ、まったく開閉されていなかったかのようだ。


 なかは暗い。人である龍郎の目では何も見えない。アスモデウスが全身から放つ光輝のおかげで、入口の周辺だけは視界がきく。


 その光と闇の境で、何かがうごめいている。蛇……のようだ。せいぜい二、三十センチ。遺跡に住みつく森の生き物だろう。


(変だな。強い悪魔の匂いがしたはずなんだけど)


 龍郎はホッとしたせいか、少し油断した。そんなつもりはなかったが、アスモデウスといられることで浮かれていたのかもしれない。

 ほんのわずかに、足をふみだした。もうちょっとだけ、なかまで確認するつもりで。


 その瞬間、蛇のようなが急速に床を這いずった。ものすごいスピードで間近に迫り、龍郎の足首にからみつく。


 気がついたときには、もう龍郎の体は逆さ吊りになって、天井の高さまで持ちあげられていた。剛力でしめつけられ、足の骨が今にもくだけそうだ。


「人間!」


 アスモデウスが光球を放つ。龍郎の足首をつかむ蛇のようなものがちぎれた。天井の高さは五メートル以上ある。以前の龍郎なら、そのまま落下するところだ。が、自分でも意外なことに、自然に体が動いて一回転する。猫のようにキレイに着地した。この運動能力は、フレデリックの残した力だ。


 龍郎はそのまま、跳躍した。第二弾のが、さっきまで龍郎のいた場所の床をたたく。つかみそこなって悔しがっている。


 跳躍しながら見ると、は触手だ。部屋の中心に途方もなく大きなヒトデ型のものがいて、その体のいたるところから触手がワサワサと伸びている。触手の先端には手指のように分岐した突起がある。


 以前にも見たものだ。

 これは穂村が録画してくれていたニュース番組のなかで見た邪神。


 アスモデウスが叫ぶ。

「シアエガだ!」


 龍郎は三段跳びの要領で弾みをつけ、高くとびあがる。そのときには、すでに手の内に退魔の剣が形になっていた。


 暗闇のなか、気配と音だけをたよりに、迫りくる多くの触手をなぎはらう。


 アスモデウスが次々に光球を作り、室内が明るくなった。触手が光球にぶつかると、パンパンと電球の割れるのに似た音を立てて破裂する。みるみるうちに触手が半分に減る。


(あれが、核か!)


 ヒトデのまんなかに巨大な一つ目が赤く光っていた。

 龍郎は太い触手をかけあがり、一つ目に剣をつきたてる。

 シアエガは光の粒となった。龍郎の心臓なかに吸いこまれる。


「ウカウカするな。人間。わたしがいなければ、どうしていた?」


 ホッとした表情で、アスモデウスが言ったときだ。

 龍郎は風を切るかすかな音を聞いた。アスモデウスの背後に一本の矢が迫っている。


「危ないッ!」


 龍郎はアスモデウスをかかえて床にころがった。矢はビンッとふるえながら石の壁につきささる。


「大丈夫?」

「…………」


 アスモデウスは戸惑いを隠せない目で矢を見つめている。


(あれ? この矢尻、もしかして石物仮想体じゃないか?)


 天使たちの武器は石物仮想体だ。おそらく、すべての石物仮想体が邪神の化身ではないのだろう。あるいは邪神が誕生したあとのカケラなどを加工している。


(——ってことは、この矢でアスモデウスを狙ったのは、天使か?)


 そう言えば、ミカエルは戦勝の宴の最中に何者かに殺された。いつだったかの夢で、当時、ほかにも何柱かの天使が同様の手口で殺されたと見聞きした気がする。


(これって、ヤバイんじゃないか? 天使のなかに裏切り者がいる……?)


 急いで廊下までかけていった。が、そのときにはもう誰もいない。とっくに逃げだしたのだろう。


(アスモデウスは英雄の卵から生まれ、生来の強大な力を得た。たぶん、次の転生のときにも有利な強い心臓を持っている。そのせいか?)


 天使のなかに、同じ天使の心臓を狩り集めている者がいる、ということだ。


 アスモデウスも同様に考えこんでいる。その悲しげな瞳を見て、龍郎は彼の肩にそっと手をかけた。しゃがみこんでくれていて助かった。


「アスモデウス。おれが君を守るよ」

「…………」


 アスモデウスは我に返った。寸刻、バカにしたような目で龍郎をながめる。


「わたしより弱い人間に守ってもらう筋合いはない」

「あっ、さっき、おれのこと人間って呼んだろ? おれは龍郎だよ。ちゃんと名前で呼んでくれ」

「…………」


 愚民光線には幸いなれている。青蘭にさんざん浴びせられた。


「ねえ、アスモデウス。君はもう、あの唄を歌わないの?」

「唄?」

「いつも入江で歌っていた唄だよ」

「入江で……」


 あるいはあの唄を聞けば、記憶をとりもどしてくれるのではないかと考えた。

 口ずさもうとしたとき、さっきの部屋からかけよる足音があった。まだ邪神がいたのだろうか?

 いっきに緊張が高まる。

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