第2話 黒き森の山羊 その三
ロシアは世界第一位の森林面積をかかえている。その面積は約八億ヘクタールだ。樹種はモミ属、トウヒ属、マツ、カラマツなどの針葉樹と、カバノキなどの広葉樹。周囲を見まわしても、とがった針のような葉の背の高い木が多い。
この森の奥地に強大な邪神がひそんでいる。そう思うと、黒い森がよりいっそう不気味に見えた。
「ここから各隊にわかれて偵察しよう。もしも異変を感じたり、何事か発見したら、すぐに仲間を呼ぶように」
アスモデウスが指示して、天使たちは三つの隊にわかれた。ウリエルのひきいる隊。ラファエルのひきいる隊。そして、アスモデウスの隊だ。アスモデウスにはガブリエルがついている。能天使がその下に五、六柱ずつ従う。
アスモデウスはガブリエルに腕をつかまれている龍郎を、じっと凝視している。やっぱり、こっちを気にしているふうだ。
「あっ、ガブリエル。徒歩のあいだは離してくれていいよ」
「そうか? 必要なときはいつでも言いなさい」
「ありがとう」
ガブリエルが腕を離すと、即座にアスモデウスが反対側の手をにぎった。見目麗しい天使を両手に花だ。ただし、両者とも身長が三メートルを超えている。あいだにはさまれると、なかなかの迫力である。
「ガブリエルはフォラスをつれていくように。星の戦士はわたしが監視する」
穂村がニヤニヤ笑いながら、龍郎のわきをひじでつついてくるので、龍郎もやりかえしてやった。
「では、低空飛行で行こう」
アスモデウスが先頭で飛びたつ。樹間をふわふわと漂う。偵察だとわかっていても、青蘭と手をつないで宙を舞うのは心地よい。樹木はすべて雪をかぶり、大地も白く覆われているものの、寒さを感じない。アスモデウスが自分の結界で、龍郎を守ってくれているらしい。
「わっ。スゴイな。ダイヤモンドダストだ。初めて見るよ。キレイだなぁ」
「そうか? ただの水蒸気の結晶だ」
「でも、君と見ることができて嬉しい」
「…………」
アスモデウスの手が離れそうになって、龍郎はあわてる。アスモデウスもあわてて、龍郎の手をにぎりなおした。
「……おまえは誰にでもそんなことを言うのか?」
「何を?」
「誰かと景色を見たいとか」
「君にしか言わないよ」
「でも、ガブリエルとはずいぶん親しい」
「それはまあ、これまで何度もいっしょに戦ったし、助けてもらったから」
「…………」
「でも、君とはもっと親しかった」
「…………」
アスモデウスは黙りこんでしまった。青蘭のころの記憶をとりもどすことは、もう二度とないのだろうか?
そんなことを考えていると、真下に建造物が見えた。大森林のまんなかに、ぽつんと遺跡のようなものがある。
「なんだろう? アレ」
「行ってみよう」
ふわりと、アスモデウスは遺跡の前に着地する。ほかの天使も続く。
奇妙な文字の刻まれた石で組んだ建物だ。インカやアステカの遺跡に似ている。
「前からあったんだろうか?」
龍郎の問いに答えたのは、穂村だ。嬉々としている。
「当然あったんだ。ただ、人には見えない道で隠されていた。封印を解かれ、現れたんだね」
「そうですか」
「この装飾は六億年くらい前の流行りだな。古代第二信仰期あたり。おそらく、チョーチョー人の流れをくむ一派だろう」
「チョーチョー人ですか?」
「邪神を崇拝する古代人だよ」
だが、今、遺跡のなかは無人のようだ。少なくとも外から見たかぎりでは人影もないし、静寂に満ちている。
「なかへ入ろう」と、アスモデウス。
「封印が解けたということは、なかに邪神がいる可能性が高い。いつでも戦闘態勢をとれるように」
入口は見あげるほどの石の扉でふさがれていた。が、天使の力にかかれば、かるく手をあてただけで容易にひらかれる。人間のときの青蘭でさえ、かなりの筋力だった。まごうかたなき天使の肉体ならば、石の扉くらいヘタすると粉砕しかねない力を有しているのだ。
ぞろぞろと遺跡のなかへ入っていく。四角い
「どうやら、このなかは迷宮になっているようだな。二手にわかれよう」
アスモデウスはかんたんに言うが、枝道のたびに隊をわけていたら、キリがないのではないだろうか。
「大事ない。我々は離れていても思念で会話できる。皆、念が通じなくなる前に、わたしのもとへ合流する」
「なるほど。それは便利だな。テレパシーみたいなものか」
左右の道で二手にわかれた。龍郎とアスモデウスの隊は右へ。ガブリエルは穂村とともに左へ。まわりにはよく知らない能天使だけになる。短い銀髪の小柄な天使と、長い金髪の長身の天使だ。デコちゃんとボコちゃんだなと龍郎は考えた。
すると、とうとつにアスモデウスがふきだした。天使たちは人間の思考を勝手に読むので困る。
「あれ? デコボコの意味はわかるの?」
「おまえの知識から読みとった」
やっぱり、笑っているほうが可愛い。はにかんだような笑顔は青蘭の笑みだ。デコボココンビと言われた天使は気分を害したようだが。
「私はエアーベール」と、銀髪が、「シャムシエルだ」と、金髪が名乗った。天使にとって位階についで名前が大事なのだと、のちに知った。
「エアーベールはわたしの、シャムシエルはウリエルの副官だ」
アスモデウスが説明してくれる。
「待って。アスモデウス。君はセラフィムだよね?」
「そう。わたしは英雄の卵から生まれた。ゆえに生まれながらにして最高位だ」
「ウリエルは大天使だろ? パワーズより位階が下なんじゃないか?」
「四大天使は位階以上に重要な役割を持つ天使なのだ。かつては四柱ともセラフィムだった。ミカエルだけは現状、不在だが」
「セラフィムだったのに、位が下がったの?」
「おまえは何も知らぬのだな。転生のさいに特別な卵以外から生まれた者は最下位からやりなおしになる」
「ああ。そういう」
「それでも、四大天使は位階以上の実力を持っている。メタトロンやサンダルフォンに匹敵するほど」
「ふうん」
もともとはセラフィムだったのか。おれも生まれ変わる前は?——そう考え、記憶をさぐってみるものの、当然ながら何も思いだせない。やはり、転生すると以前のことは、みんな忘れてしまうのだ。
そうこうするうちに階段に行きあたる。のぼり階段だ。階段をあがっていくと、また左右に枝わかれしている。
「今度はどっちへ行く?」
「わたしとおまえで左へ。エアーベールとシャムシエルは右へ行け」
いよいよ二人きりだ。
龍郎はいろんな意味でドキドキしながら、左の廊下へ進んでいった。
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